1-6 オレと一緒に行かねえか?

「精霊サフレインの風が新緑を運ぶこの良き日に、活気あふれる新芽の皆様を迎えられたこと、心より嬉しく思います――」


 そんな出だしで始まった、司祭トエリア・サクレスのコムニア開幕挨拶は――ハッキリ言って、子供には大変不評だった。

 長いし固いし説教臭いしで、ほとんどの者が聞いていない。かくいうスカーレットもその一人で、意識をほとんど天井のどこかへと飛ばしていた。


 この世界を作ったとされる三龍を奉る、通称トリス・ディーヴァ教。その教会であるこのサクレス教会の礼拝堂には、今三十人ほどの子供たちが集められている。といってこれがゾルハチェットの子供たち全員というわけではなく、他の教会にも子供たちが集められているはずだった。

 その子供たちほぼ全員が老司祭の話を聞いていないのだから――そして聞かなくても問題ないというのだから――なんだかなあという気分になる。

 

 そうして三龍が世界を生み出した瞬間を描いたという、華美なステンドグラスをぼんやりと眺めること云十分。眠気に船をこぐことしばし。

 老司祭の長い無駄話も、その辺りでようやく佳境を迎えたところのようだった。

 

「――さて、まだまだ皆様に教えを説きたいところではありましたが、時間となりましたので……皆様の“拝謁”がよい結果となることを祈らせていただき、私からの話は終わりとさせていただきます」

「それでは皆様、ご起立ください。これから“拝謁”のための祭壇へと移動となります。私たちの言うことをよく聞いて、はぐれないように――」


 若い司祭が後を継いで、子供たちに注意を告げ始める。

 だが長話に付き合わされた子供たちは、立ち上がるなり伸びを始めるなど、注意のほとんどを聞き流していた。司祭が慌てて声を大きくするが……まあ、それで聞く子供たちばかりでもない。

 かくいうスカーレットもやはりその一人で、彼女はしばらくその場に座ったまま、大きく欠伸をしていた。

 

(こっからが本番なんだがなあ……長話なんざ、なーんの意味もないってのに。もしかして毎年恒例かこれ?)

 

 そう、これからがクリスタニアでの――というより、メイスオンリーでのコムニアの本番だった。

 老司祭の長話は、実際の所毛ほどの価値もない。何故かといえばコムニアの大本は神に拝謁を賜る行事だからだ。大事なのは『神様ー、ボク元気に育ったよー!』の部分なのである。


 他の領では教会でそのまま拝謁まで行うようだが、メイスオンリーではちょっと違う。コムニア用というわけではないが、儀式用の祭壇が別の場所に用意されているのだ。

 なのでこうした伝統的なイベントの際には、教会ではなくそちらの祭壇を使うのが通例だ。ただし会場はゾルハチェットの子供たち全員を収容は出来ないので、街の区ごとに時間帯をずらして行うのだが。

 と、若い司祭が更に声を張り上げて、説明を続ける――

 

「そういうわけで、これから君たちの中から誰か一人、リーダーを決めてもらいたい。リーダーは皆を先導して目的地までたどり着けるようにする仕事がある。その分、一番最初に拝謁を賜れるメリットもあるよ。さて、この中で誰か、リーダーをやりたい子は――」

「――俺だ!!」


 そうしていの一番に手を上げたのは、先ほどポーチ前でぶん殴った例のワルガキだった。いかにも「オレがやる!」という満面の笑みで手を挙げている。

 彼の他にも何人かやりたがっていた子はいたようだが、その剣幕に圧されて上げようとしていた手を引っ込めていた。

 当然のことながらスカーレットは手を挙げず、静かに成り行きを見守っていたのだが。


「………………」

「……?」


 ふと視線を感じて、スカーレットはきょとんと辺りを見回した。と、なんとも言えない目でこちらを見つめている子供たち何人かと目が合う。

 全員何か言いたげではあるのだが……誰も、何も言ってこない。

 首を傾げてぽかんとすることしばし。ふと意図に気づいて、きょとんとしたまま答える。


「ああ、好きにすりゃいいんじゃないか? というか、なんでオレのほうを見るんだ?」

「いや、でも……やりたがるかなって」

「うんにゃ、全然。オレは興味ないからパス」


 先ほど暴れたせいか、気を遣われたらしい。あるいはガキ大将認定でもされたか。なんにしろスカーレットにその気はなく、手をひらひらと振って断った。

 と、立候補したワルガキがこれ見よがしに噛みついてくる。その顔にあるのは、どうやら敵愾心のようだが。


「へっ、あれだけ偉そうなこと言ったくせに、腰抜けが? 尻尾を巻いて逃げやが――」

「こいつら誰か一人でも迷子になったら、お前のせいだかんな」

「えっ」


 ワルガキの言葉を遮って突きつけると、彼はぎょっとしたようだったが。

 リーダーなどというのは所詮、全体に対する小間使いだ。全体を効率よく動かそうとすれば、相応に面倒な配慮を求められる。当然集団の規模が大きくなればなるほど予想外の行動をする者は出てくるわけで、迷子などはその最たるものだった。


「オレぁガキどもの面倒なんか見たかねえよ。だから、がんばってしっかり働いてくれ。な、リーダー?」

「な、う、ぐ、ぐぐ……やればいいんだろ! 迷子なんか出さねえよ!!」


 叫ぶなり、ワルガキは行くぞ! と声を荒らげて礼拝堂を出ていった。取り巻き二人――と、あと監督のためだろう、先ほどの若い司祭も慌ててついていく。

 それを少しだけ見送ってから、礼拝堂の子供たちもおずおずとその後を追いかけ始める。他にも大人たちが数人付き添ってくれるようだが、しばらくスカーレットは人の動きを観察していた。

 特に規律を学んだわけでもない子供たちが、大人の補助ありとはいえ三十人近くで遠足だ。目的地までの移動にあたって、ついてくる大人の数も必要最低限。ワルガキはああ言ったが、誰かが面倒を見なければひとりくらい簡単に迷子になるだろう。

 

(ま、なんだかんだでうちの領の子供たちなわけだしな……迷子にならんよう見張っててやるか)

 

 しんがりでも務めるような気分で、スカーレットは小さくため息をついた。

 と。

 

「――ついてくるなよ!」

「……あん?」


 不意に聞こえてきた罵声に、スカーレットは思わずそんな声を上げた。

 既に子供たちは半数以上ハケている。だからというわけでもないが、誰が声を荒らげていくのかはすぐにわかった。さっきの兄妹だ。ワルガキに絡まれていた二人。

 今は兄の方が、怯えるように縮こまった少女を怒鳴りつけている。傍から見る限りはただの兄妹喧嘩のようだが。


「鬱陶しいんだよ! ボクの後ろをついてきて! そもそもお前がついてこなければ、ボクはあんな奴らに負けなかったのに! ボクは一人で行きたかったのに――どうしてついてきたんだ!」

「だ、だって。お、お父様が、お勉強だからって……! だ、だから、私……」

「だからなんだ。それがボクに何の関係があるって? お前の勉強なら、ボクについてくる必要はないだろ――他の奴についていけよ!!」

「あっ……ま、待って! お兄様――」


 そして言い切るなり、少年は少女を置き去りにして歩き出す。少女は追いかけようとしたのだろうが……拒絶を思い出したのか、すぐに立ち止まってしまった。

 どうするのかとしばらく見ていると……その場に立ち尽くして、そして。


「ふっ、う、うう、ぐ、うううぅ……っ!」

(……あちゃー。泣き出しちまったか)


 予想はしていたが、案の定だ。見た目にも気弱な女の子に見えたので、あれだけの剣幕で怒鳴られたら泣くのも仕方ないことだろうが。


(最近誘拐された妹相手に、あんな態度取るか普通?)


 スカーレットが昨日の少女とこの子を人違いしている、というわけではないだろう。なら、自然なのは兄は妹が誘拐されたことを知らないのか。事件があったのに知らせていないとなると、それだけで複雑な家庭環境が連想される。

 特に貴族は風聞や醜態は隠すものだ。内容によっては、兄妹にすら隠すものもあるかもしれない。教えていないということは、親もそれなりに考えてのことのはずなのだが……


(にしたって、この前のことがあったばっかりなのにコムニアに参加させる親ってのも、何を考えてるんだか……そんなに大事な行事だったか? これ)


 ひとまずスカーレットは辺りを見回した。少女は泣きっぱなしだが、子供たちはどうしていいのかわからないようで、逃げ出すように礼拝堂を出始めている。老司祭はいつの間にかもう姿がないし、他の大人も出払っていた。

 そして少年が戻ってこないとなれば、少女は一人ぼっちで取り残されることになるわけで。


(……まあ、ほっとくわけにもいかねえか)


 覚悟を決めると、スカーレットは意を決して少女の元へと歩き出した。

 その場にうずくまって泣いていた少女の前に膝をつくと、頭をポンと優しくたたいてから、微笑んでみせる。


「兄貴が一緒は嫌っつーんなら仕方ねえな。オレと一緒に行かねえか? 一人ぼっちは寂しいしよ」

「ふ、ふえ……?」


 きょとんと見つめ返してくる青い瞳は、不思議ととても澄んだ色をしていた。

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