本能と衝動的殺意の(3)

 自分で怒鳴ったというのに、それにも衝撃を受けたのか、桃宮は強張った顔をして荒々しい呼吸を繰り返していた。足もぶるぶると震え出してしまっており、額には大量の脂汗が浮いている。


「慣れない事をするのは、さぞ苦しいだろう、桃宮前当主」

「!?」

「詳細を話せないのなら、どうしてこんな事をしているのかだけでも、訊いていいか」


 蒼慶が、続けて淡々と尋ねる。すると、桃宮が更に余裕を失った様子で「いいからッ、その本を渡してくれ!」と更に一歩踏み込んで、こちらに銃口を突きつけてきた。

 宵月が冷静さを装いながらも、いつ発砲されても対応が出来るよう、彼の次の行動を考えながら主人の前に構えた。それでもピクリとも反応せず、雪弥は開いた瞳孔で桃宮をじっと見つめていた。


 怪訝そうな顰め面を持ち上げて、蒼慶が「これでは、話にならんな」と小さく吐息をもらした。引き続き、普段の厳しさもない眼差しを向けて問う。


「お前がそのような行動に出なければならない理由は、本当の妻と、幼いもう一人の息子を、人質に取られているからか?」


 問われた直後、桃宮が弾かれるように顔を上げた。使命を果たさなければというようにしっかり拳を構え直すものの、切羽詰まった様子ですぐに言葉も出ないのを見て、蒼慶が「やはりそうか」と言い、皮肉だと語るような冷笑を浮かべた。


「それは、『特殊筋』と何か関係があるか?」

「煩い!」


 桃宮が怒鳴り返した。特殊筋という言葉に反応した彼は、「私はやらなければいけない」と震える声を上げながらも、やはり今にも泣き出しそうな目をしていた。


 それほどまでに『特殊筋』という言葉は、特別な意味を持つモノなのだろうか。彼が知っている『特殊筋』とは一体なんだ、わざわざ銃を兄に向けさせるほどの事なのか? そう思って、雪弥はつい尋ねてしまった。


「桃宮さん、僕は一族の事だって、よくは知りません。あなたを怯えさせている『特殊筋』という言葉は、あなたにとって一体なんなのですか?」

「わ、分からないんだ。私にも『よく分からない』んだよ。突然現れて、あ、あんな……」


 蒼慶の時とは違って、桃宮が少し冷静さを取り戻した様子で、くしゃりと表情を悲痛に歪めた。まるで強く同情するみたいな目を向けられて、雪弥は不思議に思う。


「君を巻き込んでしまって、本当に申し訳ないと思っている。まさか『こんなタイミングで』いるとは思わなかったんだよ。だって君は、ここへはもう二度と訪れる事はないとばかり……大きくなったんだね、目元が更に紗奈恵さんに似ていて、驚いたよ」


 ああ、母さんを知っているのか、と察して雪弥は口をつぐんでしまった。自分はいつ会ったのかも覚えていないというのに、彼は亡くなった母の子だと、ずっと記憶してくれていて、だからこちらに対して容赦になれない部分もあるらしい、と理解した。

 そう考えていたら、桃宮が「私は、その恋を応援していた一人だったんだ」と続けた。


「蒼緋蔵家の分家のほとんどは、反対していた。その中で、私のようにこっそり応援して、当主に協力していたメンバーも確かにいたんだ。私も何度か、君たち親子を見掛けて、実際に彼女とも話して……」


 それなのに私は、と桃宮が自身の持つ銃に目を向けて、ぶるぶると震えた。


「紗奈恵さんの息子である君を、こんな、こんな事に巻き込んでしまうだなんて」

「もう、死んでいるんだ、桃宮前当主」


 不意に、続く独白を遮るようにして、強めの声が上がった。


 桃宮がなんの事だか理解出来ない様子で、ふっと顔を上げた。数秒ほど置いて「確かに紗奈恵さんは亡くなったが」と、しどろもどろに口にした彼を見て、蒼慶が形のいい唇をもう一度動かして、こう言った。


「そうじゃない。残念ながら、――『あなたが人質に取られた「妻」と「末の息子」は、もう殺されてしまっている』んだ」


 私情の読めない普段の鋭い瞳を覗かせて、蒼慶は一語一語をはっきりと区切ってそう告げた。桃宮が両目を見開き、後退しかけた足をもつれさせながら「そんなはずはない」と狼狽する。


「そ、そんなはずはない、だって、彼らは私に」

「皆、もう死んだ。『先に殺された者達』のあと、あなたを乗せた車が旅館を出てから、妻と息子は殺されて床下に――」

「そんなの嘘だ! そんなはずはない!」


 目尻を潤ませた桃宮が、感情に任せるまま銃を持つ手に力を入れた。その指が反射的に引きがねを引き、大きな発砲音が上がる。


 その瞬間、雪弥は咄嗟に、宵月と蒼慶をむんずと掴んで引き寄せていた。二人を銃弾の軌道からそらすと、自分の後ろに回しながら桃宮を真っ直ぐ見据え、飛んでくる銃弾を捉える。


 黒いカラーコンタクトがされた碧眼が、標的をロックオンし、鮮やかな明るい青を灯して淡く光った。飛び道具ごときに用はないと言わんばかりに、彼は向かってくる銃弾の軌道を、わずかに身体を反らせて避ける。


 向かってきたその銃弾は、空気を切り裂いて雪弥の眼前を通り過ぎていった。彼の柔らかい髪先を掠り、そのまま直進して、奥にあった祭壇に撃ち込まれる。


「雪弥待て!」


 宵月が庇う後ろで、蒼慶が制止の声を上げだ。しかし、その時すでに、雪弥は地面を蹴って前方へと急発進していた。


 驚いた桃宮が、引き金に添えていた指に力を入れて、もう一度引いた。一発、二発と続けて銃弾が放たれるものの、雪弥は突き進みながら右へ左へと身体を動かし、すべて避けると、ものの数秒もかからずに彼の眼前に迫っていた。


 風圧によってコンタクトレンズが弾かれ、雪弥の本来の碧眼が露わになっていた。鋭く冷たい光を灯したそれが、銃口の先で浮かぶのを見た桃宮が「うわぁ!」と悲鳴を上げて、更に拳銃の引き金を引いた。


 至近距離で発砲されたのを見て、蒼慶と宵月が「雪弥!」「雪弥様!」と声を上げる。


 けれど雪弥は動じなかった。冷静なまま瞬時に頭身を下げると、その銃弾を回避した。銃弾が頭上を通過した直後、突き出されている銃を軽く弾き飛ばす。


 鞭で叩かれたような衝撃を受けた桃宮が、短い悲鳴を上げて手を押さえて膝を折った。上空に弾かれた銃が、ゆっくりと落下して引き寄せられるように雪弥の手に収まった直後、一瞬にしてその銃口が桃宮の頭に向けられていた。


「やめろ! 雪弥撃つな!」


 蒼慶が怒鳴る声を聞いて、雪弥はそのままの状態で停止した。つい、引きそうになった引きがねから指を離すと、殺気立った目を桃宮の頭に向けたまま口を開く。


「すぐに撃つつもりはないよ。――そもそもヤるんだったら、銃を退かす手間はかけない」

「……だといいんだが」


 駆け付けた蒼慶が、そう呟きながら、膝を折ったまま手を抱えている桃宮を見て小さく息を吐いた。そばにきた宵月が、同じように彼の無事を確認して「本当に、恐ろしい方です」と感心とも呆れとも取れない口調で言った。


 その時、桃宮がようやく顔を上げた。真っ直ぐ自分に銃口を向けている雪弥に気付くと、茫然としたように見つめ返した。その顔には、次第に恐れの色が浮かんだが、額に浮かんだ汗が頬を伝った拍子に、彼がハッと蒼慶へ目を向けた。


「た、頼む! その本を渡してくれッ! でないと、私の家族が――」

「先程も言ったが『人質に取られていた二人の家族』は、すでに殺されてしまっている。残酷だが、それが現実だ」

「そんなの嘘だ! 私はっ、私は確かに約束したんだ! それに『あの子』が、自分の母親と弟を殺すなんて、そんな事あるわけが――」


 不意に、話していた桃宮の言葉が途切れた。その身体がビクンっと震え、ぐらりと地面に崩れ落ちる。


 その直後、まるで何かに引っ張られるように、彼の身体が地下空間の闇に向かって引きずられ始めた。雪弥達は何が起こったのか分からず、巨大な柱の間で動きが止まるまでの間、その様子を茫然と目で追ってしまっていた。



「もう、あなたに用はないのよ」



 桃宮が苦痛の呻きを上げて四肢をよじる中、闇の中から、凛とした女性の声が上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る