本能と衝動的殺意の(1)

 長い階段の終わりにあったのは、先に見かけた岩がはめられただけの物とは違い、しっかりと扉の形に加工され、文様を施された古い時代を思わせる扉だった。


 明かりに照らされたそれは、埃や苔で本来の色も分からないほどに風化し朽ちていた。彫られている文様も所々が欠けてしまっており、いくつかの円と線が引かれている以外、それが元はどんな模様だったのかさえ定かではなくなっている。


 辺りには年代を感じさせる匂いが立ちこめており、四方のいびつな壁にも、ひどい風化が窺えた。触れてみると冷たく湿っている。


 雨水が滴っている所は見られなかったが、壁にも地面にも水の気配を覚えながら、雪弥は手を離して、扉へと歩み寄った兄を見やった。


「随分と古い時代を感じますね」

「蒼緋蔵家が、ここを拠点として、本格的に屋敷を構え始めた頃からの物らしいからな」


 蒼慶が石の扉の、彫られた部分をそっとなぞりながら、睨みつけるように目を細める。すぐに触れるのをやめると、腕時計を確認して「だいぶ歩いたが、予想していたよりも早く着いたな。まだ時間がある」と口の中に言葉を落とした。


 そういえば、と『開封の儀』について聞かされた話を思い返し、雪弥は「あ」と声を上げた。


「零時になったら、扉が開く仕組みでしたっけ?」

「そういう風に仕掛けてあるらしい。つまり、もうしばらくは『待ち』だ」


 そう答え、蒼慶が脇の壁に寄りかかって腕を組んだ。


 雪弥は、そんな兄の様子をちらりと盗み見た。先程、副当主の件を面と向かって頼まれたものの、まだ答えを返していない。兄さんやっぱり僕は――そう発言しようとした時、後ろにいた宵月が灯かりを揺らした。


「わたくしは、ここまで来るのは初めてです。このようになっていたのですね」

「悪夢に見るのも、おかしくはないだろう?」


 声を掛けられた蒼慶が、顔を歪めるようにして冷笑する。宵月が「そうですね」と相槌を打つように答えてから、雪弥へと目を向けた。


「実は、蒼慶様は最近だけでなく、幼い頃にも何度か旦那様とこちらに足を運んだようなのです。そのためか、当時ひどく夢見が悪かった時期がありまして」

「兄さんって、そんなに怖がりでもなかった気がするけれど」


 雪弥は、不思議に思って兄を見た。むっつりと黙りこんだ蒼慶が、詳細は言いたくない、とでも伝えるかのようにして視線をそらす中、宵月が言葉を続ける。


「幼い頃、蒼慶様は突然、深夜に起きてわたくしを呼ぶ事がございました。ひどく怖い夢だったようで、一度起きてしまうと、夜が明けるまで決してお休みにはなられませんでした」

「確かに、あの頃は、夜が明けるのが待ち遠しかったな」


 独り言のように呟いて、蒼慶が再び腕時計を見やった。


 不機嫌そうな表情をした美貌の兄と、表情筋に問題がありそうな真顔の屈強執事が、時間が来るまでまだ待ちそうだという会話を始める。それを聞きながら、雪弥は扉に向かうと、正面から改めて観察してみた。


 幼い子供が悪夢を見るような材料になりうるだろうか、と想像力を働かせるものの、すぐに集中力がそれて、遺跡みたいだなぁと思ってしまう。


 すっかり風化し薄れている彫刻デザインを、暇を潰すようにぼんやりと眺めていると、どこかで見覚えがある気もしてきた。恐らくは、遺跡のようだというイメージが、そう錯覚させるのだろう。


 これまでの仕事で、実際の遺跡に何度か踏み入った事がある。その中で、とあるアメリカ人教授の護衛任務を思い出した。

 いちいち仕掛けを発動させて「こんな風に侵入者を排除していたわけかッ」、「殺傷性能は百パーセントだな!」と興奮する変態教授には、大変迷惑をかけられた仕事だったのを覚えている。


 遺跡内で、追ってきた盗賊団と鉢合わせて、一人で相手もさせられた。それだというのに、必要だったから遺跡から運び出したはずの遺産を「ははは、うっかり盗られてしまったみたいだ」と笑顔で言われた時は、護衛対象であるはずの彼に殺意を覚えた。

 あの時、おかげでマフィアの本拠地にも乗り込むはめになったのだが、やっぱり冒険者願望の強い教授は仕事ばかり増やした。当時二十二歳だった雪弥は、敵に「少年がいます」「遺跡で邪魔した例の少年が」「あの少年を」と連呼された。そのあげく、町で出会った十六歳の少年には「同じぐらい?」と尋ねられ、酒場では「まだ若いんだからミルクでも飲んでな」と店主に言われてしまったのだ。


 当時、結局現地ではずっと禁酒状態だったっけ、と雪弥は思い出して乾いた笑みを浮かべた。帰国して、ナンバー1に大爆笑されたのである。思い返してみると、遺跡関係でいい事は一つもなかったような気がする。



 どれくらい待っていただろうか。後ろの会話が途切れてしばらく経った頃、雪弥はカコン、カコン、という振動を感じて足元へと目を落とした。



 蒼慶が顔を持ち上げて、「何事だ」と警戒した声を上げる。


「まだ零時にはなっていないぞ」

「ですが、恐らくこの振動音からすると、仕掛けが動き出しているようです」


 宵月が、電灯を扉へと向けやった。壁や地面の向こうから沢山の音が連続して起こり始めるのを聞きながら、雪弥は石の扉から少し後退しつつ兄を見やる。


「昔のカラクリ仕掛けみたいだし、時刻も正確じゃないのかも。エジプトでもこんな感じだったし、このまま開きそうですよ、兄さん」


 その時、重々しい音と共に扉が奥へとずれた。小さな音の反響音がぷつりと途切れ、扉と壁の隙間から濃厚な埃が白く舞う。


 これから開く扉の向こうを照らすように、宵月が電灯の位置をセットした。足元が震えるような音が再び小さく始まると、石の扉が少しずつ横へと寄り始め、その隙間から淡い光が漏れ始めた。


「――なるほど。どうやら、明かりは必要ないみたいですな」


 宵月が、そう呟いて電灯の光を切った。隙間から溢れ出した光りが、三人の足元を次第に大きく照らしだして、そこから湿った冷たい空気がこちらへと流れ込んできた。

 扉が完全に開ききると、その向こうには、地下とは思えないほどの広い空間が広がっていた。隣に立った蒼慶が眉を寄せる中、雪弥もこれまで見た事もないほどの規模を持った地下遺跡に、思わず口を開けて立ち尽くしてしまう。


 眼前に現れた地下空間には、扉から真っ直ぐ、側面に大きな松明の炎をつけた巨大な柱が、正面奥まで左右に列をなして、進むべき広い一本道を示していた。それは明かりの届かない暗闇の奥にもあり、まばらに続いているようだったが、全貌は見えないでいる。


「なんだ、ここは」


 話に聞いていたイメージとは、大きく違っていたらしい。蒼慶がそう呟いた時、宵月が「あちらをご覧ください」と言って、扉から一直線の位置にある奥を指した。

 雪弥は、そちらへと目を凝らした。瞳孔が一気に開き、カラーコンタクトで黒くされた虹彩が、淡い蒼の光りを帯びる。


「本がある」


 それを肉眼で確認して、雪弥はそう告げた。

 高すぎる天井まで伸びる巨大な柱の列の先に、石の祭壇のようなものがあった。灰色混じった岩石のようなものが三つ重ねられ、その上部に細い石板に立てかけられるようにして、一冊の古い本が置かれている。


 それは、見慣れた本の倍以上の大きさがあった。手作り感があって厚みもかなりあり、とんでもなく色褪せて角が擦り切れてしまっている。


 蒼慶が、視認出来ない様子で目を凝らした。


「話に聞いていた祭壇は見えるが、そこに本もあるのか? 全然見えないぞ」

「蒼慶様、通常の視力では、少し見え辛いかもしれません。訓練されているわたくしでも、ギリギリ本のように見えるという程度です――雪弥様、本で間違いありませんか?」

「うん。本にしてはかなり大型版だし、重ねられている紙も黄ばんでいて大きさは均等じゃないっぽいけど、角が金具で保護されていて、帯の部分もしっかりしているよ」


 そこまで確認出来るとは驚きです、と宵月が淡々と言う。雪弥は、その呟きを聞き流すと、いちおう確認するべく尋ねてみた。

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