1-7 せめて楽しんだほうがいいだろ?

「へえ。それじゃあ親父さんの用事でこっち来たついでに、コムニアに参加を?」

「……うん……」


 既に日も傾き始めた昼過ぎ、スカーレットは金髪の少女と手を繋ぎながら、ゾルハチェットの郊外を歩いていた。

 コムニアの参加者である子供たち三十人ほどが、意気揚々と街の外にある街道を歩いている。何故街の外にいるかといえば、目的地がそこにあるからだ。街の外に広がるバスクアッド大森林の中。人の手で拓かれたその先に、それはある。

 先導の大人たちがいるので迷うことはないが、それでも子供たちは普段とは異なるシチュエーションにドキドキハラハラだ。違うのは兄と喧嘩して落ち込んでいる少女――ツェツィーリアと名乗った――とスカーレットくらいのもので、二人は団体の最後方をとぼとぼと歩いていた。


「お父様、たまにしか会えない友達に会いに行くけど、ついてくるかい? って……わたし、王都から出たことがなかったから、嬉しくて……」

「なのに途中で兄貴と一緒にコムニアにほっぽりだされたって?」

「うん……ほっぽりだされたのとは、ちょっと違うけど」


 ぽつぽつと事情を語り始めたツェツィーリアが、俯きながら呟く。


「わたしのおうち、コムニアのことを大切にしてて……みんな、凄い体験をしたんだって。だから、わたしも行きたいって言ったら、お父様が勉強しておいでって許してくれて……」

「へえ……勉強か。それじゃ、中々怖い勉強になっちまったかな?」

「うん……怖かった」


 視線は自然と団体の前方、リーダー役を買って出たワルガキたちに向かう。

 自分でやると言った以上、プライドがあるのだろう。どこかへ行きそうな子を見つければ大声で怒鳴ったりと、彼らは子供たちをしっかりと気にしながら進んでいた。


「悪い奴でもなさそう……とまでは言わないが。まあ、土地柄かな。ああいうの多いよ、うちは。君は誰かとケンカしたことは?」

「ない……だって、わたし、そういうのは悪いことだって……」


 訊くと、ツェツィーリアは静かに頷く。

 まあそれが普通だろなと、スカーレットは苦笑交じりに認めた。というのもメイスオンリー領の住民は戦場が近いためか、無駄に血の気が多い者が多い。相手が悪いと思ったらぶん殴れ、くらいの考えが一般的なのだ。

 困ったことにスカーレットもそちら寄りの人間だ。だからこそ、ツェツィーリアの育ちの良さに思わず感心してしまうのだが。


「兄貴とは、普段から仲悪いのか?」

「――違うの! お兄様は悪くないの!!」


 ふと気になって訊くと、慌ててツェツィーリアは大声を上げた。

 素の声量に思わずきょとんとしてしまうと、ツェツィーリアは一気にしょげ返る。


「あっ……その……ごめんなさい……」

「いや、気にしてないよ。むしろこっちの聞き方が悪かった。てことは、普段は仲いいのに今日だけってことか。虫の居所でも悪かったのかね?」

「……お兄様、知らない人と結婚させられるかもしれないの」


 と、ぽつりとツェツィーリアが説明してくる。


「お父様がメイスオンリー領に行くって言い始めたのも、そのためなの。お友達と、話をしなきゃいけないって。わたしたちがコムニアに行ってる間に話をつけてくるって言ってたけど……」

「兄貴はその結婚自体が嫌で、ふてくされてるって?」

「……うん」


 ふうん、と曖昧な返事を返しながら。スカーレットは集団の中から金髪の少年の姿を探した。

 ジークフリートという名前らしい少年は、列の中段辺りでふてくされたように歩いている。時折気にするように後ろを振り向くので、ツェツィーリアのことを気にしていないわけではないようだ。

 今もちょうど振り返ったところだったが……スカーレットと目が合うと、まなじりを吊り上げて険しい表情をした後、すぐそっぽを向く。その姿はまるっきり、ただの男の子でしかないが。


(いいとこの出のボンボンなのは間違いなさそうか。それも、そこそこご立派な類。となると政略結婚――の前段階の婚約かな。家がでかいと話をするだけでも苦労するらしいし)

 

 それ自体は貴族や大商人の家なら珍しいことではない。貴族は子だくさんな家も少なくはないが、その理由が政略結婚のためというのはありがちな話ではある。

 貴族の役割とは与えられた責務を果たすことで、そのために必要なのは力だ。その一つに人脈があり、人と人を繋ぐための手段としての婚約はごくありふれたものなのだ。

 ただし、それを子供が受け入れられるかどうかはまた別の問題なのだが。


「まあ気持ちはわからんでもないけど。だからってそれで妹に八つ当たりってのは、かっこよかねえな。男のやるこっちゃない」

「……でも、怒らせたのはわたしだから……」

「だから妹怒鳴りつけるのも仕方ないっていうのは、なーんか違うと思うよ、オレは」


 結婚の問題は親と当人の問題であって、この子の問題ではないのだから。

 だがそれを言ったところでツェツィーリアの気分がよくなるわけでもないだろう。だからスカーレットは放り出すように肩をすくめてみせた。


「ま、だから気にするなっつって気にならなくなるなら苦労もねえか。とはいえ、だからずっとしょぼくれてますってのはもったいねえよ」

「もったい、ない?」

「コムニアが、さ。どうせ、一生に一回しか経験できないんだ。笑えとは言わねえが、せめて楽しんだほうがいいだろ?」


 なんにしろ、そんなことを呟いている間に目的地にたどり着く。

 うっそうと茂る森の、比較的浅い場所にそれはあった。

 野ざらしのままにされた、石造りの儀式場。長い歳月を風に晒されて寂れた祭壇。そここそが、メイスオンリー領におけるコムニアの最終会場だった。

 元はクリスタニアがカールハイトから独立した後、メイスオンリー領に最初に建てられた教会だったという。領都ゾルハチェットの開拓・遷都に伴い教会は壊されたが、儀式場だけはそのまま残された。

 壊すのに忍びなかったのか、それとも他の理由かは知らないが、どちらにしろ遷都後にバスクアッド大森林がさらに広がったため、教会跡地は森に飲まれ、儀式場だけが今も形を遺しているという。


 この儀式場でコムニアを行うのは、メイスオンリー領の中で最も個々が古い場所だとされているからだ。コムニアとはすなわち、健やかに生まれ育った子供たちから、送り出してくれた三龍への挨拶だとされている。だからこそそれに最もふさわしい場として、ゾルハチェットの子供たちはここでコムニア――すなわち神への拝謁を行うのだ。

 子供たちが見慣れぬ儀式場にわあきゃあ騒いでいたところに、付き添いの若い神官が声を上げた。


「それではこれより、今年のコムニアを始める。一番手はリーダーを務めた君だ。さあ、祭壇の前へ」

「え、あっ――は、はい!」

 

 驚いたのか、あるいは素か。こんな時だけ素直に返事をして、ワルガキが神官と共に祭壇へ向かう。

 石組みの階段を登って壇上へ。そして何もない祭壇を前に、神官から説明を受けながらワルガキは跪く。声は聞き取れなかったが、スカーレットは司祭の口がこう言っているのを見て問っていた――そう、そこで目を閉じて、無心で神に祈りなさい。

 子供たちはそんな様子を、固唾を飲んで見守っているが……

 

 ――急に空から降りてきた光が、唐突にワルガキを明るく照らした。


「――う、わあ……っ!」


 時間にして数秒かそこら。その程度の短い時間だ。だが自然には起こりえない超常現象に、子供たちが沸く。逆に太陽の陽ざしよりも明るい光に照らされて、ワルガキはといえば呆然としていた。

 

 元はカールハイト国教の宗教行事であったコムニアが、クリスタニアで今も続いている最大の理由がこれだった。

 神への拝謁に、真実は神は応えること。

 初代クリスタニア王がクリスタニア建国を志した理由も、このコムニアが理由だとされている。神に願いを託された、だから国を建てるのだと。夢想家と馬鹿にされた青年が歩み出した理由こそがこのコムニアなのだ。

 

 未だ夢心地なワルガキが、神官に促されて階段を下りてくる。と、取り巻き二人が彼に駆けつけると、はしゃぐようにこう訊いた。


「おい、本当に神の声を聞いたのか? 何か体に変わったことは?」

「“加護”とか“祝福”がもらえるって本当なのか!?」

「……わかん、ない。ただ、体が、熱くて。何か、さっきまでと違う気はする、けど――」


 と、不意に気づいたようにワルガキは自分の手の甲を見た。

 遠目にそこに、なにやら痣のようなものが見えたが――


「なんだ、これ。こんなの、さっきまでなかったのに――」

「じゃあ、ホントにあるんだ――本当に、神様からの“祝福”ってあるんだっ!!」


 取り巻きの一人が叫ぶと、子供たちが興奮してワルガキたちを取り囲んだ。その喧騒に、ワルガキたちはぎょっと驚いていたが――


 そう、それがコムニアのもう一つの側面だ。

 拝謁した神から“力”を授かること。“祝福”と俗に呼ばれるこの力は、一般的には当人の潜在能力を開花させてくれるのだと言われている。元々持っている才能を引き出してくれるのだと。

 だから、何も特別なことではないのだと。だから、そこで満足せずしっかりと努力しなさいと。神様はお前を認めてくれたが、それはお前が立派な人間になることを願ってのことですよと、大人は子供たちにそう説くのだ。


 ちなみにこの拝謁の中で痣が出る者がいるが、これはあくまで一時的なものだという。ケガと一緒だ。放っておけばそのうち消える。だから痣が出なくても、それは神からの“祝福”の度合いとはなんら関係がない――と、されている。

 実際にどうかは不明だ。後世に伝えられる偉人ほどこのコムニアで大きな“祝福”を授かることが多いため、余計に。どちらにしても真実は誰にもわからない。


 上で待っていた神官が「次!」と叫ぶと、興奮した子供たちが我先にと階段へ向かっていく。だが大人に止められて、来た順に列に並ばせれていた。

 スカーレットたちはそれを、遠巻きに見つめていたのだが――

 

「……スカーレット様は、行かなくていいの?」


 少し興奮気味のツェツィーリアに訊かれて、彼女はきょとんと答えた。


「ん? いや、どーせ待ってりゃやらされるんだろ? 今急いでも仕方なくないか?」

「……あんまり、興味がない?」

「そういうわけでもねえんだけどな……」


 スカーレット自身不思議な心地で、言いながら頬をかく。

 確かに神秘的な光景だし、子供たちが興奮するのも理解はできる。だがスカーレット自身は欠片も心が動くものを感じなかったのだ。

 視線を祭壇のほうに向ければ、流れ作業的に空から光が降りては照らしてを繰り返している。当の子供たちはその光景に目を輝かせ、また与えられた“祝福”にはしゃいでいるのだが……


(……三柱の神――三龍の祝福、ねえ……?)


 何かが引っかかる。その何かがなんなのかはよくわからないが、どうにも気に食わない感覚だった。嫌な予感とは違うのだが、得体の知れない嫌なものを感じる。

 そこでスカーレットは一つ、ため息をついた。その中に雑念を追いやって、呟く。


「まあいいか、オレたちも並ぼう……もしかして、早く並びたかったか? だとしたら悪いことしたか?」

「う、ううん! いいの、待つのもきっと、楽しいと思うから……」

「そういうもんか? ならまあいいか」


 そうして二人、列に並ぼうとしたのと――ほぼ、同時。


「――う、うわあっ!」

「な、なんだ、あれ……!? 大きい……!!」


 子供たちの悲鳴。そして先ほどまでとは比べ物にならない――光。

 空から柱のごとく落ちてきた光の先で“祝福”されていたのは、ツェツィーリアの兄だった。

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