2-2 お前が見てるのはわかってるんだ

「娘がグレたって、ちょおっと大げさなんじゃねえかな、親父殿」


 ちょっとした一幕により、父ヒルベルトが気絶したのはもう一時間も前のこと。

 スカーレットはぼんやりとベッドの上から天井を見上げ、ため息交じりにそうぼやいた。場所は先ほどと変わらず、スカーレットの自室である。

 つい先ほどまで大暴れしていた彼女ではあるが、今はもう暴れ出すこともせずに大人しくしている。ただし表情は不機嫌そのものだ。不満の矛先は当然父ヒルベルトだ。娘がグレたと勘違いするのはまだいいとして、それを理由に卒倒するのは流石にいただけないのだが――


「お嬢様。心の底からそう思っていますか?」


 と、ため息交じりの呆れ声に体を起こすと、そこにいたのはソニアだった。ツンと澄ましたいつもの無表情をこちらに向けて、こちらの返答を待っている。

 だが気の利いた答えを言えるわけでもなく、スカーレットは素直に答えた。


「まあ、半分くらいは?」

「……そのお心に半分ほど優しさが残されていたようで、安堵しております」


 本当に安堵しているのかどうか。少なくとも表情はピクリともしなかったが。

 とにもかくにも皮肉っぽいその物言いに、スカーレットは不満げな吐息だけを返した。

 部屋の扉のほうをちらりと見やってから、そのソニアが言ってくる。


「これまでお淑やかに過ごしてきたはずの娘が、いきなりあのように大暴れされたのです。悪魔憑きなどと思われなかっただけまだよいほうかと……化けの皮、剥がすにしてももう少しやりようがあったのでは?」

「悪魔憑きに化けの皮って……せめて猫被ってたくらいのもんだろ。親父殿が大袈裟なんだよ、ちょっとした癇癪の範疇じゃんあんなの」

「本気でそう思ってます?」

「……ごめん。実は、ちょっとやりすぎたかなとは思ってる」

「ちょっとだけなんですね……」


 最後の呆れ声は聞こえなかったふりをしてやり過ごす。

 とは言うものの、さすがにスカーレットも、“やっちまったなあ”くらいの後悔はないでもなかった。


 そもそもスカーレットが“悪癖”を隠してきたのは、父に心配をかけまいとしていたからだ。

 幼い頃に母を亡くした彼女だが、父からすれば愛する妻を亡くしたのだ。その悲しみ、苦労、そして娘を独りで育てなければならない不安を思えば、大人しくせざるを得なかった。それゆえの猫かぶりだ。

 それも先ほどの大慌てのせいで、全てご破算になったのだが。


(あーもー、無駄に繊細なんだから親父殿は……ちょっと子供が暴れたくらいで、どうして気絶なんてしたりするかな? ナイーブなんだから、まったく――)


 と。


「それで?」

「へ?」


 不意打ち気味にそんなことを言われて、きょとんとスカーレットは物思いから覚めた。

 意識をソニアに戻せば、いつもの無表情――のようでいて、ちょっと据わった目と目が合う。『あ、これマジな目だ』と気づいた時にはもう遅い。

 あまり変わらないようで、その実わずかにいつもより鋭くなった口調で。ソニアはこう詰問してきた。

 

「私、お嬢様がどうしてコムニアで気絶したのかとか、なんで寝起きでどこかに出かけようとしたのかとか、いろいろお聞きしたいことがあるのですが。お答えしていただけるのですよね?」

「…………」


 正直なところ、訊かれるとは思っていた。それだけに、どう答えればいいものかと眉間にしわを寄せる。

 ちらと盗みやるようにソニアを見やれば、彼女の目には不安が見えた。思えば、コムニアに送り出した妹分が何故か気絶して帰ってきたのだ。心配をかけたのは間違いない。

 だが本当に、どう答えたものか。

 しばし迷って……だが仕方なく、スカーレットは真実を口にした。


「あのさあ、ソニア。すんごい言いにくいことなんだけど……」

「はい」

「オレ、やっぱり男だった」

「…………」


 突然の告白に、ソニアは数秒ほど目を白黒させた。

 沈黙が少しの間、二人の間を支配する。

 そうしてソニアは言葉を噛みしめ終えると、神妙な面持ちでこう囁いた。


「お嬢様……旦那様に猫かぶりがバレたからって、いきなり開き直るのはいかがなものかと……」

「いや、ホントなんだって!」


 思わず声を荒らげるが、ソニアはやっぱりにべもない。

 小さくため息をつくと、子供にでも言い聞かすように言ってくる。


「お嬢様、いいですか? これでも私、幼い頃からあなたのお世話をしてきたのです。あなたが女の子であるのは間違いないと、私は知っているわけです。入浴のお世話もしてますしね。なのにそんな嘘つかれても……」

「だから、嘘じゃないんだって! ……いやまあ、体の方はそうなんだけどさ」

「……体の方は?」


 きょとんと、というよりは“いきなり何を言い出すんだこの子は”とでも言いたげな顔のソニアだが。

 ひとまず、スカーレットは声を上げた。


「前も言ったと思うけどさ、前世だよ前世! ホントに男だったんだって! コムニアの“祝福”受けたら、思い出したんだ! 前はホントに男だったんだよオレ!」

「…………」


 今度の沈黙は、先ほどよりは長引かなかったが。

 その分というべきか、反応はたんぱくだった。やはり表情は変えずに、たった一言、これだけだ。


「へえ」

「うわ絶対信じてねえ」

「と言われましても、私は常識人ですので。いきなりそんなこと言われましても……」

「ホントなのにー!」


 若干引いてるソニアの様子に、ベッドの上で地団太を踏む。確かに荒唐無稽なことを言った自覚はあるが。だからってこの塩対応は流石に酷い。

 とにもかくにもソニアはやっぱり取り合わず、だが不満げに言ってくる。


「まあ、仮にお嬢様の前世が男だったというのは百歩譲ってよしとしましょう。コムニアの“祝福”は、その人の潜在能力を開花させるそうですし? お嬢様が前世を思い出したというのもまあ、ありえることなのかもしれません。ですがそこから、何があったらならず者たちと戦うことになった挙句、気絶して帰ってくる事態になったと?」

「……ならず者の乱入はオレのせいじゃなくない?」

「…………」


 思わずぼやく。流石にその通りだと思ったのか、ソニアの目が微妙に泳いだが。

 とはいえ、これに関しては答えるほどのものはないとスカーレットは思っていた。ならず者との戦闘は言ってしまえば成り行きだし、気絶もまあやっぱり成り行きだ。“過去”を思い出したせいで、頭が疲労していた。ならず者たち全員を倒した時には限界で、だから――

 いや、違う。ふと思い出した。気絶したのは疲れだけが理由ではない。最後にスカーレットが見たのは、とある少年の顔だった。

 あまり見覚えのない、昨日が初対面のはずの……だが、“彼”は知っているはずの。

 それも一応、スカーレットは報告することにした。

 

「あのさあ、ソニア。これも言いにくいんだけど……」

「……?」

「オレ、もしかしたら近い内に婚約させられるかも」

「…………」


 三度目の沈黙は、一度目以上にハッキリと長引いた。

 そうして訪れたソニアの反応は、まあ何と言うべきか、これだった。


「いや、ないでしょう。誰がもらってくれるんですか? この暴れん坊お嬢様」

「失礼な!?」


 あまりの言いように、思わずスカーレットはベッドから立ち上がった。

 流石にこれは許してはならない物言いだろう。激怒を表明するべく何か言おうと口を開こうとして――

 不意の眩暈に、頭から血の気が引いた。


「あ、あら……?」

「お嬢様……!?」


 ソニアの慌てた声が耳に届く。だがすぐには反応できず、スカーレットは後ろ向きに倒れ込んだ。後ろはベッドだ。ポスンと柔らかい布団に包まれて、束の間意識が飛ぶ。

 おそらく意識を手放していたのは一秒かそこらだっただろう。慌てて近寄ろうとしていたソニアに片手だけ上げて、スカーレットは呟いた。


「どうにもまだ本調子じゃないなあ……ソニア、ごめん。今日はもう寝る。出てって」

「……もう朝ですけど」


 露骨に不満そうに顔をしかめて、ソニアは言う。

 不満と言ったが、もしかしたら不安だったのかもしれないが。その辺の機微は、このメイド相手だとわかりにくい。お姉さんぶってスカーレット相手には表情を隠しているせいだ。

 ひとまずゆっくりと息を吐いたソニアは、不承不承こちらのお願いを聞き入れたようだった。


「かしこまりました。夕食の用意は出来ていましたが、いかがなさいますか?」

「重ねてごめん、パス。明日はしっかり食べるから、今日は許して?」

「かしこまりました」


 ソニアは素直にそう言って、一礼する。

 だが退室する直前、こう言い置いていくのも忘れなかった。


「ご無事でようございました。どうか、お体をお大事に」


 しれっと自然に、だが心からスカーレットのことを気遣ってくる。

 だからスカーレットはソニアがとても失礼なメイドだったとしても、姉貴分として慕っているのだった。


「これで愛想がよければ言うことないんだけどな……まー別にいいけどさ」


 なんにしろ、部屋に一人残されてため息をつく。寝転んだまま天井を見上げても、そこには何もないが。

 ふと思い至って、スカーレットは体を起こした。メイスオンリー邸に戻されてから、急いで診察に当たったのだろう。上着はともかく下のズボンは出かけた時のままだった。

 ポケットに手を突っ込めば、触れるのは硬質な肌触り。引っ張り出すと、それは手のひらに収まる程度の小さな鍵だった。飾りげのないただの鍵。

 だが、ただの鍵ではない――それを確かめるために、スカーレットは静かに唱えた。


「――マスターキー、セットアップ」


 待機状態のそれに励起を命じた。同時、音もなく――名を呼ばれた“魔具”が姿を変える。

 小さな鍵から、一振りの巨大な斧へと。ズシリとした重みはしっかりとあるのに、不思議と子供の力でも持ち上げられる、奇妙な斧だ。

 間違いない。それはコムニアの日、スカーレットの元へと跳んできた斧だった。


 戦斧、マスターキー。

 見てくれだけはただのでかい斧だが、これはいわゆる“魔具”だった。魔術文字が刻まれた道具だ。人間が魔術を唱えて世界を改変するのと同じように、これは刻まれた魔術文字に従って己を変質させる。

 マスターキー本来の効果は名前の通りにただの鍵だ。全ての鍵を開けられるように、全ての錠に適合するために己の形状を変えられる。

 本質的には武器ではないそれを“彼”が武器として使っているのは、単に都合がいいからだ。サイズを変えられることから可搬性に優れ、刃こぼれしてもすぐに修復が可能で、何より斧というのがいい。

 頭を使わずに敵をかち割り、引き裂き、両断する。ただそれだけの、単純な武器。


 それが今、手の中にあるからこそわかる――この斧こそ、“彼”がかつて“彼”だったことの証だと。

 “彼”がかつては、“スカーレット・メイスオンリー”でなかったことの証明なのだと。

 マスターキーの励起状態を解き元の鍵へと戻すと、スカーレットは虚空を睨んで、囁いた。


「いい加減に出て来いよ……お前が見てるのはわかってるんだ」


 思い出した記憶がある。今となっては十年前の、だが今もなお鮮明な記憶が。

 あの女が最後に放った魔術。それを放った際に、あの女が囁いた言葉だ。


 ――その日が来たら、また会いましょう?


 そして。


『――嬉しいわ。ようやく呼びかけてくれたわね?』


 ふと聞こえたのは、クスクスと耳元で笑う声。

 自分以外には誰もいないはずの部屋に響いたのは……聞き覚えのある、女の声。


『ようやく会えたわ……お久しぶりね? ご機嫌いかが? 愛しいあなた』


 そうしてその女は、亡霊のようにふわりと宙に現れた。

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