2-3 なんかイメージと違うな、お前

 亡霊のような、という表現が正しいのかどうか。

 ふと“彼”が考えたのは、どうでもいいといえばどうでもいい、そんなことだった。


 赤い髪、赤い瞳、赤いドレスの美しい女。その姿は今から十年前、“彼”がまだ“彼”であった頃と全く同じだった。

 淑女然とした薄い笑みまで、あの日の記憶と変わらない――それでもその女を亡霊のように思えたのは、女が音もなく眼前に現れたからだ。

 ただし、女の体には実体がなかった。宙に浮くその体は色彩が薄く、背後の風景が透けている。宙に浮いているのも魔術的な何かかと思ったが、それも違うようだが。


 十年前に一度だけまみえた敵、そしておそらくは“彼”が“こう”なった元凶である女――本物の“スカーレット・メイスオンリー”を見上げ、“彼”は軋るようにして呻いた。


「出やがったな、このクソ女め……」

『あら、酷い言い草ね。出たって、呼んだのはあなたでしょうに……もしかして、ご機嫌斜めかしら?』

「誰のせいだと思ってんだ?」

『それはまあ、私よね。他に関係者っていないもの。まさしくそれが狙いでやってるんだから、私としてはしてやったりよね』


 すっとぼけるかと思っていたが、存外素直に彼女は認めてみせた。

 あっけらかんと頷くと、肩をすくめて、


『でも助けてあげたのだから、感謝してくれてもいいとは思わない? 私が助けてあげなかったら、あの時あなた、終わってたわよ?』

「あの時って……あの声、やっぱりお前だったのか」

『ご名答』


 ならず者に鍔迫り合いに持ち込まれて、絶体絶命だった時のことだろう。あの時“彼”はこの女の声を聞くと共に、愛用の魔具を取り戻して全てを思い出した。

 特に、魔具だ。“スカーレット・メイスオンリー”がこの斧を、この時に持っていたはずがない。となれば、つまりはこの女がここに持ってきたのだろう。

 それは確かに、この女に助けられたことを意味するのだろうが。


「元はといえば、お前のせいでこんなことになってるんだろうが。礼なんて死んでも言うか、クソッタレめ」


 元凶はお前だろうと毒づくと、それはまあね、と女は微笑んでみせた。

 だけではなく、こちらのささくれ立った心を更に逆撫でするように、

 

『あらあら、そんな顔しないで? こんな大切な日に、そんな不機嫌顔は似合わないわ――だって、私とあなたの再会ですもの。私、この日を十年も待ったのよ?』

「……随分と機嫌がよさそうじゃねえか」

『それはもちろん。私が今日をどれだけ楽しみにしていたか、あなたにわかって?』


 わかるはずがない。なにしろ、“彼”は今まで記憶を失っていたのだ。だから十年という時間を共感は出来ないし、そもそもこの女の顔など二度と見たくなかった。

 それは相手にも伝わっているのだろう。だからこそ、女はくすくすと笑うと、床に降り立ってスカートの裾をつまんでみせた。


『改めて、自己紹介をさせてもらっても?』

「必要か? 今更だろ」

『あら、つれない。それでは退屈だわ。意地悪な人』


 唇を尖らせて女は言う。その口ぶりだとどうやら自己紹介したかったようだが。

 スカーレット・メイスオンリー――通称“レディ・ローズレッド”のことなど、“彼”は紹介されるまでもなく知っていた。

 クリスタニアの第三王子の婚約者でありながら、クリスタニアとカールハイトを戦争に導いた傾国の悪女として――あるいはそう、世界を滅ぼす邪教に傾倒した、頭の狂った女として。

 

 そう、彼女はよく知られていた。幼い頃に邪教にさらわれたというスキャンダル、“邪神の花嫁”などというあだ名、世界を滅ぼすという誇大妄想に取り付かれていることまで含めて。

 これは彼女が貴族である点を踏まえると、少々不思議なことではあった。貴族は醜聞を隠したがる。ただの瑕疵にしかならない恥であればなおさらだ。

 だというのに彼女の悪名が巷に広まっていたのは……


(そういや、なんでかなんて考えたこともなかったな)


 だが、今となってはどうでもいいことだ。

 “彼”は嘆息の中にその疑問を放り捨てると、改めてその女に向き直った。


「何でオレが“こんなこと”になってるのか、事情を説明しに来たってことでいいんだよな?」


 自分の体を指差して、告げる。

 本来であれば、この体の持ち主は目の前にいるこの女だったはずだ。それが何故か、今は“彼”が“スカーレット・メイスオンリー”をやっている。

 目覚めたばかりの時に暴れたのも、元はといえばそのせいだ。この女に事情を聞かなければならなかった。あの時は頭に血が上っていたので、儀式場に行くことばかり考えていたのだが。

 目の前の女は不可解な状況の説明よりも、それこそどうでもいいことを気にしたらしい。唇を尖らせて非難してくる。


『ちょっと。人の体を指して“こんなこと”って、ひどいのではないかしら? 自分で言うのもなんだか癪だけど、とっても愛らしい女の子でしょう? それをそんなに悪し様に言うなんて……いったいどこに不満があると言うの?』


 訊かれたので、彼は即答した。


「チ×コがねえ」


 対して、返ってきた反応はこれだった。


『チ――え、ちょ……ええ?』


 あまりにも予想外の一撃だったらしい。何を言われたのかと、女は激しく狼狽えてみせた――それはこの女が初めて見せた、年相応の少女らしい反応ではあったが。

 さほど取り合わず、“彼”はまくしたてるように告げた。


「昔のことを思い出したから改めて言うがな。なんで女ってのはトイレがあんなに面倒なんだよ。すんげえ不便だろアレ。男ならその辺でモツ出してシャー――」

『……ねえ。言わなきゃわからないなんて思いたくないのだけれど、私女の子なの。その辺をご理解いただけて? 今のが女の子に話すことなの? デリカシーって言葉をご存知?』

「うるっせえな。勝手に“こんなこと”しくさる相手に、どんな気ぃ使えってんだ」


 半眼で呆れたように言ってくる相手に、“彼”もまた似たような半眼を向けた。

 恨みがましい視線を前に、ひとまず思いついた言葉をそのまま呟く。


「なんかイメージと違うな、お前」


 思い出していたのは、世界の滅びを前に貴婦人然として微笑んでいた女の姿だ。

 出現した邪龍を遠くに見つめ、世界の滅ぶさまを待ち続けた貴族令嬢の姿。慌てふためく彼を尻目に佇むその姿は、いかにも悪役めいたご令嬢だったが――


(なんつーか、今は普通の子供だな。こっちが素か? ……それで“これ”を許すかっつーと、それはまた別の話だが)


 と、意趣返しというわけでもないだろうが、女もこちらと同じ言葉で刺し返してくる。


『それは私のセリフよね。予想と違い過ぎてつまらないわ、あなた』


 ただし恨み言も付け足して、更にはどこか怨念のこもった眼でこちらを睨んで、


『勝手に女の子にされたことに戸惑って、元に戻せーって喚いてくれるなら可愛げもあったのに。というよりそちらの反応のほうが普通ではないの? なんでよりにもよって一番初めに気にするのが――…………』

「チ」

『それ以上言ったら私、怒るわ』


 やれるもんならやってみろ、と言わない程度には、“彼”は大人のつもりだった。

 降参の意を示すために両手を上げると、女は『まったくもう』とひとしきり怒ってみせる。腕を組み、ぷりぷりと怒る様だけ見れば、こんな少女が世界を滅ぼすことを望んでいるのだとはまったく思えない。

 女はしばらくしてため息をつくと、ようやく本題のほうに話を戻し始めた。


『それで、なんの話だったかしら……ああ、事情を説明しろって言われてたのだっけ? あなたが“私”をやってる理由のことかしら。それならこの前もう言ったと思うけれど』

「……言ったか?」

『言ったわ。神様が私を巻き込んで、世界を何度もやり直してるって。それにあなたを巻き込んだだけよ』


 言われて思い出す。“彼”がまだ“彼”であった、最後の日のことだ。呼び出された神々――龍たちが、世界の命運をかけて争っていたあの日。

 “彼”はパニクっていたために当時のことなどうろ覚えだが、確かに女はそんなことを言っていたような気がする。魔術的な方法論は“彼”には全く分からないが、現に今“彼”は“こう”なのだから、人を過去に飛ばした挙句、他人の体に突っ込むことも可能なのだろう。

 が、別にそこは問題ではなく。

 

「巻き込んだ方法じゃなくて、巻き込んだ理由を言えって言ってるんだが」

『それこそ、以前言ったはずでしょう? あなたは私を怒らせたって』

「……言ったか? そんなこと」

『言ったわ』


 もしかして、覚えてないの? と半眼で睨まれる。

 だが改めて思い出してみると、記憶に引っかかるものが確かにあった。女が豹変したタイミングだ。確か――……


「……なんだったっけな。確か……好き勝手やった報いくらい受けろとか、そんなんだったか?」

『そうよ、それ。まさしくそれが私を怒らせたの』


 追うように頷いて、にっこりと笑う。

 それから女は、何も持っていなかったが扇子でもへし折るような仕草をして、


『本当に頭にきたのよ? 何も知らない人が、何もわかってないくせに訳知り顔でよくもまあって。やりたくもないのに、好きで“悪役”をやってるみたいに言われたら、私もう腹が立って腹が立って』

「…………」

『で、ふと思ったの。だったら“あなた”が“私”をやればいいじゃないって』

「……は?」


 唐突に話が飛躍して。

 どうにか“彼”が上げられた声は、それだけだった。

 そして困惑するこちらと反比例するように、女は饒舌になる。おそらくは胸の内に抱えていたのだろう暗い不満を、すらすらと詩歌でも読むように、


『何度も何度も何度も、退屈でつまらない繰り返し。私がしていいことなんて何にもなくて、ただ命令に従って馬車馬のように働かされる毎日。こんなことしたくないなんて思っても、誰も許してくれないの。逃げ道なんてどこにもない。成功しても誰も得なんてしないのに、失敗は絶対に許されない。世界を滅ぼすために身を粉にして働かされるの。ずっとよ? 酷い人生でしょう? 聞いているだけでも酷い人生だと思うでしょう?』


 ――だから、“あなた”にも味わってほしいと思ったの、と。


 どろりと濁った目で微笑みながら言われて、流石の“彼”も閉口した。どこか病んでいるような、限界寸前の人間が見せる暗闇がその目にはある。女が何をさせられて、どれだけの不満を抱えてきたのか、それで察しようというものだ。

 それだけに、今度は自分が“それ”をさせられるのかと嫌な予感に震えるが。

 だが奇妙に感じて、“彼”は訊いた。


「……なんでそんな目に合ってんだ、お前? こう言っちゃなんだが、今オレ、結構楽しく暮らしてるぞ?」


 男と婚約させられるかもと怯えてはいるが。

 順風満帆とまでは言わないが、かといってそこまで悪い暮らしというわけでもない。国家転覆などもってのほかだろう。どうやってやるのかはともかくとしても、何故そんなことをしなければならないのかという時点でさっぱりだ。

 だがその質問は既に想定済みだったようで。


『なんで私があの日、“私の十歳の誕生日”を指定したか、わかる?』

「え? いや――」

『これからそうなるのよ』

 

 女はくすりと喉を鳴らして笑ってみせると、嘲るように言ってくる。


『あなたは近い将来、邪神の封印を解く最初の生贄に捧げられて、邪神の花嫁として見初められることになるの。あなたは自分の自由意思以外の何もかもを失って、その時あなたは本当の意味で“私”になる』

「自由意思以外を失う……だあ?」

『そ。“私”は都合のいい操り人形。けれど、今回は傍観者。今回は私、苦しむあなたを見て楽しく過ごすの』

「……いい趣味をお持ちのようで」

『それはもう。悪役ですから?』


 にやにやくすくす、本当に楽しそうに女は笑う。口は禍の元とは言うが、だからってここまで恨まれなければならんものかと真剣に“彼”は頭を抱えた。

 そんな様子を見て更に女は笑うのだから、なおさら頭痛が増すのだが――

 と。


「なあ」


 ふと閃いたものを、“彼”は呟いた。


「そもそも“邪神の花嫁”になんかならなきゃいいんじゃねえか?」

『…………』

「……?」


 不意に黙り込んだ女を、“彼”はきょとんと見やった。

 先ほどまでにこやかに笑っていた女は――だが今は、凍り付いたような無表情でこちらを見下ろしている。

 そうしてぽつりと女が口にしたのは、これだった。


『……それができたら苦労はしないわ』


 最後には視線を逸らしてうつむいて、固く唇を引き結ぶ。その姿はまるで、子供がしでかした失敗を怒られて、落ち込んでいるようにすら見えたが。

 不意にその姿が、まるで湖面に石を落としたかのように揺らいだ。

 と、先ほどまでの無表情もどこへやら、気安い雰囲気で言ってくる。


『あら。もう限界みたい』

「なんだ? 限界って」

『私のこの体って、貴方に見えるようにするだけでも力を使うのよ。今はあなたの魔力を借りて現界しているわけだけれど……あなた、今お疲れなのね。そのせいで私も不安定みたい。今日はもう、お話も終わりかしら』

「は? いやおい待て。まだ訊きたいことが――」

『それはまた今度ね。どうせすぐ会えるわよ――私が“あなた”から離れられるわけがないのだし』


 だって“私”ですものね、などと気安く微笑んでから。

 本当にそれを最後に、女の姿は掻き消えた。

 しばしポツン……と一人残されて、“彼”は呻く。


「結局なんだったんだ? 特に最後のアレは」


 直前まで笑っていたはずの女の変化を思えば、何かあったに違いないのだが。それがわかるのであれば、そもそもそんなことを呟いたりはしなかっただろう。

 遠くから響いてくるような頭痛を感じて、“彼”は抑えるように頭を抱えた。


 今日はあまりにも多くのことが起こり過ぎた。

 これまで十年近く、女の子らしくない女の子として生きてきたと思えば、それもそのはず前世は男で、しかも本当はこの体は別人のもので、その別人が誰かといえば因縁のあるクソ女のもので……?


「ダメだ、頭いてえ。もう寝ちまおう……」


 悪い夢なら覚めてくれ。それをわりと本気で願いながら――

 ひとまず“彼”は。

 スカーレット・メイスオンリーをやらされる羽目になった“彼”は、ベッドに倒れるようにして眠りについた。

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