本能と衝動的殺意の(4)
闇の中から響き渡ったのは、一人の女性の声だった。
身体を震わせながら、桃宮がどうにかといった様子で顔を上げた。見開いた目で数秒ほどそこを見つめると、続いて視点が定まらない目をこちらへと向けてくる。
生気が失せたその顔を見て、雪弥は言葉を失った。彼は、もう助からない。それは致命傷を追わされた人間の、絶命前の光景だと経験から分かってしまった。
「わたし、には、か、ぞく、が」
そう発した桃宮の口から、大量の血液が噴き出して声が途切れた。いびつな線を描くナニかが、暗闇から無数に突出したかと思うと、彼の身体を貫いて宙へと持ち上げたのだ。
皮膚や筋肉を突き破る音が、地下空間内に響き渡った。その凶器は、まるで生きた植物の枝で――まさに、原始的な串刺し処刑のようである。
桃宮が完全に絶命してしまうと、歪な長い凶器は、その身体を払い捨てて闇の向こうへと一旦引っ込んでいった。顔を強張らせつつも、宵月が主人の前に腕を伸ばして警戒を強めた。
蒼慶が、奥歯を噛みしめた。自身の憤怒を抑えるように吐息をこぼしてから、低い声で「出て来い」と告げた。
「あらまぁ、蒼緋蔵家の男子だとは思えないくらい、戦い慣れていないみたいな反応ねぇ。随分可愛い次期当主だこと……うふふふ、震えてらっしゃるの?」
そう闇の中から声が上がった時、紗江子が優雅に歩み出てきた。彼女はその顔に微笑をたたえたまま、数メートル先に転がった『夫』の死体には目もくれない。
真っ直ぐ目が合って、にこりと微笑みかけられた。本能から『敵である』と分かっているのに、殺意も敵意も感じなくて、どうして、という言葉だけが雪弥の中に浮かんでいた。
彼女の姿を認めてすぐ、蒼慶が「やはりな」と呟いて喉の奥で笑った。
「蒼緋蔵の分家・桃宮勝昭は、旧藤桜家(きゅうふじざくらけ)、現在は桃宮家と呼ばれている名家の長女と婚姻を結んだ。名が変わったのは、藤桜家の中から『特殊な血筋の兆候』が現れる者がいなくなったとして『血の呪い』は絶えたとされたから――だったが、皮肉にも藤桜の血統を引く娘が誕生したか」
「うふふふふ。そう、旧藤桜家の『桜の精霊』さんよ」
口許に手を添えて、紗江子がふんわりと微笑んだ。
「藤桜家の血が持つ『物語』は、夜に桜の化身となってしまう哀れな異形の物語……ほんと、皮肉よねぇ? 藤桜家は、江戸の末期に表十三家の加護のもと、名を桃宮と変えて未来永劫に『呪われた物語』を封印したと思っていたはずなのに、ここにきて特殊筋の娘を産んだの」
紗江子の後ろにある闇の中から、ふと小さな呻き声が上がった。自由のきかない身体をひきずるようにして、体重の軽い一組の足音が近づいてくる。
それに少し耳を傾けてから、彼女が再び口を開いた。
「可哀そうよねぇ。やや不完全だったせいで、身体に流れる血を理解出来なくて苦しんでいたの。それを『あの方』が手助けしてくださったのよ」
「不完全な特殊筋、というやつか……。婦人のふりをした貴様が言う『あの方』が誰かは知らんが、一体それはなんだ? どうやって完全と不完全を見分けている? どうして、それだけで早死にする?」
「早死に? そんなの決まってないはず――ああ、なんだ、そういう事なのね。蒼緋蔵家の副当主の件があるのに、それを次期当主様は知らないのね?」
ちょっと予想外だった、とでも言うように紗江子が目を丸くした。場の緊迫感と混乱も見受けられない雪弥へと目を向けるのを見て、彼が「答えろ」と険しい表情を浮かべて催促すると、察した様子で視線を戻す。
「うふふふ……なんだ、そうなの。あなた、それで必死になって調べているのね? そもそも、何か勘違いしているんじゃなくって? 三大大家は『特殊筋』ではないのよ。だから、あなたの疑問を解決しようと思って『余所の一族』を調べても、参考にならないわ」
「なんだと?」
「調べるのなら、一族の秘密を深く掘り返さなきゃ」
問い返された紗江子は、おかしくてたまらないと口許に手をあてると、嘲笑うように蒼慶を指して続けた。
「蒼緋蔵家は『蒼』の名を持つ戦士と、『緋』の名を持つ術者がいた。それが全ての始まり――まずは、そこから知りなさいな。特殊筋でもなく『禁忌を犯して取り入れた』のに、普通であるままだったら、耐えられるはずがないじゃない?」
ねぇそうでしょう、と同意を求めるようにしてこちらを向く。
雪弥は、どこか母親にそっくりな紗江子を見つめ返した。よく分からない事を説く彼女の話している言葉が、まるで本能的な自己防衛が働いているかのように、ぼんやりと耳を通り抜けて一つも理解出来ないでいる。
兄が彼女と、一体なんの話をしているのか推測がつかない。それなのに、それを集中して考えようという気持ちはなかった。目の前で桃宮勝昭が『殺され』て、目の前にいる紗江子が偽物で、敵対している現実が唐突過ぎるせいで実感が追い付かないでいるのか。
ただ、彼女が口にする『あの子』という言葉については、誰を指しているのか理解には至っていた。蒼緋蔵家に来た訪問者は、全員で三人。先程、桃宮が『あの子が自分母親と弟を殺すなんて』という台詞が推測を押していた。
兄から聞かされた話が脳裏に浮かぶ。そんな非現実みたいな事なんて、あるのだろうか、とも思う。けれど先日の学園の任務で、化け物と闘った一件もあってか、不思議と否定する気持ちも込み上げないでいる。
あの時、目の前で大学生が変異したのを見届けた。まだ人間の姿のままであったその友人が、殴り殺した事への罪悪感を抱えながら、殺したくないと泣きながら大量に吐血して、助けられないままこの腕の中で死んでいった事も蘇った。
雪弥は、作り物の微笑とは思えない『紗江子』の笑顔を、静かに見つめ返した。きっと自分は、この現実を受け入れたくないのだろう。そんな諦めを覚えながら問い掛けた。
「…………紗江子さん、アリスちゃんは、今どこですか?」
「あら。まだ『鼻』が効かないままなの? 余程、あの聖水が効いたみたいねぇ」
そう言いながら、紗江子がふんわりと微笑んだ。途端に蒼慶が「その顔をやめろ」と、鋭い声を上げた。
「どんな術かは知らんが、記憶の中で一番懐かしい人物に見えるようにしてあるとは、悪趣味にもほどがあるぞ」
「仕方ないでしょう? だって、以前から知り合いだったみたいに懐かしい気持ちになる、暗示がかかって警戒心が外れる、これが私の『特殊筋』としての有りようだもの。だからこそ、私がこの任務に選ばれたのだけれど。……次期当主様には、一体誰に見えているのかしらね? それとも、大事な弟さんの傷口を抉る行為だと、腹を立てているのかしら?」
問われた蒼慶が、ざわりと殺気立って怒りの形相を深めた。
その時、苦しげに呻く声と共に、紗江子のすぐ後ろから一つの足音が上がった。宵月がハッと目を向けるそばで、雪弥も蒼慶と共に振り返り、闇の中から進み出てきた小さな影を見て――目を見開いた。
そこにいたのはアリスだった。波打つブロンドの美しい髪に、レースの付いた小さな靴と、可愛らしいフリルのドレススカート。それは日中と変わらず清潔な様子であるのに、様子はすっかり痛々しくなっていた。
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