3-3 何か知ってるだろ?
武術教室の室内訓練場は、一言で言ってしまえば殺風景な場所だった。がらんとした運動場を除けば、その奥にちょこんとある事務室を筆頭に、部屋が数個あるだけだ。加えて無人ともなれば、なんとなく空虚な寂しさを感じなくもない。
話は事務室でするようで、スカーレットは素直にカイルの後をついていった。
その途中、ふとカイルが訊いてくる。
「そういえば詳しく聞かなかったけど、あの子らどちらさん? 偉そうだったからひとまず丁寧に対応したけど」
「ん? ジョドスンさんから事情聞いたんじゃないの?」
「あんな短時間で全部は聞けないよ。ヒルベルトさんが来れなくなったってのと、子供たちと遊んでくれってお願いされたんだ。それで?」
「親父殿の友達の子供。それ以上は聞かない方がいいよ」
「……あの人の友達って時点で察したよ」
王子と姫殿下だとは言わなくてもわかるらしい。ヒルベルトの交友関係をスカーレットは知らないが、友人と訊いただけですぐ国王が出てくるのはどうなのかと思わないでもないが。
事務室は、ある意味では訓練場以上に殺風景な場所だった。客が来ること自体想定していないのか、執務机が一つと、その後ろに収納棚がある程度。ついでに倉庫代わりに使用されていたのか、部屋の隅には木剣や防具など備品が積まれている。
執務机には書類が放り出されていたが、そこにはこうあった――“報告書”。
昨日のならず者襲撃について、まとめ途中のもののようだ。執務机に着くカイルを尻目に書類を見つめながら、今度はスカーレットが訊いた。
「にしてもカイル兄、今日非番だっけ? なんでここにいんの?」
「ヒルベルトさんと話をする予定だったんだよ。ここ、内緒話をするには都合がいいし、メイスオンリー邸とのアクセスも悪くないしね。急用で来れなくなったってジョドスンさんから聞いたけど、ヒルベルトさんなんかトラブってんの?」
「さあ? 親父殿、オレには何にも教えてくれないから……んじゃはいコレ。渡せって頼まれてた手紙ね」
対面に座ったカイルに投げ渡すと、彼は気のない素振りで手紙を開いた。
サッと読み込んで、安堵したように言ってくる。
「……なるほど。まあちょうどよかったかな。初動が遅いって怒られずに済みそうだ」
「なんて書いてあった?」
こういう場合、大抵書いてあるのは国境警備隊関係のことだ。仕事の依頼や報告の要求を手紙でやり取りするのはあまり効率的ではないが、ヒルベルトが動けない場合にはままある――伝令役にスカーレットが使われることはほとんどないが。
ついでにいえば、警備隊の対処する案件は大抵が部外秘なので、スカーレットに開示されてはならないのだが。
カイルは気にせずぶっちゃけた。
「お前と話さなきゃいけない理由と一緒だよ。コムニア襲撃犯の件。アレ、さっさと徹底的に調べろってさ」
「まあ、そりゃ徹底的にって言いたくもなるか。領の公式行事にカチコミされちゃあね」
付け加えるならば、表沙汰にはなっていないが王族が襲われた事件でもある。
被害がなかったからよかったものの、もし何かが起きていたらメイスオンリー領自体も悲惨なことになっていたはずだ。王族を死なせた地、王族を守れなかった領主、王族を害した領民。字面だけでも最悪だ。どんな刑が下されるかわかったものではない。
「それで? もう取り調べとか始めてんでしょ? 何かわかった?」
「それなんだがなあ……」
訊くと、カイルは歯切れの悪い声を上げた。
実際、芳しくはないのだろう。後頭部をかきながら、逆に訊いてくる。
「スカーレット。戦ってた時の連中、どんな様子だった?」
「どんな様子だったって……真っ当な感じには見えなかったけど」
言いながら、思い出していたのは昨日のならず者たちの様子だ。
唐突に森の中から現れた、薄汚れた格好の男たち。目的の為なら身の危険も、仲間のことも顧みずに行動する。
特に気になったのは、感情があるのかもわからないほどにぼやけた目と、まるで操り人形のようにぎこちなかった動きだが。
「それは、薬か何かを使ってたみたいな?」
「そうそう、そんな感じ。少なくとも、正気には見えなかったよ。ケガしても呻き声一つ上げなかったくらいだし」
「……なら、やっぱり薬なのか……? それとも何か、もっと別の……?」
「?」
考え込むように独り言を呟くカイルに、きょとんと首を傾げると。
カイルはすぐに放り投げるように、スカーレットに言ってきた。
「今朝から連中の尋問は開始してるんだが……どうにも連中、事件の記憶がないんだと」
「……え? まさか全員?」
「そう、そのまさか。しかも全員、横の繋がりが全くなくてな。捜査に非協力的なだけかと思ったら、訊かれたことにはすんなり答えるんだよ。なんでも、ここ数日の記憶だけがないらしくて」
「……で、薬か何かを使ったんじゃって?」
「そういうこと。ただなあ……」
カイルは言いよどんだが、言いたいことはわかった。
使用時には戦闘能力を向上させ、効果が切れた後にはここ数日間の記憶をきれいさっぱり消す薬?
そんなもの、あるわけがない。それでも現実は無視できないから、カイルはこう切り出してきた。
「で、スカーレットに訊きたいのは、だ。他に誰か、部外者みたいな奴がいなかったかってことなんだが」
「実行犯を監督する誰かがいたかもってこと?」
「そうだ。仮に薬のせいだったとしても、全員が正気を失うような薬を使ったんじゃ、襲撃が成功したかもわからんだろう。連中に組織みたいなのがあるとして、上位者がいたんじゃないかと思うんだが……」
「といっても、あの会場に部外者なんて誰もいなかったよ? ならず者が襲撃してくるまで、変なことなんて何もなかったし――……あっ」
ふと気づいて、思わず声が出た。確かに部外者はいなかったが、変なことなら確かにあった。
重要な情報かはわからないが、眉根を寄せたカイルに答える。
「ならず者たち、森の中からいきなり出てきたんだけどさ。その時、ガキども三人を追いかけてきたんだよね。森から出てきたら、途端にガキどものことはどうでもよくなったっぽかったけど」
「コムニア中に、森の奥に入ったやつがいたのか? ……そいつら、なんで森の中に入ったんだ?」
「さあ? ただ、何か見てるとしたらその子達かもね。少なくとも、会場のほうに異常はなかったよ」
「……その子たちの情報ってわかるか?」
「サッパリ。クソガキってことと人相くらいはわかるけど」
言うと、カイルは「ちょっと待ってろ」とだけ言い置いて、事務室から出ていった。おそらく絵心のある者を呼びに行ったのだろう。
一人取り残されて、スカーレットはふわぁぁ……と大きな欠伸をした。待たされるのは退屈だが、出来ることも他にない以上待つしかない。
と。
『カイルお兄様の武術教室って、こんなところだったのね……』
「?」
不意に感嘆とも感心ともつかぬ声が聞こえて、きょとんとスカーレットは顔を上げた。
と、いつの間にやらあの女が姿を現している。彼女は何が珍しいのやら、きょろきょろと辺りを見回していた。
「こんなところだったのねーって、お前、来たことなかったのか?」
『あるわけないでしょう? お父様は私がそういうのに近づくのを嫌がっていたもの。むしろ私としては、あなたがこういう場所に平然と出入りしていることの方が驚きなのだけれど』
「そらまあ、親父殿には内緒にしてるし」
というより、父があまりに多忙すぎて家に帰ってこないので、好き勝手出来たというのが実情だが。
と、女のことでふと気づいて、“彼”は呟いた。
「……意外そうにしてるってことは、オレが生きてきた十年間をお前は知らない?」
もし“彼”の十年を知っているのなら、武術教室の内装を不思議がったりはしないだろう。勝手知ったるというほどではないが、“彼”はこの十年間で何度かここに遊びに来たことがあるのだから。
訝しんで聞くと、存外素直に女は認めてみせた。
『全部知らないってわけではないわ。時々、調子がいい時に断片だけ。それも夢を見ているみたいに曖昧なものだけれど……それもそうよね。私はあなたの中で眠っていたわけだから』
「ふーん……」
『……なあに? 何か問題でもあるの?』
「いや。ならこれから先、何あれって訊かれることが増えそうかもなって思っただけだ」
話している限り、この女は“彼”とは比べ物にならない程“お嬢様”をやっていたようだ。その分、逆に“彼”も女に訊かなければならないことも増えそうだが――
そこでふと閃いて、“彼”は訊いた。
「そーいやお前、“未来”のことわかるんだろ? 今回の襲撃事件、何か知ってるだろ?」
以前この女が言っていたことだが、世界は何度も繰り返されていたというのであれば、今回の事件も女は知っているはずだった。であるならば、この事件を起こした黒幕も女は知っているはずだ。なので犯人を教えろと迫る。
だが返ってきた答えはこれだった。
『……さあ?』
「……は?」
たった一言。面白がるでもなく、本当に不思議そうに小首をかしげて女は言うが。
「おいおいお前な。流石に知らねってこたねえだろ。まさかお前、オレを苦しめたくて教えないとか言うんじゃねえだろうな?」
『そういう面がないのは否定しないけれどね。この件そのものを知らないというのは本当よ。似た事故なら“少し前”に起きたはずだけれどね』
「……少し前?」
言われてスカーレットは振り返るが、コムニアの件以外で襲撃された事件は記憶にない――誘拐事件ならあったが。となると、この女が言う“少し前”は、この女の記憶の中……つまり繰り返してきた時間の中でのことだろう。
こちらが察したことを、女も察したらしい。捕捉するように言ってくる。
『やっぱり中身が“私”と“あなた”で違うせいか、“この世界”と“私の知る世界”が微妙に異なってるのよ。今回のもたぶんそれね。内容はほとんど一緒だけれど……』
「コムニアの日に、ならず者に襲われるって事件自体はあったってことか?」
『ええ、そういうこと。明確に違うのは、コムニアの日ね』
と、そこで何を考えたのか、呆れとも苦笑ともつかぬため息をついてから、
『まさか、お父様が私の誕生日に合わせてコムニアを開くなんて思わなかったわ。今回のお父様は、随分と娘を甘やかすのねと思ったものだけれど――』
「あん? 何言ってんだお前? 昨日が誕生日なわけねえだろ?」
『……え?』
「お前も知ってるはずだろ? もうちょい先だぜ? オレの誕生日――」
口にできたのは、そこまでだった。
「……?」
女の表情が急激に変わる。苦笑めいたものが、まばたきほどの一瞬でごっそりとこそげ落ちた。今は、蒼白な無表情がそこにある。
だが、“彼”は自分でも言っていることがおかしいことに気づいた。
――忘れないでね。あなたが目を覚ますのは、“私”が十歳になる誕生日の日――
“彼”がまだこの姿になる前、確かにあの女はそう言ったのだ。
ならばこの女が“彼”の前に現れた、昨日こそが本来の“スカーレット・メイスオンリー”の誕生日ということになる――
「……なんだ? 誕生日がズレてるってことか? つっても、それがだからどうしたって――あ。おい?」
『…………』
声をかけるが、その時には遅い。女は変わらず顔を青くしたまま、何も言わずにその姿を消してしまった。
また一人取り残されて……しかも今度は状況の理解さえ追いつかず、呆然とする。
「……結局なんだってんだ?」
思わずぼやくが、それ以外にできることはない。
呼びかけても戻ってくるとは思えなかったが、それを試すことすらする気にはなれなかった。あの真っ青な顔は、今にして思えば何かに怯えているようですらあった。記憶に残っているその顔は、困ったことにあまりにも幼く見えたのだ。
悪役令嬢や薔薇の悪魔などと呼ばれた貴族令嬢ではなく、ただの少女のようにしか。
(絆されるってこたねえとは思うんだが……なーんか調子が狂うな……)
どちらにしても今考えても仕方がない。スカーレットは目をつむって、退屈に待つことにした。
それからどれほど時間が経っただろうか。
ふとけたたましい足音が聞こえてきて、スカーレットはうたた寝を中断した。誰かが走って駆け寄って来ているらしい。
入口の方へと視線を向けると、顔を出してきたのはカイルだった。
だったのだが。
「すまん、スカーレット。ちとグラウンドの方でトラブった。悪いが、来てもらってもいいか?」
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