2-5 断ってくださいまし

 入浴を終えて身支度を済ませると、スカーレットは脱衣場から出た。

 お供にソニアを連れて、廊下を歩く。目指すのは父ヒルベルトの待つ小食堂だ。

 この館には食堂が――面倒なことに――三つある。従者たちも使う大食堂、来賓対応用の正餐室、そしてメイスオンリー家のみが使う小食堂だ。父がいない時にはスカーレットは大食堂を利用するので、小食堂はほとんど使われない。

 あまり気乗りのしない小食堂までの道すがら、ソニアがぽつりと訊いてきた。


「そういえばお嬢様、今日はすんなりと“普通”の服を着られましたね?」

「ああ、これのこと? そりゃまあ、今日は親父殿がいるし」


 言われてスカーレットは自分の服装を見下ろした。

 簡素でシンプルな、白のワンピース。こうした飾りげのない服は本来ならお忍びで街に出かける時の装いなのだが、材質がいい上にほつれがないので一発で『ああ、貴族令嬢がお忍びで来たんだな』とバレる。変装の意味などサッパリない。

 ではなぜそんな服を着ているかといえば、これがスカーレットの持つ服の中では一番マシなものだからだった。


「親父殿、趣味悪いんだよな……あんな顔して可愛い系しか買ってこねえし」

「……顔、関係あります?」

「あるだろ。というか怖えだろ普通。あの強面がフリフリドレス買ってったらよ。どんな顔して店から買ったのか気になって仕方ねえよ」


 唇を尖らせて、うんざりと呟く。ヒルベルトが用意する服は、大抵が女の子らしさを素直に表現するものばかりなのだ。シンプルにスカーレットとは好みが合わない。

 ちなみにだが、ソニアはヒルベルトと趣味が合うらしい。なのでなおさらスカーレットはうんざりさせられるのだが。


 なんにしろ、そんな風に話をしている間に、二人は目的地までたどり着いていた。

 小食堂の扉の前で立ち止まる。

 父が待っているだろうその先をなんとはなしに見つめていると、ソニアもそちらを見つめたまま、声を潜めて言ってくる。


「お嬢様、よろしいですか? ああ見えて、旦那様はとても繊細なお方です」

「知ってる」


 なにしろ、娘がちょっと暴れただけで泡を吹いて気絶するほどだ。

 国境警備隊の長にして、未だ負け知らずの軍神という偉大なマスラオに違いないのだが。ことスカーレットに関してだけは、何故か死ぬほど徹底して弱い。総じて言えるのは「変な人だなあ」という雑な感想だが。

 小さくため息をつくと、ソニアは真面目な表情で囁きの先を続けてくる。


「これ以上旦那様に負荷をかけると、旦那様の精神が壊れかねません。昨夜の様子を覚えているでしょう。それほどまでに旦那様は繊細なのです」

「だーから、わかってるって」

「言葉遣いにはどうかお気をつけください。淑女の態度を崩すとそれだけで危ないかもしれません。よろしいですね?」

「合点承知」

「被る猫の準備は?」

「任せろ」


 頷くスカーレットは既に表情を引き締め、淑女の佇まい。

 そんな様子を横目で見やって――ソニアは扉の先へと声をかけた。


「失礼します、旦那様。お嬢様をお連れいたしました」


 ――ガタンっ!!


 返答の代わりに聞こえたのは、そんな音だった。おそらくヒルベルトが驚いて、何かしたのだろうが。


「中々緊張されてるご様子」

「あーもう。ナイーブなんだから、まったくもう」

「――は、入りなさい」


 ぼやきの最後は、そんな扉の先からの声にかき消された。

 ちらりとこちらを振り向いたソニアに頷くと、ソニアは食堂の扉を開ける。


 わかってはいたが、食堂は非常にこじんまりとしていた。調度品のようなものはほとんどなく、飾り気のない部屋でもある。窓の脇にあるカーテンと、奥の壁に飾られている、母アリアの肖像画くらいがこの部屋の彩りだった。家具も食堂としての機能を果たすためのテーブルくらいしかない。

 奥側であるホストの席に、父ヒルベルトが座っていた。ヒルベルトの背後には、彼の執事を務めるメイスオンリー家の従者筆頭、ジョドスンが立っている。

 大柄な父がこじんまりとしたテーブルに座っているのは、なかなかどうしてシュールな光景だが。なんにしろその先から――微妙に頬を引くつかせながら――ヒルベルトが声をかけてきた。


「や、やあ、スカーレット……き、気分は、どうだね?」


 ――おはよう。気分? まあ調子は悪くないよ。


 うっかりそう言いたくなる衝動を堪えて、スカーレットは深々とお辞儀した。


「おはようございます、お父様。気分も体調も、もう問題ありませんわ。ご心配をおかけしてごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げる。と、なにやら視線の外から「おぉ……」と感嘆の吐息が二つ。

 その「おぉ……」にどんな意味が込められてたのかは知らないが、スカーレットは少し慌てたように顔を上げ、付け足した。


「あと、昨日は取り乱してしまって、ごめんなさい。あの……あの、ね? あんまり覚えてないのだけれど、あんな風に暴れたかったわけじゃないの。ただ、その。起きたら記憶が繋がらなくて、慌てちゃってね? なんであの部屋で寝てたのか、わからなくって。お医者さまもいっぱいで、そしたら私、わけがわからなくなってしまって――」

「ああ、ああ! わかっているとも、混乱してたんだね? 昨日のアレは、スカーレットの意思ではなかった。そうなんだね?」


 確認する――というよりは、どこかすがるようにしてヒルベルトが言う。

 わけがわからなくなったという主張をヒルベルトは信じたがっているようだ。実際のところは、全てスカーレットの意思で暴れたのだが。

 ごまかすには都合がいいと判断して、スカーレットはきらりと目を光らせた。

 小首をかしげて、訊く。


「昨日のアレって……?」

「いや、いい! いいんだスカーレット! 覚えていないのなら――んんっ!! うん、何でもない。何もなかったんだスカーレット。いいね?」

「……? 変なお父様」


 何が何やら、という体を装って呟く。ヒルベルトはこちらの様子に安堵したように息を吐いていた。

 だがスカーレットの内心はこれだった。


(チョロいな、親父殿)


 背後からソニアの「うわあ。この子マジでやりやがった」を感じたりもしたが。


 ひとまずスルーして、スカーレットはテーブルの左側についた。ヒルベルトの隣にも椅子はあったが、そこには座らない。そこは亡き母の席だからだ。

 ジョドスンとソニアが用意されていたワゴンから朝食を出し、ヒルベルトたちの前に並べていく。量は控えめで内容も簡素なものだ。スカーレットは病人というわけではないが、気絶した昨日の今日ということで重いメニューは気を遣ったらしい。


「ではスカーレット。そろそろ食事にしようか」

「ええ、お父様」


 そうしてヒルベルトが食前の言葉を口にすると、スカーレットも唱和する。

 ちなみにソニアとジョドスンの分はなしだ。二人は戸口の脇に立って、食事が終わるまで待ち続ける。食事くらい一緒でもいいのにと思うのだが、これはジョドスンの希望だそうだ。

 主人と従者という境界線を、誤らないようにとの自戒を込めているらしい。スカーレットとソニアとはまた違った主従関係だ。


 なんにしても、スカーレットはすぐに食事に手を出した。思えば昨日の昼からこれまで、何も食べていないのだ。空腹を意識してしまうと我慢もできず、スカーレットは食事に集中する。

 そんな様を、ヒルベルトは何も言わずに見つめてくるが。

 機を見て、スカーレットは問いかけた。


「そういえばお父様。お家で食事をとってるってことは、お仕事はお休みなの?」


 父ヒルベルトは多忙の身だ。メイスオンリー領の領主で、国境警備隊の長でもある。また、国境警備隊は国境守護だけでなくメイスオンリー領の治安維持機関も兼ねているため、こちらも常に忙しい。

 ただし、そんな父でも娘の誕生日を目前に控えたこの時期だけは、無理矢理折り合いをつけて帰ってくる。あと十日ほどでスカーレットの誕生日なので、そろそろ父が仕事休みに入ってもおかしくはないのだが。


「ああ、そのことなんだが……」


 父はどこか歯切れの悪い声で呟くと、表情を曇らせて言ってきた。


「すまない、スカーレット。どうも、私の友人が面倒事を持ってきたようでな……今日は、お前がケガをしたと言うから帰ってきたが……」

「……大変そうなことなの?」


 父が仕事のことをスカーレットに教えてくれるはずはないが、普段なら微笑みと共に大したことはないと言ったはずだ。

 その父がここまで言いにくそうにするということは、よほど厄介な案件でも抱えたか。

 伺うように顔色を覗いていると、父はやがて決心したように表情を硬くして、


「なあ、スカーレット……結婚ってどう思――」

「断ってくださいまし」

「――うって、えっ」


 半ば食い気味に拒絶すると、さしものヒルベルトも驚いたように硬直していた。

 が、そんなことは知ったことではない。スカーレットにとってはこれが――この話こそが本題だ。

 会話の糸口を探ってこの話に誘導しようと考えていたが、早々に話題に上がったならもう誘導の必要もない。

 早速やってきた本題に、スカーレットは思いっきり噛みついた。


「断ってくださいまし、お父様。私、誰とも結婚なんてしたくないわ」

「い、いや。だがだなスカーレット? せ、せめて話だけでも……」

「や」


 プイッと一度、顔を背けてから言い直す。


「いやったらいやです、お父様。私、誰かと結婚するって想像ができないの。いや。絶対にいや。お家のためにお婿様を迎えなければいけないのなら、私の代わりにカイルお兄様を当主にすればいいと思うわ」


 お、おう……と父は狼狽えるが、スカーレットは取り合わない。

 父を相手に主張をゴリ押すときのポイントは、いかに子供っぽく振る舞うかだ。長年子供をやってきたので、その辺は身に染みている。この父は娘に極端に弱いので、そこを利用しない手はないのだ。

 なにしろ、この“作戦”にスカーレットの今後がかかっていると言っても過言ではない。

 そう、作戦だ。入浴中からここに来るまでの間に考えていたのだ――どうすれば、自分が男と結婚せずに済むか。

 その答えがこれだ。父をオトす。あるいは、そう――父を脅す。


(せめて話だけでもってことは、内密に話が進んでやがったな? 冗談じゃねえ……親父殿にゃ悪いが、まだ成立してない今のうちに叩き潰させてもらうぜ)


 父と王族にどんな伝手があって、どうやってコンタクトを取ったのかは疑問だが。だがまだ打診の段階だろう――でなければ、ヒルベルトの言い方はもう少し強制感のあるものになったはずだ。

 なので、今の時点で芽は摘んでおく。

 にっこりと笑って、言葉遣いもより丁寧に。ワガママだとはわかっているが、それでも二度と、こんな話が復活したりはしないように。

 スカーレットは父を脅しにかかった。


「お父様……もし私をどなたかと結婚させようとしてたら、私、怒りますからね?」

「……ぐ、具体的には」

「グレます」

「えっ」

「家出します。出家も視野に、二度とこの家には帰りません。絶対の絶対の絶対に、私は結婚なんてしません!」


 この場で――そして淑女として許される範囲において、スカーレットは全力で叫んだ。激情のままに父を睨むが、男と結婚させられることを思えば自然と涙も溢れようというものだ。実際、泣きたいくらい嫌なのは事実だし。

 それが伝わったかどうか。狼狽えていた父も時間が経つにつれ萎んでいき、最後にはぽつりとこう漏らした。


「お、おお……わ、わかった。わかったよ、スカーレット……」

(――よっし!!)


 そして胸中で快哉を叫んだ。許されるなら、思わずガッツポーズでもしただろう。快心の説得に、スカーレットは勝利を確信した。

 これだけやれば、父も早々に婚約話を持ってきたりはしないだろう。また数年後どうなるかはわからないが、少なくともこれで時間は稼げた。この隙に「あ、この子婚約させたらホントに逃げ出すな」と思わせる布石を打って、自分の将来を安泰に――


 と。

 

「……うん?」

 

 不意に食堂の外から足音。ヒルベルトも気づいたようで、きょとんと顔を見合わせた後、一緒に入口のほうを見やる。

 やってきたのは従者の一人だった。距離が短いため疲れた様子はないが、慌てていたのか多少息が荒い。食事中に乱入という失礼を詫びた後、彼は父にこう言った。


「旦那様、至急正門前までお越しください。お客様にございます」

「……客? もしかしてアイツか?」


 心当たりがあるらしい。すまないとスカーレットに詫びると、ヒルベルトはジョドスンを連れて外へと向かった。

 食事中だというのに迎えに行かなければいけないということは、よほどの上客か。朝からやってくるということは急ぎの用事なのだろうが。

 後に残されたスカーレットがソニアのほうを見やると、彼女は相変わらずの無表情で、だがさり気に失礼なことを言ってきた。


「本当にあったみたいですね、婚約話。なんとまあ、物好きな方もいるものだと思いましたが」

「物好きってお前……まあ否定はできないか。オレのことは抜きにしても、田舎貴族と縁繋いだってしゃーないし」


 メイスオンリー家は歴史こそ古く、責務も国境守と中々に重役めいた地位を築いているが。一方で田舎貴族のそしりを受けている通り、大したことのない一族でもある。

 資産らしい資産は特になく、立地も文化や政治の中枢と言える王都からは遠く、更には宮廷社会に縁という縁をまったく持っていない。ついでに言えば敵国と隣接しており住民も他と比べればガラが悪いと、どれだけひいき目に見ても“お買い得”とは言い難いのだ。

 ましてや、それを買おうとしているのが王族である。ますますもって物好きにもほどがある。


「……ま、なんにしても、これで婚約の話もチャラってこった。案外案ずるほどでもなかったかな?」


 と、スカーレットは肩の力を抜いた。

 あれだけ言われたら父も流石に考えるだろう。あの父のことだから、娘が嫌がっていると知れば婚約話など流してくれるはずだと確信している。

 ひとまず降りた肩の荷を想って、スカーレットはぽつりと呟いた。


「これで後は、邪神がどうこうも解決してくれりゃ楽なんだけどな……」


 そんなに簡単に行くわけないでしょ、なんて幻聴が聞こえた気もしたが、スカーレットは努めて無視した。

 そしてこの後すぐ、そんな簡単に行くわけないことを思い知るのだった。

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