第3話 旦那が間違えて飲んだ結果。
「珍しいな。君が私を呼びつけて茶会をするなんて」
「たまにはこうして紅茶を淹れないと腕が鈍ってしまいますもの」
「そんなものは使用人にでも任せればいい。君がわざわざするまでもない」
相変わらずの冷たい態度を見せるピートだが、私はいつもと違って軽く笑って受け流した。
彼は何も知らないが、私にとっては最後のアフタヌーンティーだ。今なら大抵のことに動じない自信がある。
作戦を決行する場所に選んだのは普段の彼の定位置である執務室。使用人は部屋から追い出していて私と彼の二人きりだ。
「軽食はスコーンとサンドイッチか」
「はい。ピートさまはいつもお忙しくて昼食を抜きがちだと聞いたので私が用意しました」
「君の手作りなのか?」
「ええ。調理の方は慣れないので手間取りましたが、料理長からもお墨付きはいただいてますよ」
「余計なことを……」
お前の手作りなんて……とでも言いたげでイライラとしている様子のピートだけれど視線はサンドイッチに向けられている。
素直にお腹が減っていると言えばいいのにどうしてこうも悪態をつくのだろう。
まぁ、そんなことを今更になって気にするのは意味がない。
「では、お茶会を始めましょうか」
私はティーポットを握ってカップへと紅茶を注ぐ。
ピートがスコーンとサンドイッチに夢中になっている間にこっそりと例の薬を入れて何食わぬ顔でかき混ぜた。
見た目には特に変化もなく、怪しまれることもない。
あとはこの紅茶を飲んで楽になってしまうだけでこれまでの苦しみから解放され、私を傷つけてきたこの男に復讐が出来る──はずだった。
「んんっ! スコーンが喉に……」
「ピートさま!?」
二人分の紅茶を注いだ時点で急にピートが苦しそうに咳をした。
どうやら想像していたよりもお腹が空いていたようで欲張って口いっぱいに食べ物を含んだ様子だった。
彼は喉に詰まったものを胃に流し込もうとカップへ手を伸ばして一気に飲み干した。
──私が飲む予定のカップを。
「むっ!?」
「あ、あああああああっ!!」
薬入りの紅茶を飲んで胸を抑えるピート。
大変なことになった。このままでは彼が死んでしまう。
私はそんなつもりじゃなかった。困らせたい、苦しませたいという気持ちはあったけれど命を奪って殺したいなんて、そんな気は無かった!!
「……甘い。甘過ぎるなこの紅茶は」
「ピートさま! 今すぐに吐き出してください。それから胃の洗浄をしなくては」
冷静に味の感想を口にするピートの側に寄って容体を確認する。
飲んですぐ死ぬとまではいかなくても毒物を早く吐き出さないと手遅れになる。
「吐き出すだって? 何を言っているんだ君は」
「ピートさまが今飲んだのはただの紅茶じゃないのです」
バレてしまっても構わない。
自白にも聞こえる言葉を口にしながらピートを助けようとすると、彼は私に向かって言った。
「せっかくベルが僕のために用意してくれた紅茶なのに勿体ないじゃないか」
はい? なんて?
「えっと、その……お体はなんとも無いんですか?」
「君は何を言っているんだ? 僕はベルからお茶会に誘ってくれたおかげで舞い上がりそうなくらい気分が良くてむしろ普段より調子が良いくらいだよ♪」
私は自分の耳を疑った。
彼が苦しむ様子が無くてホッとするのも束の間、何かがおかしいことに気づく。
「いや、あの、薬が……」
「さぁ、お茶会を続けようか。さっきはベルの作ったスコーンが美味し過ぎて頬張ってしまった結果喉に詰まらせてしまったから今度はゆっくり味わって食べないとね」
ニコニコと嬉しそうにしながら席に着くピート。
あれ? 彼はこんな風に表情を変える人だったか?
いいや違う。ピートという男は私を叱る時に怖い顔をするくらいでそれ以外はクールな人だ。
今みたいに子供のようにコロコロ表情が顔に出るタイプじゃない。
「ふむ。このサンドイッチは具材が多めで僕好みだね。しかし、君がわざわざ調理するなんて……」
これはさっきと同じ展開だ。
貴族の妻が厨房に立つなんてという彼からのお叱りが来るはず。
「是非とも見てみたかったという気持ちと君が包丁で怪我をしないか心配な気持ちがあって僕は複雑だ。けれどこんなにも美味しいのは君の手作りだからなんだろうね!」
身構えていた私にかけられたのは見当違いの言葉でした。
「ピートさま。本当に大丈夫ですか? なんだかいつもより若干……いや、かなり饒舌ですけど」
頭大丈夫ですか? と言わなかった私は偉い。
今の彼はかなり変だ。原因があるとすればあの紅茶に入れた薬のせいだ。
「ふむ。そう言われれば確かに今の僕は普段よりも口が軽くなっている気がするね。いつも恥ずかしくて君と目が合わせられないのに今は目を見て会話しているのも変だな」
「いつも恥ずかしい……ですか?」
自分でも違和感を感じいる様子のピートは戸惑いながらも私に話す。
「うん。君のかわいらしい顔を見ているとニヤけてしまいそうになるから普段は頭の上を見ているんだ。それなのに今は顔を見れている」
「か、かわいらしい顔ですか!?」
絶対に彼から出そうもない褒め言葉にゾワってする。
鳥肌が立っているかもしれない。
「そうだ。君はとてもかわいいんだよベル。だから他の男と会うなんて許せない。もしも奴らが君に近づこうものなら僕は嫉妬で狂ってしまいそうだ」
「えー……」
真剣な表情になってとんでもない事を口にするピートに私は引いてしまった。
この人は本当に私の夫なのだろうか? 別人とすり替わっていると言われても信じるくらいに変だ。
「君は誰にでも優しいから勘違いする奴がいて当然だ。僕が目を離さないようにしないと……」
そんな変な状態の彼だけど、話す言葉に嘘をついている感じはしない。
いつもより何十倍も心情が顔に出ているからわかる。
「私のことをそんな風に思っていたのですか?」
「あぁ、いつも君のことを考えているよ。君が男に言い寄られていないかとか、怪我するような危険な目に遭わないか」
しゅんとした顔で語るピートを見て、私の中でパズルのピースがカチリと埋まる音がした。
まさか、もしかして、という思いが込み上げてくる。
「ピートさまは私のことが嫌いじゃないんですか?」
「とんでもない! 僕は世界中の誰よりも君を愛しているよ」
恐る恐る質問すると、彼は今日一番の大声を出した。
「だって、いつも私に冷たいじゃないですか……」
「それは君があまりにもかわいくてどう接すればいいかわからないんだ」
「手も握ってくれないし、夜伽に誘っても反応してくれないし!」
「そんなことをすれば自制が効かずに君を滅茶苦茶にしてしまいそうで嫌われると思って……」
「はぁ!?」
今度は恥ずかしそうにモジモジし始めるこのバカ男に私はキレた。
「じゃあ、渡したプレゼントのマフラーはどう説明するんですか!」
「君の手作りの品を汚したくなくて執務室の鍵付きの棚に仕舞っている」
「マフラーは使うために作ったんです! 汚れたり壊れたりしてもこれからいくらでも作りますよ!!」
捨てられでもしたのかと思ったらこの男は……。
積み重なっていたイライラが私の中で膨れ上がっていく。
「本当かい? ……でも、君に負担をかけるのは……」
「夫婦なんだから支え合うのは当然です! むしろもっと頼って欲しいんです。私は自分がピートさまに必要とされていない用済みでお飾りの妻だと思っていたんですよ?」
ムカついている。怒っているはずなのに私は目に涙を浮かべてしまった。
感情がぐちゃぐちゃになっていく。
「私なんていらない子だと思って、いっそ離婚でもしてくれたらって……ピートさまは何も言ってくれないし……ぐすっ」
「泣かないでくれベル。僕には君が必要なんだ。忙しい仕事や悪意を持って近づけてくる連中がいる中で君を見ている時が癒しなんだ」
「だったら……もっと口にしてください。もっと触れてください。態度に出してください……私、そうじゃないと分からないんです……」
立ち上がって私の側に来たピート。
私はそんな彼の腰に抱き付いて思いっきり泣いた。
子供の癇癪みたいに大人気なく喚きながら不安を吐き出した。
「ベル。君がそんな風に思っているなんて……」
慣れない手つきで彼が私の頭を撫でる。
「僕は昔から女性にしつこく絡まれやすくて、苦手だったんだ。でも舞踏会で君を初めて見た時に一目惚れしてしまって、お義父さんに頼み込んで君と婚約をしたんだ」
今まで話してくれなかった事実を彼が語る。
ピートは侯爵家の当主の座が欲しかったんじゃなくて私の夫になるために父に近づいた。
もっと上の立場の家からの縁談を全て断って、色んな人から嫌味や文句を言われてでも私と結婚したかったと。
「やっとの思いで手に入れた君を失ったり傷つけたくなかったのに、こんな風に心配させるなんて僕は夫失格だ」
「はい。そこはしっかり反省してください」
「……うん」
顔を腫らして嗚咽を堪えながらもそこだけはしっかり指摘しておく。
でもそっか、私ってば嫌われていなかったんだ。
彼は私を好きでいてくれる。それゆえに正直になれなくてこんな勘違いが生まれてしまったんだ。
「これからは君への好意が伝わるように善処する」
「私もピートさまを信じて強引に行きます。断れないくらいグイグイ近づきますからそのつもりで」
「あ、あぁ。お手柔らかに頼む」
クール雰囲気のくせに不器用な人。
こんな特異な状況になって初めて私は彼の素顔に触れられた。
素直な気持ちをぶつけ合うことが出来て良かった。
もっと早く彼の思いを知れたら毒を飲んで死のうだなんて考えもしなかったのに。
……あれ? ピートさまが変になったのは紅茶を飲んでしまったからだとして、あの薬は何だったんだろう?
「ところでベル。君がさっき口にした薬って何の話なんだい?」
「あ、いや、その……」
「詳しく教えてくれるまで僕は君を逃がさないよ。僕の方はそれでも良いんだけれどね」
顔を見上げるとサファイアのような青い瞳がハイライトの消えた状態で私を真っ直ぐ見ていた。
咄嗟に顔を逸らそうとしたけど、頭に置かれた手のせいで動けない。
「ベル?」
目も合わせてくれなかったピートさまが私の名前を甘い声で呼んでくれているのに私は今までのどんな時よりも怖いと思ってしまった。
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