1-10 思い出しちまった

(オレは……死んだのか?)


 スカーレットが眼を開けた時、そこには何も存在していなかった。目の前の世界の全ては黒一色で、何もない世界にぽつんと一人、自分だけがいる。

 自分がどこに立っているのか――そもそも本当に立っているのか。浮いているのか、それとも落ちているのか。そんなことすら定かではない空間の中で、考えていたのがそれだった。

 

 死。自分は、殺されたのか。わからない。決定的な瞬間の記憶をスカーレットは持っていなかった。だが、そうでもなければこの空間の説明がつかない。

 何もない。何も見えない、何も聞こえない世界。ただ自分だけが、ハッキリとあるだけの世界。それがつまり、死か――

 いや。


 ――力が欲しい?


「……!?」


 ハッと。その声に顔を上げた。何もない世界に音が響いた。その声は先ほど――自分がこの世界に来る寸前に聞いた、女の声だった。

 同時、見えてくるものがある。黒だけの世界に、白く何かが輝いた。

 最初はぼうっと光るように……だがすぐに集まって、瞬くように。

 それは女の輪郭をしていた。見覚えのない、女の輪郭。長い髪と、至る所に花細工をこしらえたドレスの輪郭。花はきっと薔薇だ。それも、血のように赤い薔薇。

 見えたのはそれだけだが。それでもスカーレットは悟った。そこにいるのは知らない女だ。これまで出会った誰でもない――


(……本当に?)


 どうしてか。直感が、自身の理性に逆らった。

 スカーレットの人生は短い。時間にすれば、十年にも満たない。社交界にもデビューしていない自分がこんな女と出会う機会などなかったはずだ。メイスオンリー領は辺境で、ドレスを着た女がいるような場所でもない。

 間違いない――スカーレットはこの女と出会ったことは一度もない。

 だというのに、やはり間違いなく。

 自分はこの女を知っていた。


 ――力が欲しい?

 

 女は、三度繰り返した。頷くのを待っているかのように。

 わからない。ここがどこなのか。女は真実、誰なのか。問いかけの答えは、何が正解なのか――

 それでも。スカーレットはただ、頷いた。

 そして。

 

 ――だったら、返してあげる。


 女は一言、そう笑うと。

 スカーレットをこの闇の世界から突き飛ばして、言った。


 ――だから早く、思い出してね?


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「――――っ!!」


 全てが復活した世界の中で、スカーレットは光を見た。

 コムニアのために用意された儀式場の、その祭壇。誰もいないその祭壇に――空から、光が落ちてくる。辺りを一瞬、純白に包むほどに強烈な光が。

 

 閃光が世界を焼き、白く辺りを染め上げる中――急な光に脅威を見たのか。襲撃者たちは呆然と、その光の柱に見入る。

 彼らが動きを止めたその隙に、スカーレットは大きくその場から飛び退いた。

 敵は……追っては来ない。未だに何も言わぬまま、感情のない顔で光の柱を見つめているが。


「――思い、出した……思い出し、ちまった」


 頭痛を堪えるように。ふらつく頭を抱えながら、スカーレットは呟いた。

 体が震える。悪寒がする。何が起きたのかがわからない――ただ、わかった。わかってしまった。

 忘れていた“過去”が脳裏に弾ける。頭の中から何もかもが沸き出し、弾けて外へと出ていくような。そんな記憶のフラッシュバックの中で――支配するのは、激情だった。


「思い出しちまったぞ、クソッタレ――」


 憤怒。

 激昂。

 怨嗟。

 憎悪。

 それら全てをごちゃまぜにした――あるいはそれら全てを等しく包括する激情に駆られて。

 “彼”はこの日、生まれて初めて自分が誰だったのかを自覚した。


「――マスターキィイイイイイイっ!!」


 ――そして、それは落ちてきた。

 光が止む。“それ”をこの場所に導くこと、それこそが使命だったかのように。

 祭壇から吹き飛ぶように、それは“彼”の元へとやってきた。見もせずに背後に手を伸ばせば、バシィと音を立てて柄が手のひらの中に納まる。


 それは、斧だった。

 掴んだ主よりも大きい。肉を。人体を、敵を破断し粉砕する。そのためだけに生み出された――それは鉄塊と呼ぶに足る、威容を誇る斧だった。


 かつて、“彼”の武器だった斧。


「クソッタレがぁああああっ!!」


 絶叫一つ。それを置き去りにして駆け抜ける。

 未だ呆然としている男たちの中で、最も近くにいた男に無造作に斧を叩きつけた。反応の遅れた男は剣で受け止めるが――構わない。

 体格の差も、膂力の差も。何もかも無視して斧を振り抜く。押し返そうとした男を、だが“彼”は逆に押し返し、勢いのままに叩き伏せた。

 背中から、叩きつけるように地面へと落とす。大地がが砕けるほどの衝撃に――もう、男は動かない。


 一人を叩き伏せたところで、ようやく残りも動き始めたようだった。五体満足で動いている、残りの三人。

 彼らの動きは単調だった。一人が突出し、もう二人がその動きを補佐するように追随する。狙いは時間差だろう。一人目をこちらが捌いている隙に、左右から二人が挟撃する――


 だが“彼”は敵の思惑になど付き合わない。

 敵が踏み込んでくるのと同じ分だけ、“彼”もまた踏み込んだ。後方の二人が左右に展開する前の数舜を狙う。

 迎え撃とうと上段に剣を構えた一人目、その心臓へと“彼”は斧頭を突き込んだ。

 相手と自分、両者の直進の勢いをそのまま生かした急所突き。悶絶の声なく吹き飛ぶ男を避けて――残りの二人が飛び出してくる。

 

 接敵のタイミングは同時。二方からの攻撃を、一手で防ぐために刻んだバックステップ――同時に、突き出した斧を引き寄せ、着地ざまに腰だめに構える。

 当然、男たちは即座に追撃してくる。だがスカーレットには関係ない。

 スカーレットがしたのはただ一つだけ――その場で横薙ぎに、全力で斧を振るうだけ。


 小細工のないフルスイング。右にいた男が、最初に斧に触れた。剣を盾のようにして構え、全身で受け止める。

 その隙にもう一人がスカーレットを襲うはずだったのだろう。一人を犠牲にして、確実に仕留める布陣だった。

 だが構うものか。その程度で防げると思ったのなら、それが敵の失策だった。

 

 ――斧を受け止める男の体が、交わる剣と斧の絶叫の中で宙に浮く。

 

 衝撃を殺しきれずに、男の体が宙に浮く。剣は折れ、斧が男にめり込んだ。男の体は両断されなかったが、結果として斧に捕まった。

 それでも――斧は止まらない。

 男の体を引きつれたまま、斧は勢いのままに薙ぎ払われた。残りの男も、その勢いに巻き込まれて――

 斧が振り抜かれるのと同時、まるで石ころのように吹っ飛んでいく。


 強引な力任せで、男たちを吹き飛ばした。最初の一人は斧を打ち込まれた時点で、残りの一人も落下姿勢が悪かったせいだろう、気絶し、もう動かない。

 残っている男たちも、全員が負傷ないし気絶して、もはや満足に動ける状態にない。それですべてが終わりだった。


 一人五体満足な状態で立ち尽くしながら――ふと、視線に気づいて振り返る。

 そこにいたのは二人の子供だ。まだ、逃げていなかったらしい。金髪に碧眼の、二人の兄妹。

 その内の一人。ひどく整った顔立ちの少年を見つめて。

 “彼”は心の底から吐き出すように、その苦みを囁いた。


「思い出しちまったぞ、クソッタレ……!」


 そしてその自問を最後に、“彼”は意識を手放した。

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