本能と衝動的殺意の(6)

 彼女の腕の先から現れた『長い無数のソレ』が、一体なんであるのか、視認する暇はなかった。

 途端にアリスが、立っていた地面を砕く力で前方へ飛び出してきた。打ちつけるような風圧をまとい、身を低く屈めたまま突進して雪弥に向かう。


「雪弥!」

「蒼慶様いけませんッ!」


 目にも止まらぬ急発進を見て、飛び出しかけた蒼慶を宵月が制した。その直後、雪弥は自分の顔に一点集中で向かってきた『凶器』の先を、咄嗟に銃身で受け止めていた。

 アリスの指先は、人間の手の姿を失って茶色く硬化していた。先端を鋭く尖らせた枝をはやし、それは一本一本が生きているかのように伸縮自在で、枝先は更に分岐して大きく伸び広がっている。


 こちらの顔面を貫けなかった彼女が、可笑しそうに顔を歪めて「あれぇ?」と言う。


「ただの銃で受け止められちゃった。しかも壊れないんだけど、妙な加工でもしてんの?」

「……少しばかり頑丈仕様でね。その手こそ、どうしたの」

「これが『本来の俺の一部』だよ。たった一撃でも、なかなか重いだろ?」


 そう言いながら、アリスが止められた手をそのままに、残っていた方の手も繰り出してきた。雪弥は身体を反らせてそれを避けると、一旦体勢を構えなおすように後退した。

 変異した彼女の指は、やはり木の枝か幹のようだった。伸び方に法則性がなく、太さも不揃いで、威力に関しては木と思えない。チラリと確認してみると、特別加工されている銃は、一発目の攻撃を防いだ際に小さな亀裂が入ってしまっていた。


 その時、アリスの指となっている枝が急速に成長し、地面を激しく打ってバウンドした。生きているように上がったかと思うと、いびつな線を描いて頭上から突き刺すように落ちてくる。


 それを察知してすぐ、雪弥は一瞬で後方へと跳躍していた。地面にバウンドしながら、こちらへと伸てくる枝を後退しながら右へ左へと避ける。一度高く跳躍し、身体をひねりながら弧を描いて連続した攻撃をかわしたものの、追ってくる速度と距離は縮まらない。


「これじゃ、ほんとに埒(らち)があかないな……」


 敵の攻撃の動きを観察しつつ、そう口の中に呟きを落とした。銃を持っていない手で着地すると同時に、更に身体を跳躍させて宙を舞う。


 雪弥は、上昇が止んだタイミングで、空中で体勢を整えるように身体を半回転させて、襲い来る枝を蹴り技で薙ぎ折った。壊れた枝は再生しない。けれど成長によって伸び続ける仕様らしい事を確認しながら、間を置かずに第二撃、第三撃を放って足で叩き潰す。

 次々に打ち込む攻撃の反動で、上空へと身体を持ち上げた。枝を踏み台にして身をそらした際、銃を持っていない方の手を伸ばして幹の部分を粉砕し、落下の力を利用して枝の分岐点を足で木端微塵に潰してみたが、相手側の攻撃速度に変化は見られなかった。


 植物の『成長』というのは、もしかしたら『再生』よりも厄介であるのかもしれない。

 そう考えながら、雪弥は背後に迫った攻撃を反射的に捉え、身体を素早く反転させた一瞬で、銃を構えた。目前に迫った複数の鋭い枝先に向かって、続けて素早く銃弾を撃ち込んで潰すと、ついでに遠くの太い幹に狙いを定めて撃ってみた。


 銃弾は、太くなった幹に対しては、表面に少し傷を入れただけだった。どうやら、あれくらいの太さになると、この程度の飛び道具では効果が薄いらしい。


 そうチラリと目を寄越して確認した雪弥は、一旦体勢を整えるべく、襲いかかって来た丈夫な枝を踏み台にした。そのまま放物線を描いて、巨大な柱の中腹まで飛ぶと、足を付けたところで敵の現在の位置へ目を向ける。


「そこで止まるなよ番犬! もっと反撃して来ないと、面白くねぇだろが!」


 カチリと視線が合ったアリスが、ギラギラと嗤ってそう吠えた。蠢きながら伸び続けていた枝が、その足元に一時引き返すようにして膨れ上がった一瞬後――


 息も吐けない攻防を注視していた蒼慶達の視界から、風圧で砕かれた地面を残して、彼女の姿が消えていた。ロケットが発射されたような爆音を起こしたアリスが、柱目掛けて一直線に飛び出したのだ。


 スカートが捲れて太腿まで露わになっているのも構わず、金髪を振り乱しながらこちらに迫ってくる少女の姿を見て、雪弥はそっと表情を歪めた。


 そこに浮かんだのは、向けられている殺意に対抗するような厳しさではなく、どこか静けさを漂わせた悲しさだった。


 アリスが腕を振るうのを見て、串刺しのように向かってくる無数の枝がくる直前に、地面に降りるべく柱を蹴った。その後を、彼女が「久々の息のいい獲物だぜ!」と追い駆け、互いに跳躍で移動しながらの攻撃と回避が続いた。


 地面が抉られ、柱の角が粉砕され、遠慮を知らない怒涛の攻撃で無数の穴が開く。それでも避けるばかりで、雪弥は一向に防ごうとはしない。


 辺りに舞った土埃が濃くなった頃、痺れを切らしたようにアリスが怒号した。


「ヤる気がねぇんなら、とっとと捕まってクタバレ番犬! クソヤローめ、こっちは腹が減って血が飲みたくてたまらねぇってのに、テメェぶっ殺さないと上に行けねぇだろうが! 殺し合いさせろよ! 殺させろ! 死ね! 逃げ回られるだけじゃクソつまらねぇよ!」


 吐き捨てられる汚らしい暴言を聞いて、雪弥は肩越しにそちらを見やった。弱々しい光を灯したその鮮やかな青い瞳が、物言いだけにそっと細められる。


 兄達がこちらを目で追いながらも、自信たっぷりな表情で『終わるのを待っている』紗江子を確認している様子も、先程からずっと見えてはいた。あちらまで被害が出ないように、逃げ続けているからである。


 けれど、これ以上は引き延ばせない。


 もう何度目かも分からない着地を柱の側面にしたところで、雪弥は神妙な顔でアリスを見つめ返した。向かってくる彼女が「とうとうやる気になったか!」と赤い目を見開いて、笑いながら己の凶器を振るってくる。


 その一瞬、雪弥の中で、時間の流れがゆっくりになった。先程から脳裏に繰り返されている、つい数時間前まで緋菜と笑い合っていたアリスの姿が、またしても浮かんでいた。

 それを思い返しながら、手に持っていた銃を離した。変わり果てた目の前のアリスから、一度だけそらすように目を伏せ、カチリと意識を切り替える。


 直後、雪弥は碧眼を見開いて、真っ直ぐ彼女を見据えていた。一瞬にして殺気に研ぎ澄まされた目が、凍えるような青い光を煌々と帯びて、襲い来る攻撃を捉える。

 爪がギチギチと音を立てて鋭利に伸びた。強い殺気を察知したアリスが、咄嗟に枝を地面に突き立てて空中で止まった時、銀色の煌めきと共に彼の右手が振るわれて、ひゅっと風を切る音を上げていた。


 切断音は、ひどくあっさりしたものだった。紙でも切ったかのようなキレイな切り口を見せて、華奢な指先から切り離された枝が、ぱらぱらと落下していく。


 アリスが、短くされた両手の枝を見て「え」と声を上げた。自身の目でさえ視識出来なかった一瞬の出来事に、何が起こったのかすぐには呑み込めない様子で、問うような目を雪弥へと戻しながら、背中から落ちていく。


 落下していく彼女の金髪が、ふわりと宙に広がった。牙を覗かせる花弁のような小さな唇が、罵倒を浴びせるように大きく開いていく光景が、雪弥の目にはスローモーションのように映っていた。



――彼女を傷つけたくない。今は別人格とはいえ、あの子はアリスで……。



 けれど心音は煩いほど高鳴り、全身の血流が激しく波打って周りの雑音を消し去っていた。落ちていくアリスの姿を前に、頭の中が痺れるような興奮に真っ赤に染まるのを感じた。全身が一つの強い衝動に疼き、両足にぐっと力が入る。


 殺したい。赤い血を流す『彼』のさまがみたい。


 殺せ殺せ殺せ……領域(テリトリー)に入った、獲物だ、ならば殺していいはずだろう。嗚呼、憎いぞ。生きている『音』が不快だ。聞こえてくるその心臓の音を止めてしまえ。



――殺生の賽(さい)を振れ。我は【蒼緋蔵家の番犬】であるぞ。



 雪弥の両目が、一際強く鮮やかな青い光を灯して浮かび上がった。その美麗な顔に、これまでにない強気な笑みが刻まれた直後、彼の身体は一瞬で柱の側面を踏み砕いて、前方へと飛び出していた。

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