マラソンは科学

 少し前の話になるが、今年の5月、黒部で※1  フルマラソンに挑戦した。

 モリタが初めてマラソン大会に出場したのは2009年の秋、社内の“T” に「滑川ほ※2  たるいかマラソン、一緒に出ましょうよ」と誘われ10㎞部門にエントリーしたらTは申込入力に不備があったとかで不参加、見事にハシゴを外された。でもそこでふてくされることなく、出場するからには目標を設定して緻密なトレーニングを課したのが少しは大人になったモリタ。小出義※3  雄著「知識ゼロからのジョギング&マラソン入門」を読み、ランナーズウォッチを購入し、2ヵ月かけて仕上げ、44分で走り切る。その時の充実感と達成感みたいなものが後を引き、2010年は長野県大町で10㎞、2011年からは春・秋の2回になり、ハーフにも参加、そして今回のフルデビューとなる。

 走っていることを話した時、相手の反応はいくつかに大別される。

 何のために走るの?何が楽しいの?なぜ、マラソンを始めたの?だから痩せてるのね?珍しいところでは、ランナーズハイってどんな感じ?

 村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること」という本がある。ノーベル文学賞候補に怯まずモリタも語る。是非、村上大先生の本も読んでいただき凡人と天才の違いをお楽しみいただきたい。

 初レースの参加を決めたとき真っ先に思い浮かんだのがS先生の「マラソンは科学だ」という言葉。調べてみると、ただ闇雲に走るのではなく、走力を鍛える坂道ダッシュ、心肺を鍛えるロング・スロー・ディスタンス、リラックスして走るジョギング、疲労の回復と筋肉を育てる休息。これらを1週間のメニューに組み込むことで毎週のようにタイムが短縮し、走ることが止められなくなる。

ずっと以前N(1)先生からピアノの五大練習というのを伺ったことがある。ゆっくり・片手・リズム・メトロノーム・録音録画。それに近いものがあるのかもしれない。

 平日の練習は夜。食べると横腹が痛くなるのでどんなに遅くなっても何も摂らずにトレーニングに向かう。寒い日や虫が顔にぶつかってくる(ど田舎だから)のが嫌で最近ではジムのマシンで走る事が多い。正面にテレビが吊るしてあって、そこで食べ物番組を見ながら「肉食いてぇー、ビール飲みてぇー」と汗ダラダラになって走る。さらに空腹と息苦しさの中で、あと30分、あと10分、あと1分・・・と戦いながらわけもなくべそをかきそうになる自分がたまらなく愛おしい。

 ハーフまでは躊躇はなかったがフルはさすがに・・・・・と迷っていた時、近所の膝を壊した後輩が「いいなぁ~走れて羨ましい」と。その一言でその晩エントリーし、今度は4ヶ月前からトレーニングに入る。

 ハーフからフルに距離が延びることで大きな課題が3つ発生する。故障、エネルギーの枯渇、そしてコンディション作り。

 トレーニングに無理があると炎症が発生し、せっかく積み上げたものが、最悪、直前で全て無駄になる。また、一流選手は別にして市民ランナーの場合、30㎞を過ぎたあたりで体内に貯めたエネルギーを全て使い果たす。その時点でバナナを食べても空腹感は凌げるがエネルギーに代わるまでは2時間かかるので気力があっても足が前に進まないという事態になるらしい。そして鍛えるだけでなく当日にピークを持っていく調整。

 本やネットで知恵をかき集め、レース1ヶ月前からは普段のトレーニングでもサプリ「アミノ※4  バイタル」を服用することで疲労回復を早め筋肉痛を回避する(ちなみにピアニストでも腱鞘炎予防のため服用されているようです)。

 エネルギー対策は最後まで迷ったがウルトラマラソンにも参加された事のあるN(2)先生の旦那様の話を伺って「ウイダ※5  ーinゼリー」を2パック携行する。そのためにポケットのたくさんついている短パンを探し、さらに靴擦れの心配から超立体五本指設計のソックスを買い足し、士気が高揚するシャツを選ぶ。目標タイムで完走するための準備なら惜しいものは何もない。

 そしてイメージトレーニング。マラソンを始めたころから一つの憧れがあった。国際大会などで見られるゴール直後にバスタオルを持った女性スタッフに倒れこむ、という例のアレです。でもそれは川内選※6  手のような清潔でストイックで若い一流の選手が一流のタイムを出すから絵になるのであってローカル大会を平凡なタイムで五十を超えるオヤジがゴールしてもタオルなんてどこにもないし・・・・・・・。そうだ!誰かと一緒に会場入りすれば・・・・・!もちろんここでいう“誰か”とは間違っても“嫁ヨシエ”ではない。・・・・・やっとの思いでゴールする。倒れこむ。もう一歩も歩けない。肩につかまりゴールの給水所で水を飲ませてもらう。芝生広場に移動してシューズを脱がせてもらい呼吸が整うまで横になる。傍で心配そうに見つめる瞳・・・・・・・・。

 いつか・・・いつの日か・・・・・低俗で阿呆な妄想がレース本番に向けて膨らんでくる。

 金哲彦※7  著「マラソン練習法が分る本」を読むことで当日のペース配分が決まった。

スタート直前はサプリを1袋飲みストレッチだけ。最初の10㎞でウォームアップ、そのあと折り返しまでの登りはペース控えめに。サプリは10・20・30kmで1袋ずつ、ゼリーは15・20・25・30㎞で1/2パックずつ吸収。他にも給水所ではスポーツドリンクと足が痙攣しないように塩を補給。

 前半の登り、30℃を超える気温、後半の向かい風で25km過ぎからは失速する選手が続出。トレーニングでは30㎞まで走ったことがあるがそこから先は未知の領域。若干の筋肉痛はあるがペースは維持できそう。

 H先生から40㎞地点あたりで応援するので予想通過タイムを教えてほしいと前日にメールがあった。それを少し上回るラップでハイタッチ。このあたりから、やっと終われるという気持ちと、もう終わってしまうんだという気持ちが錯綜する。

 沿道の観客は最初から最後まで途切れることなく続く。今思えばトレーニングの孤独も悪くない、が、レースで受ける声援は少し照れるが間違いなく心身に活力を与えてくれる。と同時に、いくつもの道路を封鎖して大勢のボランティアのおかげで“走らせてもらっている”ことと42㎞走れる体に産んでもらった親に感謝せずにはいられない。

 ゴール直前で今日二度目の高橋尚※8  子選手とハイタッチ、そして3時間48分30秒でゴールライン通過。

 もちろん、そこにタオルを持ったオネエチャンが待っているわけもなく、一息ついた後は一人高速に乗ってウチに帰る。

 途中のスーパーで買ったお惣菜で一人慰労会をしながら、それでもばかばかしいしいとは思わず、「・・・・・でも、あれだな、妄想で止めておくからいいんだよな・・・・・本当にそうなったら・・・・あっけない・・・・というか、何でも手に入れればいいってもんじゃないよな・・・・・・・・」

 実はレースが終わった後も時間を作っては走っている。あのひもじさが懐かしい。そして、自分を痛めつけた後のビールを味わうと、もう、ただのビールが飲めなくなる・・・・・・・・・・・・・・・・

 嘘です・・・・・・ただのビールも大好きです。


                                 2014年9月



※1 黒部

黒部市

富山県の北東部に位置する山あり、水あり、温泉あり、海ありの自然豊かなところ。黒部ダムや黒部峡谷を走るトロッコ電車が有名。



※2 滑川

滑川(なめりかわ)市

富山県東部に位置し、ホタルイカの漁獲量が多く、「ホタルイカ群遊海面」は国の特別天然記念物に指定されている。


※3 小出義雄

マラソンの指導者として大きな実績があり、有森裕子や高橋尚子を育てたことで有名。


※4 アミノバイタル

味の素KKが開発&製造

疲れにくい、そして、疲れを残さない効果があるサプリメント。用途に合わせ、ゼリーや顆粒、液体など、いろんな種類がある。



※5 ウイダーinゼリー

「10秒チャージ、2時間キープ」のキャッチフレーズで一世を風靡した森永製菓が製造・販売しているエナジージェル。1994年の発売以来「ウイダー」の略称で親しまれてきたが、2018年3月の出荷分から商品名は「inゼリー」に変わり、ウイダーという名前はひっそりと削除された。


※6 川内選手

川内優輝

長距離ランナー。当時は埼玉県職員として勤務する傍ら、練習を続け、数々のレースで活躍。フルマラソンでは常に全身全霊で力を振り絞って突っ走るためか、マラソンのゴール直後は意識朦朧の状態で倒れ込み、医務室へ運ばれる事態となることが多い。

2019年プロランナーに転向。


※7 金哲彦

離選手・解説者

最近ではNHK『ラン×スマ 街の風になれ』に講師として出演。


※8 高橋尚子

元マラソンランナー

2000年シドニーオリンピック女子マラソン金メダリスト。積水化学所属時代の小出義雄監督との二人三脚ぶりは有名。


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