もう、若くないのだから
モリタの
屋敷林の枝打ちをしたり、雪囲いをしていてオーバーワーク。膝が痛くなり2日間ほど寝込んでいたが全然良くならず、挙句、お尻から膝にかけて激痛が走るようになり、かかりつけの病院でもらった痛み止めも効かず3日目の夜にはとうとう我慢ができなくなり救急に連れて行ってほしいと言い出す始末。
当初、本人は単に疲れが出ただけと思っていたらしいが、救急では坐骨神経痛の疑いが浮上、整形外科の受診を勧められる。タイミングが悪いことに、その夜は土曜日。結果、月曜日に受診した総合病院でも週明けの混雑からMRIが順番待ちで火曜日になり、その間もずっと痛みと闘うことになる。
大きな病気をしたことがなく、70歳を過ぎても250ccのオートバイに乗り、周りから「お父さんホントに若いね」と言われ、調子に乗って頑張り過ぎたようだ。
その前にも嫁ヨシエが
「おじいいちゃん、そろそろインフルエンザの予防接種せんにゃ」と勧めたが
「・・・せん・・・」と拒否。
「はぁーー!??」
「いや、なっても2、3日で治るし・・・」
「そんな問題でないやろ!」
「それにこないだ本読んどったら、アメリカでもそんなに・・・」
「ここアメリカでないし! 日本やし!」とひと悶着あったばかり。
家族からは「いつまでも若ないがやから!」と言われ続けていたのに自分だけは大丈夫という思い上がりがツケとなって降りかかってきたと言える。
はっきり覚えている。9月27日。視界が変わった。
いつものように車で仕事に向かったがどこか変だ。帰り、たまたま通りかかった河川敷でラジコンのヘリコプターを飛ばしている。車を停めて少し見ていると、あれっ?・・・機体が二重に見える。これって・・・!?
帰宅してネットで調べたら「複視」という症状。その原因や治療法を探っていくなかで、脳外科、眼科、神経内科、いろいろなアプローチがあったが該当しない症状もあり絞り込めない。
結局「疲れが出ただけ」という書き込みを採択して翌日は稲刈りの当番日。コンバインに乗っても遠近感が定まらずいつもより時間がかかる。翌々日の症状はさらに悪化していて、車の運転をしていても道が二方向に見え、片目をふさいだ方が混乱しないというありさま。耐え切れず眼科に行くと簡単な問診で先生の言葉のトーンが変わる・・・今すぐ!という勢いで脳外科の受診を勧められ総合病院の紹介状を書いて下さった。そしてここまで追い詰められてやっと思い知る。・・・やってしまった・・・。
そういえば思い当たる節はある。連日のマラソンのトレーニング、特に90分走りこんだにもかかわらず4・5時間の睡眠が続いていた。
生憎その日のうちに診てもらえるところはなく、それでも翌日の朝イチの予約を取った下さった。もう、ごまかしはきかない。ヨシエに症状と診断結果を白状したところ、翌日の脳外科にもついてくるという。
車の運転をしてくれるのは非常に助かる。病院に向かう途中、
「だいたい、アンタ前からおかしかったもん。忘れ物が多かったり、ぼーっとしとったり、机の角に体ぶつけたり。何かある思とったがいちゃ。
病院に着くとすぐに血圧を測定 「154/93」・・・えっ!?自分でも信じられない。月に一度くらいは測ってきたがいつも正常値。こんなことになっているなんて!どーした!? オレ!・・・やっぱり脳に大きな負荷がかかったか・・・?
問診・診察、紹介状のおかげもありすぐにMRIを撮ってもらうことができ、待合いで待機。「モリタさーん、診察室にお入りください。あっ、奥様もご一緒に」と言われ、二人とも不安と覚悟が交錯する。
「MRIの結果ですが・・・この部分、この真ん中のあたりですが、黒く写っているのが正常、白くなっていると異常ということなんですが・・・んー・・・はい、異常はありません。それに、首から脳に向かう血管、ここに血栓ができると目に影響を与えることがあります・・・・これも異常ありません。他にも、この部分や、このあたり、いろいろ診ましたが、全体にきれいです。脳に問題は見当たりません」
「えっ?本当ですか?前頭葉とか本当に異常ないがですか?」とすぐに聞き返したのはヨシエ。
「はい、脳に血流異常は見られません。まあ、血圧を下げる薬と、血液がサラサラになる薬を出しますので様子をみてください。あとは、適度な運動でしょうかね」
「すみません、適度な運動と言われましたが、過度な運動はしたらあかんのですか?」
「・・・と言われますと?」
「いや、実は今度富山マラソンに出ることになっていて、ここまで来たら何とか体を仕上げて出場したいのですが・・・」
今思うとよくこんなことが言えたものだ。ついさっきまで最悪の宣告も覚悟、同時にもっと自分の体を労わればよかった、無理をするんじゃなかった、と猛省していたはずなのにこの思い上がりはいかがなものか。自分が逆の立場だったら「何を勘違いしておられるのですか!」とたしなめたくなるが、ありがたいことにその医師からは、血圧が高くならない程度なら、ということで慎重を前提とした許可が下りる。
「あと、あまりくよくよしないことですかね。はい、お大事に」
最悪の事態になっていないことにほっとした。だが、時間が経つにつれ、・・・で?・・・だからどうしろと?・・・医師から言われたことを思い出し何度も繋げ直してみるが腑に落ちない。
つまり、大したことがないということ? そのうちに治るのか? あるいは、生命にかかわる症状ではないので受け入れて上手に付き合っていけ、ということ? 他に調べる余地はもうないの? はっきりさせたくて翌日も昨日の病院を訪ねる。
「すみません、昨日、脳に異常はないから血圧に注意しながらあまり気にせずに、と言われましたが、これって、諦めて気長にこの病気と付き合っていくということですかね?」
「脳に障害が見られなかった以上、まあ、そういうことになります」
「・・・そうですか。実は自分でも呆れるくらい弱いなと思ったんですが、夜、床に就く度に、これは何かの間違いではないか? 明日の朝、目を開けたら治っているんじゃないか?と毎日期待してしまいます。こんな日が続くとノイローゼになりそうなんですが・・・」
「う~ん、なるでしょうね。ノイローゼとかヒステリーとか。ですからあまり考えすぎないことですね」
「車の運転とか大変なんですが」
「ああ、その辺はテクノロジーが解決してくれます。僕は今
医者の見地からの解決策には躊躇がない。他部門の専門医の受診を薦めるでもない。唖然とする一方、自分の担当分野で病気と向き合い、原因や治療法にすぐにたどり着く訓練を重ねるということは、このような割り切り方が必要になるということかな、と思ったりもする。
さて、どーする?自分なりに治療の優先順位を考えてみる。・・・あとは、神経内科か、眼科の名医か。それこそ目が治るなら東京でも大阪でも・・・。その次は東洋医学、あっ、気功もあったか・・・。それでもだめなら、
それにしてもなぜ自分が、自分だけが・・・?・・・でも世界中にはもっと酷い境遇に喘ぐ人がいる。いつだったかテレビのドキュメンタリーで “試練はそれを乗り越えられる人に与えられるの、という言葉でやっと受け入れることができた” という場面あった、が、当事者になってみるとそんな格言もどこ吹く風、自分だけはそうなりたくないというエゴイズムが鎌首をもたげるよこしまな自分に気づく。
・・・・そんなばちがあたるような事はしたか?・・・身に覚えがないとは言い切れない・・・・でも、救われたい・・・・
困った時の神頼み・・・・・・それはあまりに傲慢というもの・・・・
ギリギリのところで座敷の仏壇と家族の遺影に “見守ってください” と手を合わせる。
・・・そういえば・・・ふと世の中に起こっている事のほとんどは落語で説明することができる、落語が教えてくれる、と言っていた故・
幸いなことに、定期的に施術してもらっている総合病院の東洋医学の先生に打ち明けると、神経内科を紹介してくださり、同時にそこの眼科で別の詳しい検査を受けることができた。どうやら右の眼球を動かす筋肉が左側とシンクロしていないらしい。根治に結びつく明確な治療法はないらしいが、薬を摂取しながらしばらく通ってみることにする。
父にいつも言い続けていたことだが、いい加減、自身も悟らなければ・・・・・・・「いつまでも若ないがやから!」 そして、年をとったらより意識して人の言われることを素直に聞ける様にならないと・・・。
実は10日ほど経った頃から、正面だけだが安静にしていると二重視がなくなった(走ったり、左方向を見るとダメ)。車の運転が楽になったことで精神的にも落ち着き、ノイローゼにならなかったのは不幸中の幸い。でも直接の原因はいまだにわからない。
ヨシエが近所の友達の奥さんにモリタのことを打ち明けるとまじまじと見返しながら「ストレスじゃない?」と言ってくれたそうだ。
そう、そのヨシエ、モリタがこんな容態になっても相も変わらずその舌鋒にはいささかのブレも容赦もない。
「アンタ、目のことちゃんと会社に言わんにゃ! 同じ仕事ができんがでも普通にしとってできんがか、病気で効率落ちとるがかで周りの見る目違ごよ!ちゃんと目が見えんようになったから仕事ができんがです、いうてアピールせんにゃ」
「見ざる聞かざる言わざる・・・アンタ、最近耳遠くなったし、これで目え見えんようになったし、あと余計なこと喋らんさえすれば、少しはまともな人間に近づけるないけ」
「アンタ・・・・・・アンター!・・・ちょっここっち来られ。ほら、またここにアンタのチリチリの抜け毛落ちとる! 物が二重に見えるがなら2倍気づくはずやけど、なんで見えんがけ? ねえ!何で!」
2015年11月
※1 父
昭和5年生まれなので、この時点では85歳
ボケていないのと、自分のことは自分でできるのは本当に助かる。
※2 前頭葉の障害
モリタに該当するのは以下の症状
■同時処理困難:一度に2つ以上の事柄に注意を向けて、行動を行うことができない。
■記憶障害
新しいことが覚えられない、物をなくす、どこにしまったかを忘れる。同じ間違いを繰り返すなどの症状がみられる。
※3 ベンツ
メルセデス・ベンツ(独: Mercedes-Benz)は、ドイツのダイムラーが所有する自動車のブランド
人間のミスを補完する先進安全技術や事故に結びつきそうな先進デバイスが自車の周囲を正確かつ緻密に把握検知し、事故要因を未然に防ぐ機能がこのころから標準装備される傾向にあった
※4 穴の谷の霊水
富山県上市町。北アルプスの剱岳に抱かれた山間に湧く、かつて「世界三大名水」「奇跡の水」とうわさされた水。江戸時代、美濃国の白心(はくしん)法師がこの地で修業して以来、霊場として知られるようになり、寝たきりの女性がこの水を飲み歩けるようになったという話から、万病に効くという。
難病が治ったとかいう人の存在がマスコミなどを通して紹介されたこともあり、一躍全国区の知名度を獲得、現在でも日本中からこの水を求めてやってくる。
駐車料金 普通車200円
特製霊水用ポリ容器 10L 600円
台車貸出1往復200円、等、サービスも充実
※5 壷
1992年頃、世界基督教統一神霊協会による合同結婚式や霊感商法が大きな話題となった。芸能人の桜田淳子さんが200万円で壷を購入したとか?
1978年(昭和53年)頃から、先祖の霊が苦しんでいるとか、先祖の因縁を説かれ、高価な印鑑、壺、多宝塔等を購入した多くの者が、国民生活センターや各地の消費生活センターに苦情を寄せるようになった。1986年(昭和61年)には『朝日ジャーナル』が「霊感商法」批判記事を連載した。1980年代以降、国会でも社会問題として度々取り上げられ、日本国政府に対策が求められた。
※6 立川談志
落語家 1936年1月2日- 2011年11月21日
落語家として全盛期の評価は概して高いものの、直情径行な性格により数々の過激な争いを起こす。居眠りしていた客を追い出して裁判になったことも。モリタの手元にある音源にも客に「帰れ!お前が出て行った後、帰るんじゃなかったという芸をやってやる」と喧嘩している様子が。一緒に過ごすには想像を絶する覚悟が必要と思われるが、その考え方や視点、切り口に唯一無二の斬新さと深みと凄みと真実があり、痛快でもある。「俺の芸が簡単に解ってたまるか」とも高座で言い放っている。
この人について語り出したらキリがないのでここまで。
※7 金玉医者
モリタは立川談志師匠の金玉医者しか聴いたことがないが、その一説
「医者なら治せ。治すのが医者だ」
「笑えばこっちのもんです、もうしめたもんだぁ、生きる、ちゅうこととつながることなんですよ」
「治ったんですよ」
これだけ書き並べても全然伝わらないという自覚はあります。是非、実際の音源をお聴きください。
長年、喉の不調に苦しんだ立川談志師匠自身がこの金玉医者に出会いたかったのでは・・。
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