その血族×異端、秘密は夜に隠されて(3)

 蒼慶はそう語ったところで、「とはいえ」と吐息混じりに言葉を挟んだ。話を聞かされた当時を思い返すように、宵月が照らし出している足元の階段を見つめながら言う。


「産まれる子について、一族内で立ち場的権利を求めない事を、彼女が約束したにもかかわらず、反対する連中があまりにも多かった。彼女と胎児の身の危険を感じた父は、最悪の事態を回避するためにも、紗奈恵さんの案を受け入れて『蒼』の字は入れなかったらしい」


 雪弥は、とんでもない一族だなぁと思ってしまった。名前だけで『危うい判断に出る輩』が現れる可能性まであるとか、庶民思考で育った自分には考えられない事である。


「ただの名前一つで、変な人達ですね」

「昔からの風習だ。一族の古株連中の中には、重きを置いている奴らもいる」


 蒼慶が、そうとだけ口にした。すると後ろから、宵月が「今でも、各名家で独自の名称などが残っているのと同じですよ、雪弥様」と説明した。


「就く『役職』によっても重要な存在意味があり、そして代々受け継がれている一族の習わしや決まりにも、逆らってはいけないと彼らは考えているのです。それを破れば、災厄が降りかかると恐れている者もいる」


 夜に爪を切ってはいけないだとか、そういうレベルの迷信みたいなものだろうか、と雪弥は話を聞きながら考えていた。


 そもそも、余所から見れば本妻の子ではないのだ。名前については、自分の名に『蒼』の字が入っていなくて良かったようにも思える。


「まぁ、周りが勝手に騒ぎ立てる事を考えると、母さんが僕に『蒼』の字を入れたくないと考えても、おかしくはないと思うんですけどね」

「それが紗奈恵さんの『本当の理由』だったのかは知らん。父上が言うには、相談されたのは蒼緋蔵家の風習を教える前だったらしいからな。――そして、私達の一族で二番目に重視されている『副当主』だが」


 話を戻すように、蒼慶がそう言いながら肩越しに雪弥を見やる。

「副当主という『役職』は、一般的に本家の長男以下の男子が務めるものであったらしい。ただ蒼緋蔵の本家は、子が男児と女児一つずつの場合がほとんどで、該当者のない代もあった事から、分家出身者から副当主を採用する場合も少なからずあったとか」

「少なからずあったという事は、もしかして副当主がいなかった代もあったんですか?」

「現に、今の代では『副当主』の『役職』は空席だぞ」


 そんな事もチェックしていないのか、とジロリと睨まれて、雪弥はぎこちなく視線をそらしながら言い訳を考えた。


「いや、その……だって、普通に蒼緋蔵グループの公開されている名簿の中に、代表取締役の次席の名前もあるじゃないですか。彼が実質的に、現在の蒼緋蔵家のナンバー2なんでしょう? 昔、何度かこの家で、父さんを訪ねているのを見かけましたよ」

「彼は会社側の副社長というだけで、副当主ではない。そもそも、他の大家や名家とは異なり、戦争があった時代、蒼緋蔵家の副当主は『一族の戦力部隊の隊長』として存在していた。――そして、本家の男子であるその部隊長は『蒼緋蔵家の番犬』と呼ばれた」


 簡単に言えば、『番犬』というのは隠語みたいなものなのだろうか。


 言葉の関連性をざっくり理解したところで、雪弥は途端に自分のテンションが沈んでいくのを感じた。見ず知らずの通りすがりに『番犬候補』――つまり副当主候補として勝手に見られたあげく、『当主の影』と闘ってみないかと言われて、とばっちりを受けた事が思い出された。


 多分、『当主の影』というのも、先程兄が語ったようにどの一族が使っているのか分かるキーワードなのだろう。けれど、それをこの場で尋ねる気持ちはなかった。新聞であの男だろうと推測される『夜蜘羅』という名前は、既にチェックしていたせいでもある。


「つまり『番犬』って、ウチの副当主を示す言葉だったわけですか……。いや、まぁ、本家の長男以外の男子だった場合に、そんな呼ばれ方をしていた時代もあったという感じかなとは理解しましたけど」


 でもなぁ、と雪弥は残念感がとまらないまま、吐息混じりに間の抜けた声でこう続けていた。


「結局のところ、それって兄さんが、僕を就かせようとしている『役職』なんですよねぇ……。というか、僕が副当主だなんて有り得ないよ」


 むしろ想像も出来ないでいる。


 すると、こちらの呟きを拾った蒼慶が、「何か問題でも?」と間髪入れず言い、確認するようにこちらを振り返ってきた。雪弥は、右腕にするとか言っていたらしい当初の意見を変える気がないような、そんな清々しい兄の様子に呆れてしまった。


「ここに来た時にも言いましたけど、僕には無理です。だって、兄さんの右腕になれる資格がない。きちんと仕事をこなせるかの保証もないし、会社経営については素人もいいところだ。それも含めて、親族達に反対されるのは目に見えています」


 幼い頃、いつでも近くからサポート出来るのなら、と何度か考えた事はある。けれど、自分がいる事で親族達があの頃のように騒がしくなり、今ある穏やかさが家族から奪われてしまうのは駄目だ。


 兄の足を、引っ張りたくはない。


 その想いが、いつも根本にはあった。


 性格に難があるとはいえ、雪弥は兄として一番に彼を尊敬してもいた。幼い頃、引き合わされて大人びた子だと感じた彼が、子供らしい悔しさを滲ませて、しっかり自分の手を引っ張って守ってくれたあの時の姿が、今も目に焼き付いている。



『あんな奴らの話は気にするな。誰がなんと言おうと、お前は俺の弟だ』



 彼の弟なんだと実感させられて、嬉しくなって、そして憧れた。いつか立派な当主になるのだと口にしていて、それを全力で応援しようと思った。


 だからこそ、そばにはいられない。


 雪弥は、自分が限られた事しか出来ないと知っていた。壊すこと、殺すこと、邪魔者を排除してやること……それだけでは右腕として力になれない。たとえば宵月のような優秀な誰かがそばに就いて、仕事のアドバイスをしたり意見をしたりするべきだろう。

 そう考えながら、つい足を止めてしまっていた。自分の性分を思うと、近くに、ましてや隣にいるべきではないように思えて、普段から疑問にも思わず『仕事』をこなしている自分の白い手を見下ろした。


 同じように足を止めた蒼慶が、やや顰め面を浮かべて「おい」と呼んだ。


「お前に、その資格がないなんて誰が決めた?」

「…………そんなの、少し考えてみれば、誰でも分かりますよ」

「私には分からんな。何故、お前だと駄目なんだ? ――おい、こっちを見ろ、雪弥」


 名を呼ばれて、考えないまま目を向けた。

 そこには、こちらをじっと見据えている美麗な兄の無愛想な面があって、その目には迷いがなかった。


「常に一番近くにいて、私を助けろ。どこにも遠くへ行くな。だからその役職に、お前を任命したい」


 その時、宵月が電灯を高く掲げて「お話は、一旦ここまでのようです」と言った。


「蒼慶様、雪弥様。どうやら蒼緋蔵家の聖域といわれている地下に、到着したようでございます」


 そう告げる声を聞いて、二人は彼が照らし出し覗きこむ視線の先へと目を向けた。そこはずっと続いていた階段の終わりで、数人の人間が立てるスペースと、随分古い石の扉があった。

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