4-1 アレはぜんっぜん可愛くない
一日目。
「スカーレット様……お庭を案内していただけませんか? スカーレット様と一緒に、お花を見たいの」
「いいですよ、ツェツィーリア様。ただ、我が家の庭園は王都の貴族たちのほど立派ではありません。その辺りは、どうかご容赦を」
「…………」
楽しそうにはしゃぐツェツィーリアの背後で、少年が何か言いたそうにこちらを見ていたが。
何も言ってこなかったので、スカーレットはそのまま無視した。
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二日目。
「スカーレット様。このご本、気になるのだけど……読めない文字があるの。一緒に読んでくださらない?」
「『雷鳴竜の涙』、ですか。ドレステル古語が混じった古書ですね。それなら確か、新しいものがあったはずです。そちらにしましょうか」
「…………」
視界の隅に『ボクなら読めるぞ』と主張してくる視線があったが。
何も言ってこなかったので、スカーレットは今回も無視した。
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三日目。
「スカーレット様、館の裏にある森って、入ってもいいの? わたし、スカーレット様とハイキングしたい!」
「ツェツィーリア様、森の中を子供だけは危ないですよ。獣が現れた時、私だけではツェツィーリア様を守り切れるかわかりません」
「でも、行きたいの……ダメ?」
「うっ……わかりました。ただし、大人を一人連れていきます。それでもよろしいですか?」
「うん! スカーレット様、大好き!」
「…………」
なにやらついてきたそうな視線を感じたりもしたが。
やっぱり何も言ってこなかったので、スカーレットはやっぱり無視した――
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四日目。
「あー……ダメだ。ツェツィーリア様、マジ可愛い」
「…………」
メイスオンリー邸一階の奥にある、従者たち用の談話室。
従者たちの憩いの場でもあるその部屋で、スカーレットはそんなことを呟いていた。ソファにだらしなく寝そべりながら、である。
談話室は誰でも使用できる休憩所で、ソファやらビリヤード台やら中古のピアノやらが適当に置かれている。従者たちがどこからともなく集めてきた趣味のものだが、不思議と部屋がごった返しても喧嘩になったりはしていないようだ。
暇なときはスカーレットもよくここにお邪魔する。父ヒルベルトはここには来ないので、スカーレットが羽を伸ばしたい時はこっそりここでみんなと遊ぶ。
だがスカーレットは今日、普段以上にだらけきっていた――というのも、幸せな気分ではあったが、一方で心休まる時間が少なかったからだ。
理由はここ数日、クリスタニア王ラトールとその子供たちがメイスオンリー邸に滞在していたためだ。これまでは街に宿泊していたようだが、父が折れて許可を出した。
そんなわけでラトール一家が家に滞在している間、ツェツィーリアの護衛兼遊び相手にスカーレットがあてがわれたのだった――といってもツェツィーリアの邪魔をしない程度に騎士の護衛もあったため、スカーレットは“お嬢様”のふりをして過ごさざるを得なかったのだが。
だが、ではなぜ今だらけきっているかといえば、今日ツェツィーリアが家にいないからだ。ラトールとお出かけということで、今朝方館を出ていった。なのでスカーレットは久しぶりにシャツとズボンというラフな格好でのんびりしていたのだった。
が。
「…………」
「……な、なんだよ」
まるでゴミでも見るかのような視線に気づくと、その視線の主、ソニアはため息交じりにこう言ってきた。
「お嬢様……最近、感性がオッサン化してきてませんか?」
「せめて親戚のお兄さんくらいにしてくれないかなあ!?」
びっくりして、スカーレットは跳ね起きた。ソファの背後に控えていた、ソニアの眼は相変わらず冷たいが。
その冷ややかさに負けじとスカーレットは熱弁した。
「いや、でも本当にかわいいんだってツェツィーリア様。本読んでーとか一緒に遊んでーとかあの無邪気な笑顔で言われるともう、ほんとムリ。ダメ。断れない。あんな小さい子が慕ってくるんだよ? あれは甘やかしたくもなるって」
「……ああ、オッサンではなく旦那様に似てきたのですね」
「え? 嘘? マジで?」
それはさすがにちょっとショックだったので、まじまじとソニアを凝視してしまうが。
追撃されると立ち直れない気がしたので、先にスカーレットは呟いておいた。
「いやー、でもあれは仕方ないって。正直に言うとさ、オレ弟とか妹とかに憧れてたんだよ。年長者として可愛がりたかったというか、いろんなこと教えてあげたかったというか。こう、遊んであげたかったんだよねー……姉はいたから余計にさ」
「姉、ですか? 旦那様のお子はお嬢様だけのはずですが……そんな方、おられましたか?」
「ソニアがいるじゃん」
血は繋がっていないが、スカーレットにとってはソニアは姉のようなものだ。そこをわざわざ確認する必要があったとも思えず、きょとんとスカーレットは答える。
と、一瞬ぽかんとした後、ソニアは顔を逸らしてこう言ってきた。
「……お嬢様は不意打ちがお上手ですね」
「? 何の話?」
本気でわからず――ついでに言えばなんでソニアが顔を背けたのかもわからなかったので、首を傾げる。ソニアの耳がわずかに赤く染まっていたように見えたが、人の顔をじっと見るのは失礼なので、スカーレットはソファに座り直して呟いた。
「まあでも本当にツェツィーリア様可愛い。妹いたらあんな感じかなあ。だとしたら欲しかったなあ妹……だけどその一方で――」
言いながら、スカーレットは視線を談話室の入り口に向けた。談話室は休憩所なので、入りやすいようにドアは解放されっぱなしになっているのだが。
そこに一つ、人影があった。こちらを覗くように顔だけ出している子供。ストレートの金髪に、サファイアのような青い瞳。幼いながらも整った顔立ちで、誰もがその顔を美しいと評価するだろうが。
視線が合ったと思ったら、その子供はすぐに扉の脇に隠れた。そちらをじっと見ていると、またそっと顔を出して――こちらがまだ見ていると気づくと、慌ててまた隠れる。
そちらに呆れの視線を向けながら、スカーレットはバッサリと吐き捨てた。
「アレはぜんっぜん可愛くない」
「……仮にも我が国の王子をアレって」
「仕方ないじゃん。アレとしか言いようがないし」
言い返すと、ソニアは眩暈でも堪えるように眉間に手を当てた。
アレとはつまり、先ほどからちらちらとこちらを覗いてきている少年――ジークフリートのことだ。あの武術教室で大暴れした挙句、スカーレットに負かされて尻尾巻いて逃げ出した、この国の第三王子。
あの一幕の後で彼らがメイスオンリー邸に泊まると知って、スカーレットは非常に気まずい思いをしたのだが。
ラトールには気にするなと言われ、その上でツェツィーリアの面倒を見てくれとだけお願いされたので、スカーレットは彼をシカトすると決めていた。あちらも話しかけてこないので、特に問題は起こっていない――と、スカーレットは思っている。
ただし毎日あんな感じで妙に見てくるので、正直面白くはなかった。
「というか、なんでラトール陛下はアレを置いてったんだ。面倒見ろなんて言われてないぞ」
「せめて、声は控えましょうよ……自主的に残ったと聞いてますよ?」
「なんでまた?」
訊くと、ソニアは『なんでこんなこともわからないのか?』と言いたげな顔をした。
「……あの様子を見て『なんでまた?』なんて聞きますか普通? お嬢様と仲良くなりたいのではと、私は考えてますが」
「うっそだろ? ないない。この前話したじゃん、アレに何やったかさ」
クソ生意気に調子に乗っていたので、伸びていた鼻を思いっきりへし折った。しかも、公衆の面前で恥をかかすような方法でだ。
そんな相手と仲良くなりたいと思うか? 自問の答えはあっさりと出た。ノーだ。
「……いや、リベンジ狙いで付きまとってるならワンチャン……?」
「…………はぁ」
そんなこちらに、ソニアはいつもの出来の悪い妹でも見るような眼で疲れたため息をつくのだが。
「……ん?」
と、不意に廊下の方から足音がいくつか聞こえてきて、スカーレットは姿勢を正した。
足音が複数聞こえた理由はすぐに察した。やってきた誰かに驚いて、ジークフリートが逃げ出したからだ。部屋に入ってきたのは一人だけ――メイド長のラナだった。
「お嬢様。旦那様がお呼びです」
「親父殿が? あれ? ラトール陛下と一緒に出掛けてたんじゃないの?」
少なくとも、昨日まではそうだったはずだ。今家にいるとすら思っていなかった――だからこそだらけていたのだが。
訪ねると、ラナはすぐに答えてくれた。
「どうやら、今日は別行動のようで。ただすぐ旦那様もお出かけになられるようなので、それまでにお嬢様とお話がしたいと」
「わかった。ソニアはどうする? ついてくる?」
「申し訳ありません、お嬢様。陛下たちが来られてから、この館は人手不足なのです。私も皆様のお手伝いに周らなければならないため、本日はお供できません」
「というわりには今暇じゃない?」
「これが今日最後の休憩なのですよ」
「……なるほど」
としか言いようがない。ツェツィーリアのお供をしている間、ソニアの姿をほとんど見かけなかったのもそれが理由だろう。
多忙な父を待たせるのも忍びなく、スカーレットはすぐに立ち上がった。
「ラナさんありがとう。これから親父殿の所に行くから、ラナさんとソニアは仕事に戻って」
二人に声を変えて、スカーレットは談話室を出る。
扉脇にはすでにジークフリートの姿はなかった。が、なんとなく視線を感じる。
探す気もなかったためどこにいたのかはわからなかったが、おそらくスカーレットの死角になる場所にいるのだろう。
気にせず廊下を歩いていると、曲がり角で男が一人佇んでるのが見えた。高級そうだが一応は平民服の、帯剣している男。ジークフリートの護衛だ。
「……っ!」
その男はスカーレットの顔を見た瞬間、何故か気色ばんで顔を歪めたが。
(ん? ああ、この前のあいつか、こいつ)
ふと思い出して、スカーレットは納得した。スカーレットに剣を向けてきた男だ。ジークフリートにケガを負わせたと、躍起になって怒っていた。どうやらよほど嫌われたらしい。
改めて、スカーレットはその男の顔を見やった。カーキ色の短髪に、釣り目がちな黒い瞳をした青年。
他の騎士たちは全員ラトールの護衛についていったので、ここにいるのは彼だけだ。だが一人で王子の護衛を任されている以上、優秀ではあるのだろう。近衛騎士としてはかなり若い――年齢はおそらく十八くらいか。
顔立ちはやけに整っていると感じるが、強いてあげるならそれだけが特徴だ。特に見入るものはない――はずだが。
(……?)
なんとなく違和感のようなものを覚えて、スカーレットは顔をしかめた。
違和感というか、嫌な空気だ。臭いはないが、刺すような冷たさを鼻で感じる――ちょうど、急に冷気を吸い込んだ時のように。
(……なんだろ、これ。なーんか引っかかんな。この前はそんな感じしなかったよな……?)
それが何なのかはわからない。なのでどうしようもなく、スカーレットはその男を素通りした。
と。
「無駄なことはやめろ、浅薄な小娘め」
「……ああ?」
言われたことよりも、話しかけてきたその口調に苛立って、スカーレットはそんな声を上げた。
足を止めて肩越しに振り向けば、先ほどよりも険しい顔をして男がこちらを見ている。
こちらが何かを問うよりも早く、刺すように鋭く告げてくる。
「姫殿下に取り入って、王室に取り入るつもりだろう。だがそんなことをしても無駄だ。貴様の思い通りになどなりはしない」
「……?」
すぐには――
というより考え込んでも、男が何を言ってるのか理解できなかった。一つだけわかったのは、何かとんでもない勘違いをしているということだが。
理解できないからこその沈黙を何と勘違いしたのか、男は矢継ぎ早に先を続ける。
「同じ女として姫殿下に取り入るのはさぞ楽なことだっただろうな。だがどれだけ高貴な血を引いていようと、姫殿下はしょせん女だ。王統としての価値などない。どれだけ貴様が姫殿下に気に入られようが、貴様が手に入れられるものなどない。お前の頑張りなどすべて無駄だ。残念だな?」
最後には嘲りを含んだ失笑すらあったが。
(……こいつ、死にたいのか?)
喧嘩を売っているつもりなのかもしれないが、スカーレットには正気とは思えなかった。自分にケンカを売ることが、ではない――そのために、この男が平然と王族を侮辱したことがだ。
女であるという理由から末席でこそあるが、ツェツィーリアは王族だ。彼女もまた王位継承権を持っている。大抵の場合、王家の娘は外に嫁いでいくため王位を継ぐことなどないが、それでも尊ばれるべき血筋の人間であることに変わりはない。
普通に考えれば、王統侮辱罪が適用されてもおかしくはない。
(まあ、それをオレが言うのもバカバカしい話ではあるか)
先日あれだけジークフリートのことをコケにしたのだから、人のことを言えた義理ではないのは間違いない。
なんにしろ、馬鹿げた話には違いなく。
だからスカーレットは、手短に吐き捨てた。
「そーかい。だったらあんたは頑張って、王子に尻尾振っててくれや。こっちはそういうの、一切興味ねえからさ」
「なっ……?」
「忠犬ごっこなら勝手にやってろよ。くっだらねえ」
こちらの言葉に、男は呆然と絶句するが。
言い切るなり男のことなどどうでもよくなって、スカーレットはその場から立ち去った。
不愉快な気分を抱えたまま、父に会わなければならない――それだけは心底腹立たしかったが。
だが執務室の扉を開けると、何故か父が『……なんでそんな可愛くない服を着てるんだね?』と泣きそうな顔で訊いてきたので、スカーレットは苛立ちをすぐに忘れた。
結局父の用件は、出かけるから敷地の外には絶対に出ないように、というお願いだった。
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