1-8 あのワルガキども、どこ行った?

「お兄様……すごい……っ!」


 しばらくは、誰もしゃべれなかった――だからこそ、ツェツィーリアの呟きは声量以上に大きく響いた。

 瀑布のような光の奔流は、数十秒もの長きの末に消えていった。その光も消えて、しん……と静まり返った儀式場には、風の音しか聞こえない。

 スカーレットも目を丸くしてその光景を見つめていたが。やがて聞こえてきた音は、子供たちの大歓声だった。

 

「なんだあれ! すっげえ!!」

「何が起こったの? “祝福”? 誰があんな光をもらったの!?」

「おい、さっきのよそ者じゃないか? あいつ、すげえ奴だったのか?」


 漏れ聞こえる声はそんな感じだ。当のツェツィーリアの兄――ジークフリートは呆然と空を見上げて立ち尽くすだけだが。


「――――……」


 ふと気づいて、スカーレットは隣を見やった。そこには兄を見つめるツェツィーリアがいる。彼女の表情は兄への憧憬と……そしてもう一つ。

 

「不安か?」

「……え?」

「手。ぎゅってしたろ、今」


 はぐれないようにとずっと握りしめていた手に、今は力がこもっている。弱々しいと感じるのは、ツェツィーリアがただ幼いからだろうが。

 彼女の気持ちを考えれば、怯えるなという方が無理な話だろう。何しろ、あれだけ立派な“祝福”を授かったのが自分の兄なのだ。

 では自分は? という問いからは避けられない。兄に匹敵するほどのものであればいいが、もしそうでなければ……と不安になるのは仕方のないことではあった。

 それは兄妹だけには留まらない。まだ拝謁を行っていない子供たちの顔にも、不安の色が読み取れた。何しろ、これまでジークフリートより立派に“祝福”を授かった者はいないのだ。

 

 それはつまり、神は自分に大した期待などしていないということかもしれなくて――……

 スカーレットからすればバカげた話だ。慰めるつもりでもなかったが、肩をすくめて告げた。


「大したこっちゃねえよ。誰がご立派に“祝福”されようが、自分にゃ関係ない。アイツが人よりちょっと多めに小遣いもらえたってだけだ」

「……こづかい?」

「そ、小遣い――知らねえか? 親とかから好きに使っていいって小銭もらってさ。街に出かけて買い食いとか、小物買ったりとか。したことねえか?」

「…………」


 訊くとツェツィーリアは不安そうに首を振る。お小遣いも知らなければ買い食いもしたことがないとなれば、やはり家がいいとこの出ということなのだろう。

 それを言うと本来スカーレットもいいとこの出だし、親からはお小遣いをもらったこともないのだが。まあそれはともかく。

 

「まーつまり、アイツはアイツで君は君だってことだよ。コムニアは、君と神だけで行われるんだ。他の奴より立派かどうかなんて、本来関係ないんだよ」

「……でも……」

「でもも何もない。ほら、行ってきな。見ててやっからさ」


 不安そうなツェツィーリアから手を離し、鼓舞するように背中を押した。

 あっと小さく彼女は声を上げたが、大丈夫だとサムズアップを見せると、ツェツィーリアは意を決したように列に並ぶ。

 

 その列だが。先ほどの光景の印象が強すぎたからか、後続の子供たちはまごついているようだった。上がりたがらない子供たちに神官が表情を曇らせるが……その祭壇の上から、ジークフリートが降りてくる。

 先ほどの喧騒とは打って変わって、子供たちは静まり返っている。知り合いでも友達でもないよそ者があれだけの“祝福”を得て、何を言えばいいのかわからないのだろう。

 逆にジークフリートも、子供たちには何も言わなかった。彼は何かを探すように辺りを見回したが、妹を見ても視線を留めたのは一瞬で、それ以上の反応さえ示さない。

 そして、こちらと目が合った時――初めてジークフリートは表情を変えた。


「…………っ!!」


 勝ち誇るように、こちらを見てくる。その表情は、与えられた“祝福”を見せびらかしているようにも、お前よりもすごいんだと自慢しているようにも見えるが。


「……うん?」


 ふと気づいて、スカーレットはもう一度周囲に視線を走らせた。若い司祭が仕切り直すように声を上げ、次の子供を促していたが。

 既に儀式を終えて祭壇から離れた子供たちの数を、スカーレットは数え出した。指で追いかけて、顔と記憶を一致させながらカウントする――

 と。


「――おいお前」

「……あん?」


 不意に小生意気な声で話しかけられて、スカーレットは不機嫌にそちらを見やった。

 と、視線の先にはいたのは案の定、小生意気な面をしたガキ――ジークフリートだ。先ほど目が合った時にも感じていたが、どうやらこちらを探していたらしい。

 何の用かと怪訝に睨むと、彼は勝ち誇るようなにやけ面で、こう言ってきた。


「お前、見てただろう?」

「……? 何を?」

「何をって――ボクのコムニアをだ! 凄かっただろう、あの光! あの“祝福”! あれがボクの力だ! 神様がボクを認めて――おいお前、どこに行く? 人の話を聞いてるか!?」

「……知らねえ奴の自慢話聞くほど、暇じゃねえんだけどなぁ……」


 自慢話だと気づいた時点で去ろうとしたのだが。目聡く見つかってしまったので、スカーレットはため息をついた。詰め寄ってくる少年からうんざりと視線を離せば、祭壇前の列にツェツィーリアが並んでいるのが見えた。

 ちょうど、不安そうにこちらを振り向いたタイミングだったので、応援のつもりで手を上げる。ツェツィーリアは何も言わなかったが、その顔に浮かんでいた緊張は少しばかりほぐれたようだった。

 

「……誰が、暇じゃないって?」


 と、隣から恨みがましく囁かれる声。


「うるっせーなーもー。お前も兄貴なら黙って妹応援してろよ、めんどくせえ」

「な、なんだその態度――だ、だいたいお前、いつの間にボクの妹と仲良くなったんだ! 本当なら、お前なんかが仲良くなれる身分じゃない――」


 その辺りで、スカーレットは少年の小言を聞き流し始めた。怒っているらしいのはわかるのだが、どうして自分に突っかかってくるのかがわからない。


(悪い奴じゃあねえんだろうけどなあ……)


 ガキなのは間違いないが。ついでに言えば世間知らずか? 身分がどうこうと自分で言ってしまう辺り、家が相当太いのは間違いなさそうだ。

 だが正直に言えば、今はどうでもいいことだった。本音の部分ではツェツィーリアを見ていたくもあったのだが、それも一旦はおざなりにして、スカーレットは周囲に視線を走らせる――


「……? お前、さっきからどこを見てるんだ?」


 そんなこちらを見て、怪訝そうに訊いてくるジークフリートに。スカーレットは手短に告げた。


「……あのワルガキども、どこ行った?」


 儀式場からいつの間にやら、あの三人の姿が消えていた。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

「――ナッシュっ! いきなりどうしたんだよ――おいっ!?」

「そっちは森の中だって!?」


 だが友達二人の声など聞くよしもなく――ナッシュは儀式場から逃げるように、森の中へと駆け出した。

 いや、逃げるようにではない。事実、彼は逃げていた。

 

(チクショウ――チクショウっ!!)


 顔が熱い。胸が痛い。心臓がドクドクと脈を打つ。

 悔しかった。ただただ、悔しかったのだ。

 今日というこの日を、コムニアを楽しみにしていた。勇敢な国境警備隊の一員である父から、何度もこの儀式のことを聞かされていた。父はこの儀式を経て、立派な兵士になりたいと思ったのだと。戦う道を選んだのだと――それを誇らしいこととして聞かせてくれた。


 自分もいつか、兵士になりたいと思った。強い兵士に。強い男に。父のように、誰かを守れるほどに強い男に。

 リーダーになって、子供たちを率いて儀式場にたどり着いた時――そしてコムニアで“祝福”を授かった時、その夢は叶うのだと。そう確信さえしたはずなのに。

 

 ――あのよそ者が授かった“祝福”を見た瞬間に、何もかもが消し飛んだ。


 滝みたいに、空から落ちてきた光。自分が授かった“祝福”なんて比べ物にならないほどの。光を手に入れた少年は、壇上から振り返ると――笑っていた。


(アイツ、俺を嗤いやがった――あんだけの“祝福”しかもらえなかったのかって、俺を!!)


 悔しかったのはそれだった。自分が大切にしたかった想いを、あいつはちっぽけだと笑ったのだ。

 痛い。痛い。ただひたすらに――かきむしりたくても、何を引きちぎればいいのかわからないほどに、胸が――

 

「チクショウっ――うわっ!?」


 唐突に何かに躓いて、ナッシュは悲鳴を上げた。そのまま前のめりに地面に転がって、激痛に一瞬呼吸が止まる

 痛みが、急速に意識を現実に引き戻した。暗い、昼だというのに木漏れ日すらほとんどない森の中。誰もいない闇の中に、いるのは自分一人だけ……?


「こ、ここ、どこだ……? おい、リスティ、クリフ! どこにいる――」


 さっきまでは、二人とも自分のことを追いかけていたはずだ。だがどこを見回しても、周囲にあるのは森の闇、それだけだ。音すらない。何も聞こえない……

 いや。

 

「――ようやく、来たか……」

「うわぁ!?」


 聞こえてきた声に、ナッシュは悲鳴を上げた。しわがれた、老人の声。それが耳元でささやかれた――老人の姿などどこにもないのに。

 思わず怯えて後ずさっても。声は着かず離れず、彼の耳元で囁き続ける……独り言のように、あるいは戯言のように。


「待ち侘びた……何度も、何度も……また、始まる。ようやく……また……まだ……?」

「な、何言ってんだ……あんた、誰だよ!? どこにいる――」

「知る必要はない……」


 はたと。

 唐突に、声は気配を変えた。うわ言めいた老人の声が、不意にナッシュに答えたのだ。

 どこにもいない老人が、自分を見ている。それを感じて――ハッと。

 ナッシュは顔を上げた。


「お前など、どうでもいいのだ……誘蛾の役割しか持たぬお前など。それでも、使わなければ使命を果たせぬ。屈辱だ。だが、仕方ない……」

「う、ひ、あ……」


 何も見えないはずの闇の中、不思議と、彼はそれらを見つけた。

 眠っていたのかもしれない。のっそりと、それらは起き上がった――一つ、二つ、三つと、増えていく。暗闇の中で煌々と、それらは怪しく光を反射していた。

 ぬらりと濁った、空虚な瞳の光だ。感情の見えない目、目、目が、こちらを見ている。

 そこにいたのは人間だった。生気のない、まるで死体のような男たち。全員が武器を持っている。

 生きているはずなのに。死んでいるようにしか見えない目。

 どこにもいない老人の声は、その瞳から放たれた気がした。


「さあ、連れていくがいい……急げよ。でなければ……死ぬぞ?」

「う――うわあああああああっ!?」


 そしてナッシュは逃げ出した――戦士になるための誇りも決意も、何もかもを投げ捨てて。

 ――その背後で。

 死体のような人間たちが、獣じみた咆哮と共に駆け出した。

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