富山マラソン
小学生の時、その距離の語呂合わせを「死にいく心」と教えられ、ずっと一般人が踏み込んでいける領域ではないと思い込んでいた。
2年前、人生に一度でいいから完走すれば冥途の土産になると思い一念発起してエントリー。昨年5月の二度目は途中から記録に目がくらみ頑張ってみたらタイムは初回を上回ったがその代償として足の爪3枚が剥がれた。その時、病院の先生から「何目指しとるが? はっきり言うて体に悪いよ」と言われる。
そして三度目の今回、9月末に原因不明(モリタはストレスだと思っているが)の目の病気(複視・高血圧)にかかったが何とか出場する方向で調整。トレーニングも控えめにしたつもりだが、あるときいつもなら全然平気なスピード&距離なのにどうにも息苦しくて我慢がならずトレーニングを中断した。もしかして血圧が急上昇したのでは?と測定したところ、何と 77/56 心拍数160! 血圧を下げる薬と血液サラサラになる薬の影響か?どうしよう・・・このままでは体が仕上がらないし完走もできない・・・・・。
目標タイムを4時間30分~5時間でも良しとする、そして全ての給水所で過去にはスルーしてきたいろいろな食べ物を遠足気分で味わい、この 『富山マラソン』 をもって潔く引退する方向で気持ちを整理する。
二日前の天気予報を裏切り、当日は晴天。前日から血圧降下剤の服用は止め、とりあえず1㎞=6分のペースで10㎞走ってみることにする。
特に心肺の異常はなさそうだが視界が二重に見えるのは相変わらず。ストレスになるので人にぶつからない程度に目の周りの筋肉を弛緩させる。
10㎞からはペースを1㎞=5分40~30秒まで上げ、新湊大橋も無事通過。さらにもう一段ペースを上げたくなるがこれ以上はまた足の爪が剥がれる恐れがあるので我慢。走ったことの無い人はご存じないだろうが、4~5時間を目標にトレーニングを重ねた場合、スパートをかけない限り息が切れることはない。
そして周りのみんなが当たり前に42㎞を走るという環境、つまりこの時だけは走ることが普段の日常に等しくなる。トレーニングの方がたとえ距離が短くても孤独や退屈、そしていつ止めてもいいという怠惰との闘いが辛く、選考や記録がかかっている人でない限り、レースが一番苦しくない。
前方に見える何人もの後ろ姿を見ながら走りが綺麗で緻密でその時の自分に一番合うペースの人を探してはついていく。前を走る人がどんどん変わる。
凄い仮装をしているのにこの距離をこのスピードで!?という怪物にも出会う。前方にキャップをかぶった妙齢(たぶん?)の女性ランナーが走っている。先回りして後ろを振り返るのも無理があるし、顔は勝手に都合の良い妄想を当てはめ、後ろから何歳くらいかな?何時間くらいを目指しているのかな?普段はどこで走っているのかな?やっぱりマラソンにはポニーテールが一番萌えるな・・・などとどうでもいいようなことを考えているうちに時間はすぐに経つ。
そして沿道の応援。さまざまな個人、団体が声だけでなく音楽ありダンスあり、あの手この手でゴールまでの距離を忘れさせ今を走ることに専念させてくれる。はたして、五十を過ぎたおっさんがこんなに応援されることって他にあるだろうか?
仮に会社で「頑張れ」と言われることがあったとしても必ずそれは「これくらいやってくれなくては困る」という上から目線。一方家に帰れば、百万年前のトカゲみたいな顔(出:古今亭志ん生)で「あんた、わかっとる?」と皮肉やさげすむ声ばかりで声援や激励、まちがっても拍手や喝采を伴う応援などあるはずがない。まるでノーベル賞か金メダルに値するような凄いことを成し遂げようとしているように扱われ、そんな環境が走っている間途切れることがない。
中にはわずかだが日の丸を振って応援して下さる大先輩がおられ、それこそ自分が日本代表になったわけでもないのにシャキッとしなければと思うし、身も心も日本人なんだなあ、と実感するし、無条件で嬉しい。あらためて日の丸の威力を感じる。
目論見通り給水所では提供されるものを積極的に摂取していたが、新湊の白エビ天むすを食べた段階で正直体が欲してないものを無理して押し込んだ感があり結局これ以降は水分と梅干、そしてお尻のポケットに入れてきたゼリーとアミノ酸だけを補給していくことになる。
30㎞を過ぎたころから筋肉が固くなり関節が痛みだすがこれは過去二回のレースでも経験していて想定内。そして足の激痛や痙攣で歩いたり立ち止まったりしている人がちらほらと見受けられるのもこの辺りから。
血圧はどうなっているのかわからないが、ここまで来たら4時間のペースランナーはすぐ先にいるはず。ペースを1㎞=5分10秒くらいまで上げ射程に入れる。
36㎞地点は長男のアパートの真ん前。特に知らせていなかったがサプライズで沿道に出て応援してくれていたらどんなに嬉しいだろう。小遣いも白紙の小切手を切ってもいい、と思いながら横切る。もちろん居るわけもなく、アパートの中で寝そべっていると思えば何というか、、、、、つくづく損な奴。
心配だった心肺機能は最後まで崩壊することなく、ラスト1㎞はしっかりスパートをかけることもでき3時間57分43秒でゴール。1ヶ月前、絶望を覚悟したことを思えばこの完走は十分すぎるほど幸運な部類に入り、医療機関、家族もそうだが、八百万の神にどれだけ感謝しても足りない。
翌日はやっぱり筋肉痛。11月3日の日本バッハコンクールの準備で○×△□ホールに行ったが、階段の上り下りがキツイ。ホールのスタッフから「もしかしてマラソンですか?」と聞かれる。どうやら、市街のいたるところで足を引きずっている人がいたらしい。その晩、家でそのことを話すと「へえ~、もし火事になったりしたらどうなるがかねえ。みんな、すたこらさっさ逃げとるがにアンタだけ足が痛くて逃げ遅れたりして? キャハハハハ♡ 」
11月下旬、黒部名水マラソンの実行委員会から次回のDMが届く。また、富山マラソン2016の開催も決定したようだ。魅力的なアナウンスだが、外野からはマラソンの常連が膝を壊して歩けなくなったという事例もあると聞く。それほどまでに中毒性があるのはまた出たくなるのか、止めることが負い目になるのかどっちだろう?
フルマラソンはもう止めようかと思う。目標タイムを5時間くらいに設定すれば今ほど負荷をかけなくてもよくなるのでは?という意見もあるかもしれないが、トレーニングの量を減らせば確実に当日の苦しさは増す。レースの距離を減らせばあっという間にゴールになり物足りない。出なければ生活にメリハリがなくなる。
・・・・・・年相応に盆栽とか陶芸でも始めようか・・・・・・・ ん?
・・・・同じ始めるならピアノでしょう・・・・・・・・・・・・・
とか言いながら実はこっそり 『ウルトラマラソン』 を目指してたりして・・・・ 冥途の土産に・・・・・
今度こそ、人生に一度だけ・・・・・。
2016年1月
※ 富山マラソン
北陸新幹線ならびに富山・新高岡駅開業に合わせ、2015年11月1日に初開催されたマラソン大会で、スタートは高岡市役所前、ゴールは富岩運河環水公園。
出走者は1万人強。
モリタは第一回の富山マラソン2015に出場。
※2 Tシャツの背中
「もし俺が歩いていたら『 走れ !! 』と言ってください」
「ビール 飲ませろ」
とか、いろいろ。
※3 昔付き合っていた女の子の名前を順番に思い出しながら走るという豪傑
以前、モリタがお世話になったスキースクールの校長から聞いた話。オフシーズンも毎朝5kmのランニング、その時に、昔付き合った女の子を順番に、という話があったような・・・?
※4 日本バッハコンクール
日本バッハコンクール実行委員会 委員長:石井なをみ
全国大会主催:株式会社東音企画
2010年に第1回が開催
「音楽の原典を学ぶ」をコンセプトとした、
日本随一の規模のピアノコンクール。
バロック期のポリフォニーの作品を学習することで、
読譜力や演奏能力の向上を促し、一生ピアノを学び続けるための基礎を育成することを趣旨とする。
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