幕間2 大人たちの暗い話

 街へ向かう馬車を見送って数分後、ヒルベルトが感じていたのは“ひとまずはやりきった”という徒労感だった。

 娘に怪しまれずに送り出せた。任せたお遣いは部下に手紙を渡すことだが、本来はヒルベルトが部下に会いに行く予定だったのだ。それを、この場から娘たちを遠ざけるための言い訳に使った。これで、最低でも午前中は娘たちはここに帰ってこないはずだ。

 娘に嘘をつくのは大変心苦しいが、それでもこちらに残すよりははるかにいい。これから始まるのは大人の薄暗い内緒話だ。そんなものを聞かれる可能性があるくらいなら、館から遠ざけたほうがよほど健全だろう。

 と。


「ありがとう。こちらの意を酌んでくれて助かった。よく話を合わせてくれたよ、おかけで体よく厄介払いできた」

「……貴様な」


 じろりと半眼で、腐れ縁である男――ラトールを睨む。だが付き合いが長いからこそわかることもある。この厚い面の皮を一睨みした程度では、痛痒など与えられるわけがない。

 本来であれば敬意をもって接するべきクリスタニアの王相手に、ヒルベルトは噛みつくように吐き捨てた。


「よくもまあ、娘に対して嘘をつかせてくれたものだ。内緒話をしたいなどとサインを出しおって。私に娘たちを遠ざけられるネタがなかったら、どうするつもりだったのだ?」

「その時にはまあ、君の娘に息子たちの観光案内でも頼んだよ。というより君がサインを忘れてなくて安心した。おかげで変に話がこじれないで済んだからね」


 だが苛立ちを向けられたラトールはにべもない。

 受け流すように肩をすくめると、悪気はないとでも言いたげに、


「まあ、君が怒るのも仕方がないとは思ってるんだよ。何もかもが急だったからね。急に領へと来訪して、急に攫われた娘の救出をお願いして、急に婚約話を持ち掛けて、今度は急に家へ訪問して内緒話。昔の君なら話も聞いてくれなさそうだ」

「そうだな。正直今も聞きたくないと思ってる。せめて事前通達くらいしてほしかったものだが?」

「そうできるならそうしてたさ。でも、こちらも差し迫っていてね。取れる選択肢がそんなになかったんだ」

「だから私に泣きついてきたと?」

「よくわかってるじゃないか」


 さも我が意を得たりとばかりに、ラトール。そのしれっとした様に、うんざりとヒルベルトは息を吐いた。

 とはいえ、ラトールも別に居丈高にそれを言ったわけでもない。一応は彼もすまなそうな顔をしてはいた。


「……人に聞かせたくない話は、奥まった部屋の中でするに限るね。応接室辺りがいいんじゃないかな。館に行こう」

「私の館だぞ」


 勝手知ったる人の家、などということはないはずだが。先を歩き始めたラトールの後を追って、ヒルベルトも館へと歩き出した。追い越して先導する。

 もちろんというべきか、ここにいるのはヒルベルトとラトールだけではない。ラトールが護衛として連れてきた近衛騎士五名のうち、三人がラトールの護衛として残った。

 後の二人、騎士の中で最も若そうな男と馬車の御者担当だけは第三王子殿下と姫殿下の護衛としてついていった。


 すれ違う従者たちに都度『気にするな』と指示を出しながら応接室の前まで来ると、ラトールは騎士たちに待機を命じて部屋の中へと入っていった。

 ヒルベルトもその後に続いて、扉を閉ざす。


 応接室は来客対応のためだけの部屋だ。とはいえ、対象として想定されているのは領民や商人がせいぜいではある。中央に置かれたテーブルと椅子はそこそこのものだが、それ以外には何もない。

 貴族を迎えるための部屋ではなく、ましてや王族を押し込めるのに適した部屋でもないのだが。


(そんな場所で国王と密談をするわけか……王城の連中が知ったら怒りそうな話だが)


 ため息でもつきたい気分で、ヒルベルトはどっかと椅子に腰を掛けた。

 と、それよりは上品な仕草で音もなく、ラトールもまた対面に座る。

 切り出したのは、ラトールのほうが先だった。


「まずは、先に謝っておこうと思う」

「……?」

「婚約の話をダシにして、説明もなしに君と娘を巻き込んだ。すまなかったと思っている」


 まさか、開幕謝罪とは。予想外の切り出しに、思わずヒルベルトは面食らった。

 驚きと怪訝をないまぜにした瞳で見やれば、思いのほかラトールは固い顔をしている。密談の場で謝罪をしたのは、王が軽々しく頭を下げるわけにはいかないからだと予想はついたが。


「婚約、な……」


 うんざりとした気分で、ヒルベルトはその単語だけを繰り返した。

 思い出すのは先ほどの一幕だ。娘に助けられたというのに嘘つき扱いし、いざ自分の発言が間違ってたと知ったらふてくされる第三王子。ハッキリ言って印象は最悪だ。娘と一緒に出掛けさせたのも業腹ではある。

 が、今は一旦置いておく。

 静かに息を吐くと、ヒルベルトはラトールを睨みつけた。


「貴様にしては、随分と雑に話を持ってきたものだ。お前の娘がさらわれたことまで含めてだぞ。巻き込んだとはよく言ったものだ――……婚約をカモフラージュにして、貴様、いったいどんな厄ネタを持ってきた?」

「…………」

「誰にも知らせずお忍びでやってきたはずの田舎領で、第四王女が誘拐されただけでも大事だ。そのわずか数日後にコムニアに参加させたのも馬鹿げている――コムニアに関しては王家の事情もあるから、情状酌量があるかもしれないがな。だが……第三王子と第四王女が、護衛もなしに、飛び入りで参加したはずのコムニアで、都合よくならず者たちに襲われる? それを偶然で済ませる気か?」


 一字一句、噛みしめるようにして、問う。

 対峙するラトールも、もう笑ってはいない。だがそれでも時間を稼ぐ様に、本題には触れなかった。

 言い訳のように、ぽつりと言ってくる。


「……護衛なら、いたよ。森の中に隠していた。いざとなったら皆を助けるように指示してあった」

「つまりは襲撃がある可能性は知っていたと……そのくせ、娘が戦っていたのは放っておいたと? よくもまあ抜け抜けと言えたものだな――貴様らがまだ息をできているのは、私からの恩情だとわからないか?」


 明確に殺意を仄めかし、できないなどと思うなよ、と。視線に憎悪すら込めて囁く。

 はらわたが煮えくり返るというのはこのことを言うのだろう。昨日、何があったのか。ラトールたちにどんな問題が起きているのか。それをヒルベルトはまだ完璧には把握できていない。

 だからわかるのは、その問題とやらに巻き込まれたせいで娘が死にかけたという事実だけだ。

 たまたま娘が武器を拾い、たまたま娘が戦えたからよかった――だが、そうでなかったら?


 昨日の事件の中で、森の中に護衛がいたなどという話など一切聞いていない。つまり、彼らは娘がならず者たちに襲われていてもなお、動かなかったのだ。おそらくは、王子たちの身の安全を優先したがために。

 次にこの男が何を言うか。それ次第では本当にくびり殺すことすら覚悟に決めて、待つ。

 やがて。震える声でラトールが呟いた。

 

「……すまない」

「…………」

「だがその上で、恥を忍んで言う――どうか、助けてくれ」


 そして慈悲を乞うように、深々と頭を下げる。その姿は王としてふさわしいものではない――

 つまりは、と。無言のまま、ヒルベルトは胸中でごちた。

 つまりは、これが本題だ。

 家臣にも内緒でメイスオンリー領へと来た。バレてもいいようにと、わざわざ婚約話をカモフラージュとして用意して――助けてくれ、と。その一言を言うために。


 それを言ったラトールは、未だに頭を下げ続けたままだが……

 心底うんざりと、ヒルベルトは呟いた。


「昔を思い出した」

「……昔を?」

「一番初めだ。父親に引きずられて行った王城で、クソ生意気なガキをぶん殴った」


 父同士の中がよいからと、友達になってやれと言われて連れてかれた先での出来事だ。

 その時も確か、今回のようにコムニアの後の日だったはずだ。誰よりも強力に“祝福”を授かって、増長していた生意気なガキのことをヒルベルトは今でも思い出せる。

 ラトールにとっては恥の記憶だろう。彼は苦笑の出来損ないのような顔で、


「ああ……懐かしいね。なんだったかな……確か、『田舎貴族の分際で、ボクの傍に寄ることができて光栄だろう?』だったかな。今でも覚えてるよ。王子を殴る奴がいるなんて、当時は理解できなかった」

「その時は王子だと思ってなかったからな。今の苦労を思えば、あの時もう少し殴っておいても損はなかった」

「やめてくれ。アレはとても痛かった」


 おかげで目は覚めたがね、などと懐かしむようにラトールは言うが。

 どうして今更そんなことを思い出したかといえば、ふと“似ているな”と思ったからだ。

 クソ生意気なガキと、無意味に暴力的なメイスオンリーとの邂逅。自分の時、父はどう思いながら子供たちを見つめていたのか。そんなことを今になって考える。

 そして自分が父の立場になり、娘とラトールの息子の邂逅に立ち会った時。自分は何を考えていたのか――それはまあ、わかる。

 面白くない、だ。


(もしかしたら、娘を連れていくことになるかもしれないガキだ。ラトールがそれを本気で望み、あのガキがそれを本気で受け入れたのなら……あるいはあのガキがそれを望んだなら。私に逆らう権利はない)


 そして連れ出された後には、もうヒルベルトの手の中に戻ってくることもあるまい。だからこそ、憎く思う。

 だがそれでも、こう思うのだ。

 

 ――仮にも友の子だ。たとえクソ生意気なガキであろうと、死を願うほどには嫌ってもいない、と。


 深々と――そして苦々しく嘆息して、ヒルベルトは呟いた


「本題に入れ。皆殺しはその後に考える」

「……すまない」


 睨みつけていた視線の先、ラトールは小さく息をついた。吐いた、というよりは抜いた、というような息の吐き方だ。

 その呼気の中に浮かべていた表情を流し込んだかのように。

 

「ジークとツェツィ……そして、君の娘も、無関係じゃないんだ」


 無表情を作って、ラトールが切り出した。


「――子供たちの命が、邪教に狙われている」

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