4-2 オレに何をどーしろって?

「スカーレット。この敷地からは絶対に外に出ないでくれ。いいね?」

「わかっております、お父様。お仕事があるのでしょう? どうか気をつけて行ってくださいまし」

「ああ、行ってくるとも――だが約束しておくれ! 絶対の絶対に、敷地から出てはダメだ。いいね!」

「わかっておりますわ」

「ほんとうに約束してくれるね? 絶対の絶対の絶対に――」

「……わかってるっつーに」

「えっ?」


 そんなやり取りがあったとかなかったとか、それはまあともかく。

 父との話を終えて執務室を出ると、スカーレットは自分が暇になったことに今更気づいた。

 ソニアは仕事で忙しいし、ツェツィーリアたちはお出かけ中。父もあと少ししたら出かけるというし、淑女教育はしばらく中止になっている。

 ここ数年で珍しく、スカーレットは本当の意味で自由な時間を手に入れていた。


(といって、やることもないのがなあ……)


 国境警備隊の仕事でも勝手に手伝おうかとも思うが、家を出るなと言われた手前、どうにも気が乗らない。

 ふと思いついて、スカーレットは館の外へと向かった。


 メイスオンリー邸には館から少し離れた場所に、厩と倉庫が建てられている。

 目的地はその倉庫だ。基本的には父も従者もいつか使うだろうと思ったものを放り投げているので、中は談話室以上に混沌としているのだが。


「確か、こん中に入ってるって聞いたんだよな……はーるか前のことだけど……お、あった。ほんとに置いてあったんだ」


 倉庫の中を探すと、お目当てのものはすぐに見つかった。釣り道具が一式詰め込まれたバッグだ。従者の私物だが、「お嬢も使いたかったら勝手に使っていいからねー」などといっていたのを思い出したのだ。

 バッグの中身を一通り物色してから、スカーレットはバッグを担ぎなおした。

 そのまま一人で館裏の森林に向かう。ヒルベルトからは敷地内から出るなと言われていたが、メイスオンリー邸の裏にある森は、まあ敷地内と言っていいはずだ。


 釣り場所にはもう目をつけてある。館から伸びる道を十分ほどまっすぐ進んだ先にある川に沿って、更に五分。ハイキングのためにだろう整備された道を、途中で外れて茂みをかき分けていった先にある。

 茂みを抜けた先にあったのは、こじんまりとした湖の景色だった。ともすれば、沼のほうが呼び名としては正しいのかもしれない。その程度には小さく、また浅い。

 辺りを見渡して何もないことを確認すると、スカーレットはその辺の雑草を踏み固めてその上に座った。


「さあて、“人生初”の釣り体験といきますか」


 少々声を弾ませながら、バッグから分解された竿を取り出して組み立てる。“彼”だった頃はともかく、仮にも貴族令嬢である“スカーレット”にとっては初の体験だ。

 疑似餌と針を糸に括りつけると、スカーレットは釣り竿を振り回すようにして湖に針を放った。

 遠くでぽちゃんと水音が響く。後はこのままのんびりと、竿を時折揺らしながら待つだけだ。

 そうしてぼんやりと湖面を見つめていると――


『……あなた、何やってるの?』


 そんな声が聞こえてきて、スカーレットはふと頭上を見上げた。

 予想通りというべきなのか、そこにいたのはあの女だ。どこからともなくふわりと現れた、半透明な赤い女。

 不思議そうというには若干眉間にしわの寄りすぎた怪訝顔に、スカーレットはきょとんと答えた。


「何って、見ての通りだよ。釣り」

『なんでまた? お腹でも空いたの?』

「それなら食堂にでも行くよ。暇だったんだ。やることもなかったし」

『だからって釣りなんて……』


 普通の貴族令嬢がすることじゃないでしょと、女は口を尖らせる。生前(という表現が正しいのかは知らないが)は真っ当な貴族令嬢をやっていた女だからこその反応だろうが。

 視線に込められた呆れを振り払うように手を振ってから、ふと“彼”は女に問いかけた。


「そういうお前こそ、今まで何してたんだ? ここ数日、影も形もなかったじゃねえか」

『今まで何もって、この体で何かできると思う? あなたを見てただけよ』

「ホントか? 茶々入れすらしてこなかったから、てっきりどっかに行ったのかと思ってたよ」

『あら? もしかして寂しかった?』

「いいや、まったく。そこまで会いたい顔でもなかったし」

『……それを言われた私はどういう顔をすればいいのかしら』


 本当にわからなかったらしい。女はまた眉間にしわを寄せたが。

 こちらからすればそれこそわからず、“彼”もまた似たような顔を作った。


「人を勝手に女にしくさる奴に、何があったら会いたがると思うんだよ」

『さあ……? 寂しかったら、とか?』

「抜かせタコ」

『……タコって罵倒なのかしら?』


 本当に不思議そうに首を傾げる女が面倒になって、“彼”はうっちゃるように手を振った。

 視線を泉に戻すが、まだ釣り糸が揺れる気配はない。


「それで? 今度は何をしに来たんだ?」


 退屈紛らわしに訊くと、女はふてくされたように、


『退屈だったから、ではダメかしら? 最近のあなた、ツェツィーリア様と遊んでばかりで腑抜けてるんですもの。小さい女の子とキャッキャウフフしてる私って絵面、見てて地味にキツいの。いい加減別のイベントを要求してもいいと思わない?』

「別のイベントって、お前な。そもそもこれ、“お前”の人生だろが?」


 ほどほどに好き勝手やってはいるが。それでも“彼”が“彼”であることを自覚したのはつい最近の話だ。何かを変えようとしていたわけではない以上、大きく未来が変わったということはないはずだが。

 何か間違ったことを言ったらしいと気づいたのは、女の反応が奇妙だったからだ。

 その濁った瞳にどこかジトッと、湿ったものを浮かべて、言ってくる。


『……私の人生、ねえ?』

「な、なんだよ……間違ったことは言ってないだろ?」

『それはその通りのはずだったのだけれどね。追体験させたかったのも、本当はそっちのはずだったし』

「……?」


 いつものように勿体ぶって、女はなかなか核心に至らない――と思ったのだが。

 存外あっさりと、女はそれを口にした。


『あなたが“あなた”として生まれたせいで、“私”の未来はもうメチャクチャになったわ』

「……あ?」


 生まれた頃にオレが何したと? と聞きたかったのだが。

 それより先に女がうんざりと言ってくるので、“彼”はひとまず黙り込んだ。


『私とあなたが初めて出会ったあの日。私は神々の起こした時間遡行の奇跡に便乗して、貴方の魂を巻き込んだ。そうして、私の体にあなたの魂を取り込んで、あなたが“私”になるように仕組んだ……一応の備えとして、あなたの武器もコムニアの日に届くようにして。ここまではいいわね?』

「よくわからんが……まあ、いいんじゃないか?」


 魔術は詳しくないので、曖昧に返事をする。

 それが何故か気に食わなかったようで女は睨まれたが、ひとまずは説明を続けてくる。


『損耗も摩耗もない魂の抽出と移動、そして魂と、主の異なる肉体との融和を、私は完璧にやり遂げた。それはあなたが“あなた”として“私”をやっていて、それを“私”が無事に眺められているのだから間違いない。ただ――……』


 そこまではマジメくさった顔で説明していたのに、途端にトーンダウンする。

 それが何故なのかさえわからず、“彼”はきょとんと首を傾げた。


「……ただ?」

『……計算を、間違えたみたいなのよね』

「…………へえ?」


 思わずジト目で女を見やる。

 そんなこちらに女は――出会ってから初めて――気まずそうに顔を背けながら、


『女の体に男の魂を馴染ませるということがどういうことか、理解できてなかったのよ。まさか、そんなことで産まれるタイミングが変わるなんて思いもしなかったし……私とあなたで誕生日がズレてるって話、覚えてる?』

「あん? ……ああ、そういや武術教室んときにそんな話したっけか」


 言われてふと思い出す。カイルの武術教室に行った日、事務室で女と話したことだ。コムニアの日がスカーレットの誕生日であるなどと言うから、違うと指摘したら驚いて、その後すぐに姿を消した。

 アレがなんだったのか、未だにわかっていなかったのだが。


『そう。あなたの魂が、私の体に馴染むまでの時間がその誤差だったの。つまり……あなたの魂が私の体に馴染むのが遅かったせいで、本来の“私”が生まれてくる日よりも遅く、貴方は生まれてきてしまったの。ここまで言えばわかるわよね?』


 それは『わかる?』という質問というよりは、『理解できて当然よね?』というようなニュアンスだったのだが。


「わかるも何も……誕生日がズレたって話を無駄に長く説明してくれただけじゃねえか?」

『…………』


 女の無言は少々長引いた――ただし、呆気にとられたとか呆然としているとか、そういう類いの無言ではない。

 目を剥く、とはこのことを言うのだろう。変形した女の顔を見る限り、女はどうも本気で怒っているようだった。


『……あなた、本気でわかってないの?』

「えーと……何を?」


 据わった眼に睨まれて、すわりの悪さに身震いする。“彼”は座っているのだが、尻の位置がどうも気持ち悪い。蛇に睨まれた蛙とは、きっとこういう気分だろう。

 そうして女は、怒りを回答の形でぴしゃりと突きつけてきた。


『私の誕生日を基点にして動いていた物事が、二週間もズレたらその時点でメチャクチャでしょうが!!』


 更に指を突きつけ、口早に説明してくる。


『いい? 本来の時間軸の話はこうよ――私の誕生日の少し前に、お父様がコムニアの開催を決める。そのコムニアに合わせて邪教の司祭たちが領民を洗脳して集めて、コムニア当日に襲わせる! その時にジーク様とツェツィーリア様を誘拐して、それから少し後の、私が十歳になる誕生日に――……」


 そこまで口にしてから。

 唐突に、女の勢いは失速した。

 “彼”の無理解に対する怒りで思わず暴発したのだろうが、それが淑女らしからぬことに遅れて気づいたらしい。

 恥じ入るように視線を伏して、ぽつりと言ってくる。


『……つまりはまあ、そう言うことよ。いいわね?』

「意外にメイスオンリーっぽいとこあんのな、お前」

『うるさいわね。殴られたいの?』


 それこそメイスオンリーっぽい物言いに、思わず“彼”は半眼を作るが。


「まあ大枠はわかった。要は、いつも通りに準備してたら、コムニアとかの時期がズレた上に“オレ”がいたからご破算になったと」

『その理解で間違ってないわ。“イベント”に合わせて行動していたから、襲撃事件自体は発生したけれど……タイミングが変わってしまっているから、“私”の時と同じ結果になるわけがない。あなたもあなたで滅茶苦茶なことをしてるしね。だからもう、“これ”は私の知らない未来』


 半眼でこちらを睨み返しながら、女がまとめる。

 コムニアの襲撃が王族二人の誘拐目的だとは知らなかったが。確かにならず者は、最初にツェツィーリアを標的へと選んだ。それが誘拐のためだというのなら――

 と、気になって彼は呟いた。


「なあ。二つ訊きたいことあるんだけど。ツェツィーリア様、コムニアの前にも誘拐されてなかったか? なんでそっちは失敗したんだ?」

『ああ、アレ? アレは仕込みよ。一回失敗しておくと、二回目は何故か綺麗に成功するの。これは理屈じゃなくて、最適化された経験則ね』

「何回も試してきて、一番うまくいくパターンがアレだったと?」

『そういうこと。だから、アレ自体に深い意味はないわ……失敗前提だから、邪教の痕跡さえ残らなければどうだっていいもの』


 本当にどうでもいいのだろう。女の言いようには興味も関心も感じられなかった。が、スカーレットにとってもそれは同じだ。既に終わった事件であり、何の価値もないというのであればスカーレットとしてもどうでもいい。

 だから本命は、もう一つの方だ。

 それを“彼”は、囁くほどの声量で訊いた。


「……領民を洗脳って、どういうことだ?」

『…………』


 女は……答えない。それが何故かはわからないが。

 強張った顔をしばし見据えて。ならばと、“彼”切り口を変えた。


「……なら、その領民を洗脳した邪教の司祭って奴は?」


 それが、敵だ。おそらくは、“スカーレット”にとっての。

 ふと思い出したのは、先日カイルと話したことだ。コムニアで起きたならず者の襲撃事件。捕まったのは実行犯だけだが、本来なら近くに黒幕がいたのではないかとカイルは睨んでいたが――

 図らずとも、女の言葉がそれを証明してくれた。


『……邪神様を復活させて、世界を滅ぼす手伝いを至上命題としてる老人たち』


 見つめた先、女の声は囁き声ほどの小ささで放たれた。


『彼らも……私と同じように、邪神様の手で過去へと戻ってくるの。彼らがどうして邪神様に協力して、世界を滅ぼしたいのかなんて私も知らない。ただ彼らはそのために、邪神様から人を操る力を手に入れて……世界を滅ぼすために。私“たち”を邪神の生贄に選んだ』

「…………」


 そして言い切るなり、無言で女は湖面を見つめる。

 その顔は、“彼”が記憶を取り戻してから――この女と再び話すようになってから、何度か見てきた顔だった。

 凍り付いたような……思い詰めたような、無表情。子供が浮かべるにしては大人びすぎて、だが大人が浮かべるにしては幼く痛々しい、そんな顔。

 正直に言えば好きになれそうもないその無表情を横目に、“彼”は呟いた。


「まー大枠はわかった。それで?」

『……え?』

「大体の事情はわかったが、結局のところ、話は最初に戻るんだよな――お前、お前の代わりに“私”をやれって言ったろ。具体的に、オレに何をどーしろって? そいつらぶっ殺してこいとでも?」


 まさか、この期に及んで“邪神の花嫁”をやれとは言うまい。

 そもそもの始まりが“嫌がらせ”なのだ。つまりこの女は、自身が邪神の生贄に捧げられることも、“邪神の花嫁”にさせられることも望んでいなかった。逃れられぬから交代を望んだだけで、それですら消極的な対処法だ。

 気安さを装って聞いた先で、女の瞳が一瞬揺れる。その一瞬だけ、女の無表情がひび割れた。

 震える声は、まるで道に迷った幼子のようなか細さで聞こえた。


『言えば、やってくれるの……?』


 ――と。


 不意に聞こえた足音に、ハッと“彼”は背後を振り向いた。する必要もないはずだが、女も息を殺して背後――森に続く茂みを見つめる。

 足音は軽いが、鈍い。野生動物の重さではなかった。忍び込んでくるような気配でもない。

 そうして茂みからゆっくりと現れたのは――


「……誰と話していたんだ?」


 クリスタニアの第三王子、ジークフリートだった。

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