2-4 誰が男となんか結婚するか!!
『ジーク様……どうして……?』
その少女は、一目見てそうとわかるほど傷ついていた。
十六になっても、なお幼さを残した愛らしい顔立ち。月光に照らされた少女の白金の髪は、淡い月の光を優しく反射する。
真ん丸に見開かれた栗色の瞳には今、赤い瞳の美しい女が写り込んでいた。赤い女と、もう一人。金糸のように鮮やかに光る髪をした、美丈夫を。
ひどく晴れ渡った、月の綺麗な夜だった。祭を終え、聖ディーヴァ学園は静まり返っている。校舎裏にある寂れた森の、一区画。
彼女たちは今、ご神木とされる天まで伸びるような木の下に立っていた。
驚愕と、絶望と。それを嘘だよね? と歪な微笑みで隠そうとする少女を見て、美しい女は微笑んでいた。
ジークと呼ばれた男は気まずそうに目を逸らしたが、女にとっては今この時こそが、何よりも心躍る瞬間だった。
『どうして? 不思議なことを言うのね。この人は元々私の婚約者じゃない。それに……今日がどんな日か、知っているのでしょう?』
クスクスと、喉を鳴らして女は笑う。その様子に、少女はビクと怯えを見せた。
そう。学園祭を終えた最後の夜には、特別な言い伝えがある。
愛し合う二人がこの“大トネリコ”の下で想いを交わすと、精霊たちがその想いを祝福し、二人は永遠に結ばれる――というものだ。
どうして少女が独りでご神木までやってきたのか。美しい女は知っている。想い人と結ばれたかったからだ。
今日というこの日、彼なら来てくれるだろうと、少女は信じてここにやってきた。
そうして、果たして彼はそこに来た。だが……それは少女の想いに応えるためにではない。
『すまない……×××』
美丈夫が少女の名前を呼ぶ。その名を聞き取ることはできなかったが。
『俺は……君の想いに、応えられない』
それが別離の言葉だと。少女も、美丈夫も、美しい女もわかっていた。
『君の想い、嬉しかった。だけど、君じゃあダメなんだ。俺はもう……俺の唯一を見つけてしまった。愛すると決めていたんだ。この人を』
言いながら。美丈夫は、傍らに立つ美しい女を手繰り寄せた。
美しい女の肩を抱き、視線は挑むように少女を見据える。美しい女はそれを受け入れて、しなだれかかるように美丈夫に体を預けた。
それ以上、美丈夫が少女にかける言葉などない。だが、そのしぐさだけで少女を絶望させるに十分だっただろう。
少女は絶望に膝から崩れ落ちる。それを心底愉快だと見つめながら――美しい女は、美丈夫の頬に手を伸ばした。
美しい女は愛を囁かない。そんなもの、その女は男に抱いていない。だというのに、女は美丈夫の顔に己の顔を近づける。
二人、吐息が触れ合うほどの近さで。美しい女は横目に少女を見下ろし、囁く。
『……×××。“今回”は、私の勝ちね?』
そして美しい女は――
“スカーレット”は、美丈夫の唇に自身の唇を――……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――うわああああああああああッ!?」
瞬間、ばっとスカーレットは跳ね起きた。
心臓がドクドクと痛いほどに脈を打つ。全身から汗が噴き出て寝巻はぐっしょりだ。酸欠にあえぐように息をするが、呼吸は一向に落ち着かない。
寒いのか、熱いのか。そんなことさえわからない。ゼェハァと肩で息をしながら、シーツを握り締めて息を整える。
半ば放心しながら、スカーレットは呟いた。
「ゆ、夢……?」
夢、だったのだろう。少なくとも景色は一変していた。
目の前にはもう、妙に整った顔立ちの美丈夫の姿はない。場所も森の中ではない――天蓋付きのベッドが置かれた、スカーレットの部屋があるだけだ。
時刻は早朝か。窓から差し込む日差しでそれを察したが。
少しずつ息を整えながら、スカーレットは自身の唇に手を添えた。
幸いにも感触は残っていなかったので、まだ平静でいられたが、脳裏にはまだ夢の光景が焼き付いていた。
よりにもよってスカーレットは自分から、あの男の唇にこの唇を――
「うわあああああああ……」
イヤだ。絶対にイヤだ。死んでもイヤだ。イヤすぎてベットの上で身悶えする。悶えたから何かが変わるというわけでもないのだが。ひとまずスカーレットは全力で悶絶した。
しかも、記憶が確かならば――
(婚約者――ジークっつったか? アレが? スカーレット・メイスオンリーの?)
スカーレットと同い年くらいの、金髪の美丈夫。知らない顔かと思ったが、“彼”は一度、その顔を見たことがあったことを思い出した。“彼”が“彼”として終わった日のことだ。
あの女と初めて出会った日、女に婚約破棄を申し出た男――
ただし、違和感もあった。
(あいつ、スカーレットのことを愛してるとか言ってたか? でも、あの日のあの男は別の女のとこに行くって言ってた……よな? もしかして二股か?)
だとするとマジメそうな顔立ちのわりに、女遊びの激しい男なのかもしれない。
だがまあそこはどうでもいい。いや、本当はよくないのかもしれないが、まあ今はどうでもいい。
問題はたくさんあるが、一番の問題は“あの女”が言っていたことだった。
――邪神の花嫁は洗脳されて、世界の滅びを手伝わされるということ。
“彼”が知る限り、“スカーレット・メイスオンリー”は傾国の悪女だ。高位貴族や豪商、騎士の幹部たちをたぶらかし、政治家を腐らせて国を戦争へと導いた。その手管は当時伝説になったほどだ――噂には尾ひれがつくものだとしても。
だからこそ、“彼”はあの女に報いを受けろと言ったのだが。
もしそれがあの女の意志ではなく、邪神や邪教の命令だったとしたら?
(てことは、何か? もしオレが“邪神の花嫁”にさせられたら、これからはオレがさっきの夢みたいなことを――)
と。
「――おはようございます、お嬢様」
「うおわあああ!?」
至近距離から聞こえた声に、今度もスカーレットは悲鳴を上げた。
ばっと顔を上げると、ベッドのすぐ脇に一人の少女が控えている。
「そ、ソニア……? い、いつの間に……」
「およそ十分前に、でございます。いつだってそうだったでございましょう?」
真顔で、しれっと言ってくる。だがその言葉で多少、スカーレットは落ち着いた。
ソニアのメイド業はスカーレットを起こすことから始まる。そのため、確かにソニアがスカーレットの部屋にいるのはいつもの事だった。起こされて目覚めたスカーレットが「いつ来たのか」と訊ねれば、十分前と返してくるのもいつもの事である。
と、こちらが落ち着いたのを確かめてから、不思議そうにソニアは首をかしげてみせた。
「にしてもお嬢様、どうして悲鳴と共にお目覚めに? しかも何故かその後に顔を真っ青にしたり真っ赤にしたりしてのたうち回っておられましたが」
「…………」
そういえばあの一部始終を見られてたのかと、今更羞恥心が沸いてくる。いつもならそれでも「のたうち回ってなんかない!」と無意味に強がったりしただろうが。
わりとあの悪夢はスカーレットのメンタルを痛めつけたようで。
弱音を吐露するように、スカーレットは呟いた。
「夢。悪い夢見た」
「夢、ですか? 悲鳴を上げて起きるほどとは……いったいどんな夢を?」
「……男とキスする夢」
「…………」
何故か無言で絶句しているソニアに、縋りつくように手を伸ばす――
「ソニアぁ……オレ、男と結婚なんかしたくないよぉ……」
「お嬢様……」
アレは本当に悪夢だった。それがもし強制されてのものだというのなら、悪夢を飛び越えてもはや地獄だろう。
だからこそ、スカーレットは決心する。自分は絶対に邪神の花嫁にはならないと。男との結婚も心から拒絶する。自分は自分らしく生きるのだ、と――
だが。
伸ばした手にそっと手のひらをかさね、聖母のように優しく微笑みながら――ソニアが言ってきたのは、これだった。
「無理でございましょう?」
「なんで!?」
あまりの率直さに驚いて、スカーレットはその場に立ち上がろうとした。
だがそれより一手早く、ソニアはスカーレットの額を人差し指で軽く押した。こてんと尻餅をついて、思わず「あう」と声が漏れる。
そしてスカーレットを押したソニアはというと、やはりいつもの無表情で言ってきた。
「いいですかお嬢様。旦那様を含め、皆様どうにもその意識が薄いようですが……メイスオンリー家は国境の守りを任されるほどの、名門貴族なのですよ? 建国当時から存在している、わりと由緒正しい家系なのです」
言われて思い出す。スカーレット自身あまり意識したことはないのだが、確かにメイスオンリーは、一応は歴史の長い名家である。
「建国からこれまで荒事専門だったため、脳みそ筋肉だのなんだのと言われておりますが。そして分家を含めるならともかくとして、メイスオンリー本家のお子は、お嬢様だけなのです。これはいいですね?」
「うん? うん……うん。まあ。親父殿に隠し子とかいなければの話だけど」
「ありえないでしょう?」
今も旦那様は亡き奥様にゾッコンですので。
そう言い切ってから、ソニアは先を続ける。
「まあ隠し子云々はともかくとしてですね。そもそも貴族というのは、大抵の場合直系のお子が後を継ぐものと決まっております。またクリスタニアでは男系相続が基本ですので、男子に恵まれなかった家は婿を取る必要があるわけですね」
「ふむ……ふむ?」
「そして貴族というのはいるだけでただ偉いというわけではありません。貴族の特権は、責務を果たすことを対価として成り立っているのです。務めを果たし続けるためには、当然後継ぎが必要なわけで――」
「あ、ヤダ。ちょっと待って。それ以上先は聞きたくない――」
話の先行きが読めたので、先回りして歯止めをかける。
だがソニアは無視して容赦なく言い切った。
「お嬢様はどなたかを婿にもらって、お子を作る必要が――」
「ちょっとぉ!?」
あっさりと願いを裏切られて、驚きと共にスカーレットは悲鳴を上げた。
「ヤダって言ったのに! ヤダって言ったのに!! 子供作るって、なんで聞かせんのそういう生々しいの!!」
「いえ、必要なことですので」
しれっと――あくまでしれっと、ソニアはそう答えるが。
実際の所、スカーレットもわかってはいた。
理屈の上ではそうなる。メイスオンリーを例に挙げるなら、責務は国境の守護と辺境領の統治だ。スカーレットもメイスオンリー家の者なのだから、その責務から逃れるわけにはいかない――のだが。
スカーレットから言わせれば、それはそれ、というやつだった。
「イヤだからな! オレは絶対にイヤだからな!? 誰が男となんか結婚するか!! オレは自由に生きるからな!!」
「…………」
「……ねえ。お願いだから『何この可哀そうな生き物』みたいな顔はやめて?」
「かしこまりました」
存外素直にソニアは「何この可哀そうな生き物」みたいな顔をやめた。
それを見届けてから、スカーレットはうんざりと息を吐いた。そう長くするつもりもなかったのだが、疲労の全てを注ぎ込めば、自然とため息も長くなる。
と、不意にソニアがため息交じりに言ってくる。
「まあそもそもの話として、いったいどこにお嬢様をもらってくれる方がいらっしゃるのかということが問題なのですが」
(……心当たりがあるって、言いたくねーなーこれ)
なにしろ“スカーレット・メイスオンリー”の婚約者はクリスタニアの第三王子である。この国で最も偉い血筋の人間の伴侶となるわけだ。
こんな、田舎貴族の暴れん坊令嬢が、である。斧持って勝手に国境警備隊の手伝いをしている“令嬢失格”令嬢がである。
それを今、ソニアに言ったとしてどうなる? 十中八九こう言われる。
――お嬢様、頭でも打ちました?
(だよなー。オレが王子様と婚約するんだーなんて言い出したら、オレだってそう思うもん。普通に考えたらありえないしなあ……)
そもそも、何故こんな辺境の田舎貴族の娘が王族の妻に選ばれたのかがわからない。
第三王子は継承順位こそ第三位と言えど立派な王族だ。払い下げるにしたってもう少しマシな使い道があって良さそうなものだが。
(というか、なんか変だな? “邪神の花嫁”を王子と結婚させるか普通?)
当時は何も考えてなかったが、今にして思うと奇妙な話だ。明らかにおかしい人間を王族の身内に取り込む? 常識で考えたらありえるはずがない――
と。
「それよりお嬢様、少々失礼します」
「?」
不意の切り出しに、スカーレットはきょとんとまばたきした。
意識を現実に戻すと、ソニアが身を乗り出してスカーレットの額にそっと手を伸ばしてくる。
突然の奇行と少しひんやりとした柔らかい感触に、思わず動揺するが。
「……そ、ソニア?」
視線を添えられた手からソニアに戻せば、彼女は集中するように目を閉じていた。身を乗り出しているせいか、予想より近い場所に彼女の顔があったことにもびっくりしたのだが。
「熱はないようですね……お嬢様、お体の具合はいかがですか?」
「う? ああ、うん。そっちは大丈夫。むしろ、ちょっと元気が有り余ってる感じかも。なんか、今なら何でもできそうな気がする」
「さようですか。それはようございました」
ソニアの言葉は素っ気なかったが、その瞳がわずかに揺れているのをスカーレットは見逃していなかった。
心配をかけたのだなあと、その情動の揺れで実感する。ソニアがそういう面をこちらに悟らせまいとしているのもわかっていたので、スカーレットも何も言わなかったが。
そうしてソニアはわずかな感情の漏れすら消してみせると、スカーレットの額から手を離した。
「ではお嬢様。朝の挨拶も済んだことですし、湯浴みとまいりましょう。昨日は寝込んでいたわけですし、一度サッパリしたいでしょう?」
「……そだね。準備面倒だろうし、小浴場の方でいいよ」
「かしこまりました……あ、あとですね」
「ん?」
付け足された言葉に、きょとんとソニアを見やると。
ソニアは人差し指をピンと立て、こう言ってきた。
「旦那様が、入浴の後でよいから朝食を一緒にいかがか、と」
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