甲状サイのハシモトアタック
『人間はホルモンを支配し、ホルモンに支配されている』
人間はホルモンバランスを厳格にコントロールすることで、健康状態を維持している。
例えばインスリン。これは満腹時に栄養を貯金するよう促すホルモンだ。肝臓や脂肪細胞に対しては「今、栄養いっぱいあるから貯金しろ!」と命令し、また筋肉には「今、栄養いっぱいあるから貯金を崩さずこれ使え!」と栄養を供給する。
食事をとり続けなくても暮らしていけるのは、体がインスリンの量を巧みに調整しているからである。
例えばバソプレッシン。これは脱水状態に陥った時などに血圧を維持するホルモンだ。腎臓に対して「尿を出すな!」と命令することで循環血漿量を維持するよう働き、また血管に働きかけて「収縮せよ!」と命令する事で血圧を維持するよう働く。バソプレッシンの量をコントロールすることは、血が正しく流れる事に必須なのだ。
ちなみに、細菌感染に際して意識を失う状態(敗血症性ショック)の際は、心臓を動かす薬である「ノルアドレナリン」に加えて、このバソプレッシンを使う事もある(2023年現在)。意識を失い、生死の狭間にいるような患者を、バソプレッシンが救うのだ。
しかし、ホルモンを支配しているという事は、逆にホルモンに依存している、ホルモンに支配されているとも考えられる。
例えばインスリン。膵臓に異常が起きてインスリン分泌を出来なくなれば、糖尿病になってしまう。糖尿病とだけ聞くと「体が砂糖で溢れていて、尿まで甘くなっている」という印象を受けるかもしれないが、その考えは甘い(砂糖だけに!)。
インスリンが極度に減少すると、血管内は栄養たっぷりにも関わらず、筋肉や脂肪などの細胞が「今って空腹だよな? 仕方がない、お腹空いてるけど我慢するか……」と勘違いしてしまう。その結果、体は栄養を蓄えることも利用する事も出来ず、場合によっては致死的なショックに陥ることもある。これを「糖の利用障害」と言ったりする。「糖があるのに利用できない」と言う意味だ。
逆にインスリンが過剰分泌される病気として「インスリノーマ」と言う癌がある。こちらはインスリンが出続ける病気なので、栄養がないにも関わらず「今栄養たっぷりだよー! さあ、買った買った!」と糖を叩き売りしてしまう。その結果、血糖値が低下して、脳が疲弊する。その結果、場合によっては著しい人格変化をきたすこともある。
具体的には以下の事例を見てみよう。
「最近、妙にイライラする。危うく同僚を殴り飛ばすところだった……。周囲からは『あの人、昔は温厚だったのに、最近凶暴になったよね』って噂されてるし……。はあ、精神科に行ってみるか」
と言う事例。
いかにも精神疾患のような状態だが、実はこの原因がインスリノーマという訳だ。インスリノーマは癌の一種なので切除すればある程度良くなるにも関わらず、精神疾患と誤診され続ける可能性もある恐ろしい病気だ。
バソプレッシンについても少し触れておこう。このホルモンが不足すると、尿が異常に出続ける病気になる。中枢性尿崩症という病気だ。
水を飲んでは、尿として排出。水を飲んでは、尿として排出。昼も夜も関係なくトイレに行きたくなる。なお、治療法はバソプレッシンの補充である。
※正確にはその誘導体のデスモプレシンを点鼻投与。
◆
突然どうしてこんな話をしたのかと言うと、78層を攻略している最中に、七瀬さんが甲状サイの毒攻撃「ハシモトアタック」を食らってしまったからだ。
甲状サイは甲状腺をイメージした魔物だ。なぜサイと甲状腺が関係しているのかと言うと、甲状腺ホルモンの別名がサイロキシンだからだ。……まあ要するにダジャレだ。ただ俺は思うんだ。マニアックな知識を知らないと気が付けないようなダジャレってギャグとして意味がないのではないかと。
なお、甲状腺ホルモンの役割は多数ある。それらを詳しく話すと長くなるので、物凄くかみ砕いて説明すると「やる気」を司る。
「七瀬さん!」「大丈夫ですか?!」
「大丈夫……。だけど、すっごく疲れた……。ちょっと休ませて~」
ハシモトアタックの元ネタは橋本病、甲状腺ホルモンが不足する病気の一種だ。
橋本病では「やる気ホルモン」が低下するわけだから、「やる気が出ない」と言う症状が出る。まさに今の七瀬さんの状態だ。
ちなみに、橋本病では以下のような症状もである。
・気怠さ、眠気、体重増加
・寒いのが苦手になる(体温のやる気が出ない)
・便秘(腸のやる気が出ない)
「『リカ……』いや、甲状サイを倒してしまおう!」
「分かりました!」
毒状態を消すために回復魔法「リカバリー」を使おうと思ったが、偶然近くに先輩がいたので中断。代わりに甲状サイを倒しきって、毒状態を解除しようと考えた。
この世界での毒攻撃は、術者を倒せば解除される。毒に限らず、異常状態全般に当てはまる性質だ。
「頑張ってね~」
なお、七瀬さんはその場で座り込んでやる気無さそうに俺たちを応援している。ハシモトアタックは毒攻撃にしては珍しく、罹っても苦しくないんだよな。リカバリーを使わなかったもう一つの理由である。
幸い甲状サイは一分後にはドロップアイテムと化した。七瀬さんにかかっていた毒状態だ解除される。
「ごめん! 途中から二人に任せちゃって!」
「いや、問題ないよ。俺の方こそ、回復魔法を使わなくてすまなかった」
「うんん。前からそれには頼らないって話だったし」
なお、ドロップしたのは「サイ印のサイロキシン」だった。ただの換金アイテムである。残念、次のドロップに期待しよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます