1-9 武器さえ、あれば

「なに……今の。声? 動物?」

「オオカミ……かな。なんだろう……遠吠え?」

「怖いよ……」

「誰かのイタズラ……じゃないかな。ほら、さっきの男子――」


 儀式を終えた子供たちが、口々にそう言って辺りを見回すのを見ながら――


「…………」


 スカーレットは顔をしかめて、何かが吠えたのだろう森のほうを睨んでいた。何度か魔獣狩りに参加させられてきた経験から察する。アレは野犬の類ではない……魔獣のものでも。

 先ほどから付きまとっていた少年、ジークフリートも異常に気づいたらしい。だが彼が気にしたのは森からの不気味な遠吠えではなく、不意に表情を険しくしたスカーレットのことだ。

 唐突に表情を硬くしたこちらに、不安げに訊いてくる。


「おいお前、さっきからどうした……?」

「黙ってろ。何か来る……」


 果たしてその通りに。

 睨んでいた森の先から――飛び出してくる、影が三つ。


「うわああああああっ!!」


 悲鳴だ。やはり三つ。子供の声。次いで森の中からほうほうの体で、少年たちが飛び出してくる。

 さっきまで姿の見えなかったワルガキたちだった。全員、森の中を怯えた眼で見つめている。うち一人が蹴躓いて転ぶが、それでも逃げようと土を掴んで後ずさる――

 そして。


 ――オオオオオオオオオオッ!!


 それらは、森の中から咆哮と共に現れた。

 ボロボロの身なりをした男たち。全力で走ってきたのだろう。目を血走らせて森から飛び出してくる。異様なのはその風体だ。土の上に寝ていたのか、身体中泥まみれに汚れている。

 だが何よりも気になったのは、その手が握っていたものだ。ろくに手入れもしていなかったのか、錆が浮いて赤茶色に汚れた――あるいは血で汚したまま、手入れをしなかった剣。


 十人ほどの、正気とは思えぬ見た目の男たち。彼らの出現が、パニックの始まりだった。

 誰かが悲鳴を上げ、それをきっかけに子供たちが散り散りに逃げ出し始める。数人の聖職者たちが子供たちを守るために間に立ったが、彼らも突然の襲撃者に腰が引けていた。そもそも彼らに戦闘能力はない。戦力としては期待できない――

 そして、現れた異様な襲撃者たちだが。


(……なんだ? あいつら……誰かを探している?)


 としか、思えない。彼らはすぐには動き出さなかった。森から飛び出して、きょろきょろ――というにはぎこちない仕草で、辺りを見回している。

 最初に追いかけていたワルガキを探していたのかとも思ったが、違った。男の一人がワルガキを見つけたが、その男は反応一つしなかった。

 そして、不意に……全員が、同じ方向を見る――


「――! クソッタレが!!」


 咄嗟にスカーレットは飛び出した。

 同時に、襲撃者たちも一目散に駆け出す。隣を走る仲間の体がぶつかることすら気にもせず、まるで腐肉に殺到する虫か、あるいは、ただ押し寄せる波のように。

 そして、視線の先にいたのは――標的としたのは、祭壇への階段の途中で、腰を抜かしていた少女だった。

 ようやくコムニアの出番が回ってきて、階段を登っていた少女――ツェツィーリア。


「ヒッ――」

「やらせっかよっ!!」


 タイミングは間違いなくギリギリだった。襲撃者たちより先に階段を駆け上り、伸ばした手で少女を捕まえる。

 背後に迫る敵の気配には付き合わず、そのままスカーレットは横へ跳んだ。階段を途中から飛び降りる――その背後を、剣が無数に突き立つ音。

 着地する一瞬。激痛が足から頭へと抜けていくが、スカーレットは更に一歩前へと跳んだ。直感とも本能とも言えぬ予感が、そこにいれば死ぬと叫んだからだ。


 事実、それで正解だった。

 飛び退いたその背中に、真っ逆さまに襲撃者が飛び落ちてくる――飛び降りてくるのではなく。肉食獣が獲物に飛びつくように、彼らは頭からこちらへと突っ込んできた。

 着地のための防御姿勢すら取らない。そのせいで自分の体が大地に叩きつけられても……仲間を下敷きにしても、襲撃者は一切頓着しない。


「なん、だ、こいつら……!? 本当に人間かよ!?」


 異様というどころではない。まさしく異常な襲撃者だった。そのぎこちない動きも、普通の人間ならしないだろう行動も。何もかもがおぞましい。

 今もだ。途中からとはいえ階段から無造作に身を投げて、地面に叩きつけられたのだ。無事で済むはずがない――事実、足や手の骨を折った者が何人かいる。

 だというのに、まるで操り人形のように。倒れた体を引きずるようにして立ち上がる。その目は変わらずツェツィーリアから離れない。

 

 常識ではありえない敵の状態に、思わず薬でも使ってるのかと疑うが。

 スカーレットは敵の動きが止まったその数秒の間に、さっと周囲を見回した。

 既に子供たちは散り散りだ。腰を抜かしている者もいるくらいで、戦力としては考慮にも値しない。近場にジークフリートがいるが、彼も単に逃げ遅れただけだ。呆然と立ち尽くして、何もできないでいる。

 ならばと大人たち――数人はいたはずの神職者たちを探すが、彼らはせめて手近なところにいる子供たちを守ろうと、その場で身構えていた。だが彼らとて、武器らしい武器は持っていないのだ。子供を放り出して逃げていないだけ上等な部類だろう。


(武器なし、助けなし、逃げ場も――ガキの足じゃ、逃げきれねえか。どうやって切り抜ける?)


 考えなければならない。幸か不幸か、襲撃者たちはまだ動きを見せていなかった。負傷で動けない者を除けば、現時点で戦えそうな敵は六人ほどか。

 唯一の救いは、この相手のフィジカルが人間を逸脱してなさそうということか。化け物のような相手――例えば父のような――をどうにかしろというわけではない。

 だが。それでもスカーレットは内心で舌打ちした。


(しくじったな……斧持ってくるんだった。武器なしでどれだけ対処できる? 助けが来ることを期待して、戦い抜くしかない……?)

「スカーレットさま……っ!」


 傍らからこぼれた不安げな声。抱えていたツェツィーリアが、今にも泣きそうな顔でこちらを見上げている。

 笑ってやれれば良かったのだが、そんな余裕はどこにもない。スカーレットはツェツィーリアを降ろすと、後ろに下がらせながら告げた。ツェツィーリアだけにではない。傍にいたジークフリートにも聞こえるようにだ。


「兄貴と一緒に逃げろ。時間は稼ぐ。脇目も振らずに街へ戻れ」

「え、あ、いや……だが、お前は――」


 狼狽えるような、ジークフリートの反駁を。

 だがそれ以上許さず、スカーレットは絶叫で封じた。


「うるせえ早くしろ! 妹を守れ――兄貴なんだろっ!!」

「――スカーレット様っ!?」


 ツェツィーリアの短い叫び声。それを掻き消すように男たちが吠える。

 先ほどまでの停滞が、嘘のように動き出した。しかも今度の標的は、ツェツィーリアではなくスカーレットだ。全員が――自滅して行動不能なはずの者たちまで――スカーレットを見ている。


 咄嗟にツェツィーリアを後ろに突き飛ばすと、スカーレットは自分から前に飛び出した。

 多数を相手に受けには回らない。剣を振り上げて寄ってくる男の懐に一息に飛び込むと、そのままの勢いでスカーレットは膝を振り上げた。短い挙動で急所に膝を突き刺す。どれだけ屈強な男でも、股下にぶら下げた臓器へのダメージは耐えようがない。

 うめき声すらなく、動きを止めた男を蹴り押して後続の妨害を狙う。だがそれを見越していたのか、男の左右からそれぞれ一人ずつ飛び出してくる。


 二対一を避けるために、スカーレットは大きく右へ跳んだ。

 右側の男の体で左側の男の移動を妨害する形だが。それでも稼げる時間は一秒かそこらだろう。回り込まれる前に、目の前の男を倒す。それを決意して踏み込もうとした――その一瞬。

 目の前の男がその場で転び、その背後から飛来する剣。


「……っ!?」


 悲鳴すら上げられぬまま、スカーレットは急制動と共に体を傾がせた。転んだ男の頭上を越えて、投げられた剣がスカーレットの右頬を裂いて通り抜ける。

 それだけでは終わらない。転んだ男が獣じみた姿勢から跳ね起きてくる。

 下段から振り上げられる剣をバックステップで交わしながら――冷静な頭の片隅で愕然とする。


(なんだ、今の連携……っ!?)


 普通なら、ありえない連携だった。

 男が転んだのと、その背後からもう一人が剣を投げたタイミングはほぼ同時。わずかにでもタイミングがずれたら、剣が刺さるのは仲間の方だ。男が転ぶのを見越していなければ、今の連携はあり得ない。

 だが打ち合わせ済みの連携だというのなら、先ほどの階段から飛び降りたような、無様な攻撃は意味が分からない。


 どちらにしても、そんなことは重要ではなかった。

 今大事なのはたった一つだけだ――機先を制するのに失敗した。

 

 目の前の男の側頭部に蹴りを入れて意識を刈り取るが、出来た反撃はそこまでだった。最初の男と合わせて二人分。それだけを倒すまでで時間が切れた。

 残りの四人が殺到してくる。今度は、連携という連携はなかった。ただ一人が剣を振り、スカーレットが下がるか避けるかに合わせて、空いている者が左右から踏み込んでくる。

 剣術らしい剣術はなく、ただ剣を力任せに叩きつけてくるだけだが、それだけに当たれば必殺の威力がある。武器がなければ受けることもできず、回避に専念しながら――

 スカーレットは内心で、悲鳴を上げていた。


(武器さえ……武器さえ、あれば――っ!!)


 体格で不利なのはわかっていた。たとえ体の動かし方を知ってはいても、この体は十に満たない少女のものでしかない。

 愛用のマサカリでなくてもいい。せめてナイフでもいいから、武器さえあれば――

 雑念が、警戒を鈍らせた。


「しまっ――」


 ――飛び退こうとした足に、締め付けられるような痛み。

 ぎょっと足元を見やれば、そこにいたのは負傷して動けないはずの敵の仲間だった。気づかぬ間に這いずってきていたらしい。

 逃げ損ねたその一瞬こそが、致命的な隙だった。


 ハッと見上げた先、剣を振りかぶる襲撃者。刹那の見切りで、スカーレットは剣を白刃取る。剣は眼前で動きを止めた――

 だが、それがスカーレットの詰みだった。


 受け止めた剣の先から、押し潰すための負荷が増す。わずかにでも力を緩めれば、そのまま剣がスカーレットを切り裂くだろう。

 だが敵は、一人ではないのだ。スカーレットをその場に縫いとめた敵の影から……ぬっと、剣を構えて男たちが近寄ってくる。

 押さえつけられて全身が軋み、食いしばる歯の隙間から苦鳴が漏れる。この状況から逃げる手段などない。助けも来ない。どうしようもない――


(死ぬのか? オレは……こんなところで――)


 押し潰される激痛の中で――それでもスカーレットは、他人事のように自身の声を聞いていた。


 そして。

 

 ――力が欲しい?


 唐突に聞こえた、聞き覚えのある“女”の声。

 その言葉と共に、スカーレットの目の前から景色が消えた。

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