第2話 薬屋にひとりいく


 数日後、私は彼に偽の予定を告げてお忍びで町へとやって来た。

 将来有望で王族からも覚えめでたい彼は城へ行っているので使用人達にお小遣いという名の口止め料を払っていればバレないだろう。

 目的地へ向かう途中に先日編み物用の毛糸を買おうとしていた店を見つけて足が止まりそうになる。

 本当はここで買った毛糸で彼に手編みの手袋を贈ろうと考えていた。

 去年渡したマフラーは結局一度も使われているところを見なかったので私なんかの贈り物は喜ばしくないと思うけど。


「確かこの辺りに……」


 握りしめた地図を片手に私は細い路地を進む。

 町の表通りから遠ざかった路地裏はお世辞にも清潔とは言えず、昼間だからいいものの夜はかなり治安が悪そうな跡があちこちに転がっている。

 普段こういう場所と関わりがない私が探しているのは友人から聞いたとある店だ。


「……あった! 東洋の文字で書いてある看板。ここで間違いないわ」


 やっとの思いで見つけたのは古びた外観の怪しい薬屋だった。

 恐る恐るたてつけの悪いドアを開けて店内に入ると錆びたベルの音が鳴った。

 薬品臭くて薄暗い店の奥から人の気配が近づいて来る。


「ハイハイ。いらっしゃいアル〜」


 パタパタと小走りで出てきたのは癖のある喋り方をする小太りな男性だった。

 白衣を着てはいるが、黒いサングラスに細長く生えた髭のせいで清潔そうには見えない。髪もこの国の男性がまずしない三つ編みにしていて、怪しい雰囲気がプンプン漂う。


「アラ、こんな若いお嬢さんが一人で来るなんて珍しいアルネ。店間違えてないアルカ?」

「あの、今日私は薬を買いに来たんです。ここは普段出回らないような特殊な薬を扱っていると聞いて」


 夫であるピートの目を盗んで会っていた学生時代の友達から噂話を聞いたのだ。

 この町には訳あって国を追放された薬師がいて、その人は珍しい種類の薬を調合出来ると。とある貴族が後継者争いでそこで買った薬を兄弟に一服盛って当主になったとかなんとか。


「ホゥ。お嬢さんもその口の人ネ」

「はい。私、結婚しているのですが夫とは全然口も聞かずに夫婦らしい触れ合いもありません。彼にいつも行動を制限されていてもう耐えられないんです」


 初対面の人に話す内容ではないと思ったが、我慢出来ずに私は色々と漏らしてしまった。


「それは大変アルネ。お嬢さん、見た感じ大人しそうだし、辛そうネ」

「こんな生活を早く終わらせたいんです。だから私が楽になれる薬をください」


 私が彼の彼の目の前で毒を飲んで死ぬ。

 こんな計画を立てるなんて気が狂っているのかもしれないと思われてもおかしくないけれど、私はもう限界だった。

 何をするのも、誰に会うのも、彼からの許可を得ないといけない自由のない縛られた生活。私が彼に与えられるものはなく、彼から求められることもない。

 ただ世間体のためだけに大人しく従順な妻であり続けなくてはならない苦しみがあるだけだ。

 どうせ今も死んでいるような生活で、これから先何十年も繰り返すというなら早く終わらせたい。


「特殊な薬は値が張るアルヨ?」

「これでお願いします」


 私はポケットの中から金貨がパンパンに入った小袋を取り出した。

 子供の時から貯めていたお小遣いと結婚時に母から貰った宝石を換金したお金だ。


「え? こんなにはいらないアルヨ」

「いいえ。私の人生全てを賭ける仕事をお願いするんです。遠慮なくお受け取りください」

「あっ、ハイ……」


 私が押し付けた小袋を困ったような顔で懐にしまう薬師。

 しかし、お金なんて持っていてもこれからの私には必要なくなるわけだし、ここでパーっと使い切れてむしろスッキリした。

 どうせならもの凄い薬を用意してもらって派手に死を演出してもいいかもしれない。


「えっと、薬を調合するのにいくつか質問をするので答えてもらっていいアルカ?」

「構いません。……ただ、自宅の場所や名前については伏せてもよろしいですか?」

「勿論アル。見た感じ、お嬢さんは普通のお客さんじゃないのは分かっているアル。家名を知って厄介事に巻き込まれるのはもう懲り懲りネ」


 薬師の言葉から察するに、私が平民ではなく貴族だというのはバレていそうだ。

 貴族達の中で噂になっているくらいだし、何度も依頼人として相手をしてきたのでしょう。


「まず最初の質問は身長と体重アルネ。お嬢さんの分とそれから──」


 薬師からの質問は十分もしないうちに終わった。

 いくつか意図がわからないものもあったけれど、素人には理解出来ないだけでプロには必要なものだったのだと割り切る。

 私の正体についても全く詮索をせずに薬師は回答をまとめた紙を持って店の奥に消えていった。

 一時間くらい経つと汗をかいた薬師が再び前に現れて小袋に包まれた薬を渡してきた。


「これがご依頼の薬アルネ。注文通りに溶けやすい粉薬で飲み物に混ぜて服用するネ。オマケで味も甘くて飲みやすくしているから大丈夫だと思うアル」

「ご配慮ありがとうございます」


 なんていい人なんだろう。

 これから毒を飲んで死ぬ人間のために味にまでこだわってくれるなんて。

 見た目と喋りが胡散臭くて怪しんでいたけれど、この人に頼んで正解だった。


「それでは私はこれで失礼します」

「お大事に……っていうのは余計だったアルネ。お嬢さんの願いが叶うことを祈っているヨ」


 薬師は手を合わせ頭を下げる東洋風の挨拶をしたので私も頭を下げて店を後にした。

 これで遂に……。

 薬の入った小袋を大切に仕舞って私は帰路に着く。万が一のことも考えて偽装のために使わない毛糸を買って帰った。


「さぁて、そろそろ潮時だし引っ越すアルネ」


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