2-7 ふざけんなふざけんなふざけんな!
ジークフリート=クリスタニア。
それは王国クリスタニアの現国王、ラトールの三番目の息子の名だ。スカーレットが驚愕と共に見つめる先、同じように驚いている少年の名前でもある。
父ラトールから受け継いだ、金の髪と青く透き通る瞳。老若男女、誰しもに愛されるだろう愛くるしい顔立ち。有り体に言ってしまえば、見目麗しい美少年である。
画家に天使を描けと命じたら、あの顔を描く者もいるのではないか。それほどまでの美貌だ。それが王子様をやっているのだから、出来過ぎたお話もあったものだが。
だがそんなことなどスカーレットにはどうでもよく。
スカーレットが絶望していたのは、その顔が想起させた、あるもののせいだった。
(やっぱりこいつか。こいつなのか……? こいつがホントに“スカーレット”の婚約者……!?)
脳裏をよぎるのは今朝方の悪夢だ。あの腹が立つほど整った顔立ちの美丈夫。
目の前にいる少年の顔立ちはまだあどけなく、丸みの目立つ頬や体格はあの青年とかけ離れているが……その片鱗は既にある。
思わずゾッとする。今朝ヒルベルトにあれだけ言って、婚約のことなど蹴飛ばしてしまおうと思っていたのに。よりにもよって、目の前にその顔がある――
つまり今、まさに婚約話が進もうとしている!
(ふざけんなふざけんなふざけんな! なんで顔合わせの段階にまで話が進んでんだよ! 王族との縁談だぞ? 難色示しただけでも角が立つだろうが!? どうする? こっからどうやれば婚約話はなかったことに――)
「……っ!」
(――って、うわやっべ!!)
ジークフリートが眼を見開いて仰け反っているのを見て、スカーレットは内心で悲鳴を上げた。
あちらは驚愕していたが、こちらがどんな表情をしていたのかは自分でもよくわからない。ただ人前に出してはいけない顔をしていただろうというのは察していた。
ごまかしようはなかったかもしれないが、それでも咳払い一つの間に表情を消す。ジークフリートは未だ(何に対してかはよくわからなかったが)驚いたままだが。
と、現れた二人を自身の前に出して、ラトールが言う。
「今日はね、君にお礼を言いに来たんだ」
「お礼……ですか?」
そんなことされるほどの何かをした覚えがなく、スカーレットはきょとんとしたが。
だからこそ、止める間もなかった。
何の前触れもなく、唐突にラトールが頭を下げたのだ。面を喰らったのはスカーレットの方だ。仮にもこの国で一番偉い男が、田舎の小娘に頭を下げているのだから。
「!? おやめください! そんなことをされる身では――」
慌てて引き留めるが、ラトールは聞きもしない。非公式の場とはいえ、一国の王に頭を下げさせるなどとんでもないことなのだが。
真っすぐに頭を下げたまま、凛とした声音でこう言った。
「――ありがとう。君が戦ってくれたおかげで、ジークとツェツィは助かった」
「…………」
その真剣さに――あるいはひたむきさに、思わず言葉を忘れる。
困惑して父を振り返るが、父はただ「仕方のない奴だ」などとぼやくだけだ。
が。
「違う! 父上――そいつじゃない!」
「……ジーク?」
唐突に否定を挟まれて、流石のラトールも顔を上げた。
視線の先、全員の困惑を受け止めたのは……怒ったように目を吊り上げている少年、ジークフリートだ。
「お前じゃない。アイツは男だった――双子の兄か、兄弟でもいるんだろう? あいつを出せ! お前みたいな女に話なんかない!!」
唾を飛ばすほどの剣幕で言い募ってくる。
取りつく島がないとはおそらくこのことだろうが――
「あのならず者たちと戦っていたのはお前じゃない! 兄弟の功績を横取りして、ボクたちに取り入ろうとするな! お前のような、卑怯で醜い田舎娘は失せ――」
「――あ゛あ゛?」
その辺りで、はたと。
ジークフリートは言葉を止めたし、スカーレットもきょとんと眼をしばたかせた。今の心臓が止まりそうなほどガラの悪い『あ゛あ゛?』は、スカーレットが上げたものではない。
ちらと見上げれば、そこには誰がどう見ても“ヤバい”面をしたヒルベルトの顔があった――端的に言えば“このガキコロす”系のヤバさである。こめかみ辺りの血管がぴくぴくしているのが特にマズい。
踏みしめれば丸太くらいはへし折れそうな足が一歩目を刻んだ辺りで、スカーレットは父の服の袖をはしと掴んだ。
「ステイ。お父様ステイ」
「む。何故止めるスカーレット。なに、安心しろ。ちょっと教育的指導をするだけだ」
「具体的には?」
「顔に拳」
「ダメですお父様。相手は王族です。法に抜け道はありません」
「先っちょだけ。先っちょだけだから」
「何の先っちょをどうするつもりかは知りませんが、それは娘が父親から一番聞きたくなかったセリフです」
そうしてため息交じりにジークフリートを見やると、彼は既に目を真っ赤にして、今にも泣きそうだった。
が、男の子の意地とでも言うのか、あるいは無謀か。気丈にもジークフリートは声を荒らげてみせた――泣き声一歩手前の震え声ではあったが。
「む、娘の愚行を咎めただけで怒るのか! そ、それが王族たるボクに取るべき態度か! ぶ、無礼者め、恥を――」
「ア゛ア゛?」
「ひっ」
「ステイ。スカーレット、ステイ」
「先っちょだけ。先っちょだけですから」
「それは娘から一番聞きたくないセリフだなあ……」
先ほどまでの怒りはどこへやら、しみじみとそんなことを言う。
と、ラトールが(息子への脅しはひとまずいいのか)楽しげに首を傾げて言ってくる。
「私の方では、君の娘が戦ったと報告を受けたけど……ヒルベルト、君、もしかして隠し子でも?」
「いるわけなかろう。私の子供と言ったらスカーレットしかおらん。第一、私は今も妻一筋だ」
娘の前で、割と居たたまれないことを堂々と言う。
涙目だが未だにこちらを睨んでいるジークフリートに、困惑顔のラトールとヒルベルト、不審顔の騎士たち、何か言いたげだが言い出せないツェツィーリアと、順に見回して。
さすがに言わねばならないかと、頬を書きながら呟いた。
「えーと。それなんですが……申し訳ありません、お父様。実は私、コムニアには男装して参加させていただいておりました」
「……は?」
という声は、誰があげたものだったのか。
ひとまずわかるのは、ツェツィーリアではなかったということくらいか。そもそも彼女は先ほどこちらの顔を見た瞬間にスカーレットのことに気づいたようなので、声を上げるはずもないのだが。
一番狼狽えていたのは、ジークフリート――ではなく、父だった。
「な……何故? 男装?」
「領主の娘がそのまま参加すると、面倒が多いのではと思いまして。親の七光りと笑われたくなかったのです」
「そ、それで男装か……いや待て。別に町娘の変装でもよかったのではないか?」
「森の中を歩くのに、スカートは不便では、と思いまして」
「しょ、証拠は!? お前があいつだったって証拠は……!」
と、ジークフリートが口を挟んでくる。
スカーレットとしては別に嘘でもよかったのだが、さりとて父とその友人(しかも国王陛下)に、自分が嘘をついたことにされるというのは如何ともしがたく。
ひっそりとため息をつくと、スカーレットは吐いた分以上に深く息を吸い――
思いっきり、叫んだ。
「――マスターキーっ!!」
「……っ!?」
傍から見たら、唐突に意味不明なことを叫んだことで奇異の視線が集まるが。
半分諦めながら、そうしてスカーレットは頭上に手を伸ばした。
――と、空から落ちてくる、影。
館の方から飛来しただろうそれは、スカーレットの遥か上方まで飛来すると、そのまま直角に落ちてきた。
タイミングを計る程でもなく、今だろうと思った瞬間に拳を握れば、それはパシィと小気味良い感触と共に手の中に納まる。
スカーレット自身よりも大きい、長大な斧だった。くるりと棒でも振るように一回しすると、決してハリボテではない風圧が生まれる。
大人たち――と、ついでにジークフリートが呆然とする中、スカーレットは柄の先端である石突を地面に下ろしながら告げた。
「ならず者たちに襲われた際に、いつの間にかこれを握っておりました。不思議と手になじみましたもので……戦闘の際には、これで応戦を」
「……斧の、魔具か? それは?」
さすがに武人か。珍しい武器を見て、父の戦士の血が騒いだらしいが。
そんな父に怪しむような視線を向けて、ラトールが言う。
「ヒルベルト……君、まさか、よりにもよって娘に“メイスオンリー的”な教育を?」
「しとらん! 本当にしとらんぞ。一切しとらん! す、スカーレット。お前は……本当にそれで、ならず者たちを?」
後半はこちらに向けて、父が訊いてくる。その顔はもはや泣きそうというか、青ざめて悲壮感たっぷりだ。
まさか、淑女として育てていた娘が、斧でならず者と戦えるなどとは思いたくもないのだろう。その気持ちはわからないでもないので、あはは……と乾いた笑みでごまかす。
「ええ、まあ……ただ、正直なところ、どのようにして戦ったのかはあまり覚えていないのです。戦い方も、習ったわけではありませんし……強いて言うなら、メイスオンリーの血、でしょうか?」
言えない。実は勝手に国境警備隊の仕事に混じっていたなどと、とてもではないが絶対に言えない。
魔具の励起状態を解除しカギに戻すと、スカーレットは改めてジークフリートに向き直った。
「これで納得していただけませんか?」
「…………」
よほど認めたくないらしい。まあ、確かに子供とはいえ男が女に守られたなどというのは認めがたいものだろう。“彼”も男だったのでその気持ちはよくわかる。
だが流石に、次の反応はいくら温厚なスカーレットでもいただけないものだった。
「……ふんっ!!」
「お兄様……!」
憎々しげに荒い鼻息を吐き、スカーレットからそっぽを向く。間違った主張で食って掛かったくせに、いかにもクソガキな態度である。
反対にツェツィーリアは、そんな兄を咎めようとするいい子なのだが。
(ふうん。ほお。へー。助けられておいてそういう態度取るわけか? ほお?)
だったらこっちも相応の態度を取るぞ――と、思わずケンカ腰になりそうになるが。
と、父ヒルベルトがぽつりと呟いてくる。
「……顔合わせは失敗だな? どう控えめに見ても、これは相性が悪すぎるぞ」
「……?」
状況観察の結果としての呟きではなく、ラトールに確認するために言ったらしい。内緒話というほどのトーンでもなかったが、囁くほどの声量だ。
ついでに言うと、どこか嬉しそうでもあったのだが。
対称的に、ラトールは意外そうな声を上げた。
「まさか。これでも君と私の時よりはマシだろ? なにしろ、まだ誰も気絶してない」
「……私が言うのもなんだがな。暴力沙汰の有無を顔合わせの成功基準にするのは、明らかになにか間違っておるだろう」
「君からそんな常識的な言葉なんて聞きたくなかったよ。“メイスオンリーの洗礼”がなかった時点で、私からしたらまだ良いほうだと思ってるんだがね?」
「貴様と私の時を基準に考えるでないわ、たわけめ」
とは吐き捨てたものの、諦めたのはヒルベルトのほうが先だったようだ。
ヒルベルトはやりきれない何かを堪えるように首を振ると、大変弱々しい顔で、スカーレットのほうに向きなおってきた。
心底嫌そうに、だが観念したように、行ってくる。
「すまんな、スカーレット。呼び出しておいてこんな顔合わせとなってしまったが……用事はそれだけではなくてな。お前に、頼み事がある」
「……頼み事、ですか?」
何故だろうか。とても嫌な予感がする。
今の言いようからして、ジークフリートとツェツィーリアに関係することなのだろう。
だがジークフリートに対してわざわざ嫌われかねない言動をしたスカーレットとしては、この後彼と一緒に行動するなど死んでもごめんだった。
――のだが。
父ヒルベルトは無情にも、こう言い切った。
「お遣いを頼む。届けてきてもらいたいものがあってな……そこに、王子と姫殿下も一緒に連れてってあげてくれんか? 観光案内みたいなものとでも思ってくれ」
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