1-3 貴さとか雅さとか無縁の家系じゃんウチ

 その日の夕方。


「抜き足差し足忍び足……抜き足差し足忍び足……」


 呪文のようにそんなことを呟きながら、スカーレットは自宅であるメイスオンリー邸の庭をこそこそと歩いていた。

 なぜ彼女がそんなことをしているかといえば、答えは単に、誰にも言わずに館を抜け出してきたからだ。たまたま外を見ていたら国境警備隊の伝書バトを見つけて、面白そうな匂いがしたから飛び出しての、今だ。

 つまり使用人に見つかるとマズいのである。


(大丈夫大丈夫……今日は家庭学習の予定はなかったし、部屋には寝てるから入らないようにってお願いしてきたから、バレてないはず。そもそも今は自由時間だし。勝手に出かけても怒られる筋合いはないし……)


 それがどれだけムシのいい考えかは自分でもわかっていたが。希望に縋りつつ、スカーレットは館の後ろへと回り込んだ。

 スカーレットの部屋は館の二階奥にある。裏庭に面した窓があるのだが、家を抜け出した時はそこから出たため、今は開きっぱなしだ。スカーレットは腰のポーチに手を伸ばしてフック付きのロープを取り出すと、そのまま窓へと投げた。

 手慣れた動きでフックを窓に引っ掛けて、するすると昇り始める。


「ふっふっふ。これで完全犯罪達成だっぜー。いやまあ自分の家なんだから犯罪じゃないけど。問題はソニアかなー……変に勘がいい上に鋭いし。怪しまれたらどう言い訳するか――」

「――残念ですが」

「ふへっ?」

「現行犯逮捕です」


 という声は。

 忍び込もうとした窓の先、カーテンの向こうから聞こえてきた。

 そしてそのカーテンの隙間から伸びてくる手がスカーレットを掴む。「あっ」という声が漏れた頃には、そのままスカーレットは部屋の中へと引っ張り込まれていた。

 抱き留めるようにしてこちらを引き寄せた相手の顔が、目の前にある。鳶色の髪を後ろでまとめた、髪と同じ色の瞳の美少女十五歳。パーフェクトなまでの無表情だが、それは彼女が怒っているときの癖だとスカーレットは知っていた。

 間違いなくスカーレットの傍仕え、メイドのソニアだった。


「な、え、な、なん……なんで、ソニアが……!?」


 思わず上ずった声が上がる。いるはずのない人が部屋の中にいる異常事態に、慌てて言い訳を探すのだが。

 そんなこちらの惑いっぷりなどソニアはまるっきり無視して、空いた手で懐から手紙を取り出した。

 こちらに見せつけるように振りながら、静かに言ってくる。


「国境警備隊――現場を担当されたカイル様から、伝書バトが届きまして」

「…………うっそお」

「それでお嬢様。何か、言い訳はありますか?」


 怒ってますよと眉間にしわをくっきり刻んで、こちらを抱き留め続けている――つまりは全く逃がしてくれそうにない――ソニアに。

 スカーレットはどうにかこれだけ呟いた。


「……ごめんなさいすれば、許してくださいますか?」


 返答は、目すら笑わぬこれだった。


「これからみっちり、お説教です」

「なんでー!?」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 それからみっちり一時間、こってりしっかり絞られて。

 

「もうやだ耳痛い……正座疲れた……足もびりびり……うぅぅぅああぁぁぁぁぁ……」


 疲労困憊の体で、スカーレットはベッドに倒れ込んだ。

 仮にも辺境伯令嬢という高い身分である自分が、まさか正座で説教されるとは思ってもみなかった。未だに痺れっぱなしの足のせいで、今ならカメにも負けるありさまである。

 そんな主人に説教をかました当のメイド、ソニアとはというと、まだ部屋の中で仏頂面のまま立っていた。顔にはまだ“説教し足りない”と書いてあるが。


「お嬢様、その姿は大変はしたないのでおやめください」

「誰のせいだと……?」

「お嬢様のせいでしょう?」


 しれっとすまし顔で、ソニアは言う。

 主人にまったく忖度しない冷血メイド。それがソニアという少女である。

 五年前に母が亡くなって以来、傍仕え兼姉貴分としてスカーレットの傍にいた彼女だが。ああ言えばこう言うと言った具合に、口げんかで勝てたためしがない。基本的にバッサリ斬り捨て系の口撃をしてくるので、怒られる原因が自分にあることが多いスカーレットにとっては天敵のようなタイプなのだ。

 そんな彼女にしては珍しく、少々愚痴っぽく呟いてくる。


「まったく。ご令嬢としてお淑やかであれと、アレほどお願いしてきたというのに……どこで育て方間違えたかなあ……」


 後半の呟きに彼女の素が見えていたことが、より攻撃力を高めているが。

 空気を入れ替えるように咳払いをすると、ソニアは人差し指をピンと立て、子供に言い聞かせるように言ってきた。


「いいですか、お嬢様。あなたは仮にも由緒正しいメイスオンリー家の嫡子なのです。貴族令嬢ですよ、貴族令嬢。しかも辺境伯令嬢という、大貴族の中の大貴族の娘なのですよ、お嬢様は。そこのところ、わかってます?」

「……その質問、わかってるって言ってもわかってないって言っても怒られるやつじゃん……」

「お・じょ・う・さ・ま?」

「うわあ!?」

 

 目を逸らして愚痴った隙に近づいてきた顔に、スカーレットは悲鳴を上げた。

 ベッドに寝たままなので逃げ道はなく、ついでにいえば覆いかぶさってくるような形なので、すこぶる心臓に悪い。困ったことにソニアは冷たい美人系の顔立ちなので、無表情でいると凄い怖い。

 じっとりと湿った綺麗なジト目に睨まれて、たまらず彼女は言い訳した。

 

「いや、とは言うけどさあ! うちが由緒正しいって言うけど、それ“チンピラ”としての由緒正しさじゃん!! 貴さとか雅さとか無縁の家系じゃんウチ!!」


 そう、暴力至上主義を標榜するメイスオンリー辺境伯家は、クリスタニア内においては最も貴族らしくない貴族として知られている。

 そもそもの話として、元々メイスオンリーは貴族ではなかった。始まりは、まだクリスタニアが超大国カールハイトの属領であった頃――つまりは後に“勇者”と呼ばれるクリスタニア一世が、まだただの若造であった頃の出会いにまで遡る。


 クリスタニア建国物語は、カールハイトの辺境に住む一人の若造が、唐突に建国を志したことから始まった。

 ある日の夕暮れ、その若造はクリスタニア領の酒場で『国を建てる』と演説をかました。そのために協力してくれと懇願し――当然の結果として、誰からも冷笑された。

 そんな中、“ただの若造”が掲げた大言壮語を笑わなかった男が一人。

 戯言に面白そうだと付き合ったその男こそが、初代王の最初の仲間にして親友、初代メイスオンリーその人である。


 そうして始まった、建国までの長い戦い。その末にクリスタニアがカールハイトから独立すると、メイスオンリーはこれまでの功績から“メイスオンリー家”として叙任された。

 だが当人は『貴族ごっこなんざめんどくせえ』と宣った挙句、国境守護の役割を強引に勝ち取って辺境に消えた。そしてほとんど王都に寄りつくこともなく、国防という名の戦いに明け暮れながらも好き勝手生きていたらしい。

 

 とどのつまり、そういうチンピラの家系なのである。

 だが半眼で睨んでくるソニアからすれば、そんなのは関係ないようで。

 

「ご自分の素行の問題を、自分ではなく家系のせいにするおつもりで?」

「うっ」

「もう淑女教育は受けておられますよね? お客様がおられた時には、“お嬢様”らしくネコを被ることができるの、私は存しておりますが」

「あうっ」

「やろうと思えばやれるくせに、やってないのは家系のせいではありません。チンピラっぽく振る舞ってるのはお嬢様自身の問題であって、家系のせいにするとは言語道断。私はあなたをそんな風に育てた覚えはありませんよ!」

「うぐぅ……」


 かろうじて出たぐうの音など何の役にも立たず、スカーレットは敗北感と共に体から力を抜いた。

 確かに、スカーレットの性格が家系のせいとは言い難い。なにしろ、スカーレットは生まれた時から“こう”だった。

 人形遊びに刺繍に詩集。恋物語やおしゃれといった、女の子ならたとえわずかでも興味を持つだろう一切に、なんの興味も持てなかったのだ。

 

 むしろ体を動かすことや剣などの武器、英雄譚を好むなど、どこか男の子のような嗜好を持っていた。棒を剣に見立てて剣士ごっこをしていたこともあるし、最近ではマイ斧担いで国境警備隊の手伝いや、近場の魔獣狩りに参加することもある。

 なんで自分はこうなのだろう。それは昔から考えていた彼女の悩みだ。

 

(なんだかなあ……女の子らしくって言われても困るんだよな。それこそ女装させられてる気分だし。なのにお淑やかになれって言われてもさー……)


 あまりにも女の子らしくなれないので、スカーレットはソニアに以前こう言ったことがある。


 ――なあ。オレ、前世は男だったんじゃねえかな。


 ソニアには当然のように無視されたが。

 どちらにしても貴族令嬢に少年らしさなど必要なく、だからスカーレットは父親の前では心配をかけないように、いつも猫を被っているのだった。

 と、不意にソニアが訊いてくる。


「それで? お嬢様、今日はどういった理由で館を抜け出したので?」

「アレ? カイル兄から手紙来てたんじゃないの?」

「ああ、アレですか? ブラフでございます」

「……マジかよ」

「どうせ抜け出したことをごまかそうとするだろうと思いましたので。一番確率が高そうなところを狙わせていただきました」


 こいついい性格してやがんなと半眼で見つめるが、なんら痛痒を与えられないことを悟ってすぐにやめる。

 ベッド脇に置いてある仮面――館を抜け出す時に着けているもの――を手に取って弄びながら、説明する。


「なんかよくわからないけど、どこぞのお貴族様がメイスオンリー領に来てるらしくてさ。ただその子供が道中で誘拐されて、国境警備隊が救助に当たってたんだと。救助活動だけ参加して、後は警備隊――カイル兄に任せてきたよ」


 クリスタニアの南の国境を警護する軍隊、通称国境警備隊だが。彼らはそのままだと平時の際には無駄飯ぐらいということで、メイスオンリー領の治安維持と警察機構の役割も持たせられている。名前とは裏腹に、要人の誘拐事件という軍には縁遠そうな事件を担当させられたのは、それが理由だ。

 事件の詳細はスカーレットが語ったとおり。身代金の用意が終わる前に、犯人が誘拐した少女に暴行を加えようとしたため、スカーレットが独断専行し、鎮圧。それが今日の事件の概要だ。

 救助された子は救助後も泣き続けていたようだから、相当に怖い思いをしたのは間違いない。メイスオンリー領は父、ヒルベルトの治める領地だ。それだけに、この地で起きた罪が少女を傷つけたという事実が心苦しいが。

 ソニアは少し考え込むように黙り込んだ後、


「……お貴族様、ですか?」

「うん。詳しくは聞いてないけど、女の子の格好からして結構いいもの着てたし。もしかして、うちのお客様だったりする?」

「来客のお話は伺っておりませんね。敵国に最も近い辺境領に来たがる貴族がいるとも思えませんが……」


 ソニア達使用人が知らないということは、うちでもてなす客ではないということだ。ということは、父の配下である誰かの知り合いだろうか。子連れということは、おそらく個人的な付き合いだろうが。

 ともあれうちには関係なさそうだと察して、スカーレットはため息をついた。どちらにしても、後のことは警備隊――父や現場を担当した親戚にでも任せておけばいい。

 そこで考えるのをやめて、スカーレットは別のことを訊いた。


「そういえばソニア、明日の用事は?」

「授業の類はありません。基本的には自由時間となっておりますが……明日はともかく、三日後にお出かけの予定が入っておりますので、絶対に家を抜け出さないようにしてください」

「三日後? なんで?」


 今のうちから釘を刺してくるとは珍しい。なんかあったっけ、と首を傾げていると。

 何やら改めるように神妙に、ソニアが言ってくる。


「お嬢様。お忘れかもしれませんが、お嬢様もあと二週間ほどで、十歳の誕生日を迎えます。本来なら十歳になってからの参加が正しいのですが、この前旦那様とお話をして、少し早いくらいなら問題ないという話になりまして。だから……そうですね、おめでとうございます」

「……何が?」


 やっぱりわからずもう一度訊く。

 と、ソニアはむっつりとした無表情に、ほんの少しだけ微笑みを混ぜ込むと――静かに、こう言ってきた。


「――今年のコムニアへの参加が認められました」

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