その血族×異端、秘密は夜に隠されて(1)

 午後九時を過ぎた。蒼緋蔵邸は、ひっそりと静まり返っている。


 建物内は消灯されていて薄暗く、ぼんやりとした月明かりが窓から差し込んでいた。蒼慶は中央階段を上がると、書斎室とは逆の方へと進んでいく。


 いくつもの部屋の前や廊下を過ぎて、行き止まりに突き当たると右手に折れ、今度は幅の狭い階段を下り始める。その階段は電灯が設けられておらず、古い屋敷の匂いがこびりついており、ランプの形をした電灯を持った宵月が、進む先を後ろから照らし出した。


「こんな階段があったんですね」


 暗闇だろうと視認出来る雪弥は、照らし出されていない階段下を、前を歩いて下っていく兄の背中越しに覗きこみながら口にした。


「なんだか、ここだけ昔のままみたいだ」

「ここは従業員用だ。そのまま行くと、一階の裏扉に抜けるようになっている。だが、私達はそこへは行かない」


 蒼慶が言いながら、前触れもなく立ち止まった。すっかり色の褪せた木目色の壁を振り返ると、そこで膝を折って階段の段差辺りを探る。


 耳に、かこん、と何かが外れるような小さな物音が聞こえた。立ち上がって壁に向き直る蒼慶の後ろ姿を、雪弥は不思議そうに眺めつつ待っていた。


 後ろで明かりを掲げる宵月に、蒼慶が目で合図を出してから、両手で壁をそっと押しやった。すると、ズッと音を立てて、扉一枚分の大きさの壁が奥へと凹み始めた。

 隠し通路かと察して、雪弥は思わず口笛を上げそうになった。しかし、直前に気付いて咄嗟に自分の口を手で塞いだ。普段みたいにやったら、確実に兄に怒られてしまう。電話越しとは違って、耳を塞ぐことも出来ないので気を付けないと。


「…………雪弥様」

「宵月さん。僕はまだ何もやらかしてはいないので、放っておいてください」


 前を向いている兄に知られたら、どうしてくれる。


 そう思って雪弥が肩越しに睨みつけると、宵月が小さく首を横に振って「多分、勘付かれているかと」と、遠い目をして正論を口にした。


 奥へと押し込まれ続けているその壁は、人一人が通れる大きさをしていた。灰色のコンクリートが覗き、そこに数人の人間が立てるほどのスペースが出来ると、蒼慶が手で合図を出した。

 雪弥は。後ろにいる宵月にも促されてそこへと足を踏み入れた。全員が移動してすぐ、蒼慶が左手を伸ばして壁を探ると、三人の立っているコンクリートが重々しく震えながら下に沈み始めた。


 目の前に見えていた階段が、視界の上へと押しやられていき、とうとう入口が完全に見えなくなった。何かが固定されるような小さな音と共に、そこは密室と化してしまう。

 恐らくは、階段部分の壁が元に戻ったのかもしれない。雪弥はそう推測しながら、宵月が持っている明かりだけで照らし出された、四方をコンクリートの壁に囲まれた空間を見渡した。通電のないカラクリ仕掛けとはいえ、下降が長らく続いているのが不思議だった。


「随分と深いみたいですね。屋敷の地下部屋の、更に下の方にも地下空間があるんですか?」

「大昔の地下洞窟だったそうだ。その上に蒼緋蔵家が本家を構え、それを利用して『現在の地下遺跡』が造られた、と父上は言っていた」


 不意にコンクリートではなく、扉のようにおしはめられた白い岩石が目の前に現れたところで、下降が止まった。まるで引っ掻かれたような無数の傷が入っており、それを睨みつける蒼慶の横顔を見て、雪弥はこれが侵入者にやられた『扉』であるらしいと察した。

 それは、一見すると岩の壁だったが、古い遺跡の原始的な仕掛け扉に見られるような物にも似ていた。うっすらと確認出来る重なった部分からは、埃臭い湿った空気が流れてきている。


「そもそも、侵入者はどうしてココまで辿りつけたんですかね? 当主継承前の儀式でしか、ロックが解除されないって事は、父さんと、そして教えられた兄さんしか知らないわけでしょう?」

「この場所は、一昔前は、儀式的な行事や集まりを取り行う神聖な場であったらしい。蒼緋蔵家の一部の人間は知っており、他の名家の一握りも、行き方までは知らないにしろ存在は把握している」

「じゃあ、どこからか情報が漏れたと?」

「あるいは、故意に漏らされたか」


 含むような言い方をした蒼慶が、右足で地面を探るような仕草をした。何かが踏み込まれるような音が上がった直後、重々しい音をたてながら、岩の壁がゆっくりと横にずれていった。

 長い間人の出入りがなかったとでも言わんばかりに、年月を積み重ねた湿気と黴独特の空気が、途端にこちらへと流れ込んできた。宵月が中を照らし出すと、ここよりもさらに狭い岩の階段が、円を書くようにして下に続いているのが見えた。


「まだ下るんですねぇ。あの凹み、均等間隔であるっぽいし、もしかして昔使われていた蝋燭置きだったりするのかな?」

「もしや雪弥様、わたくしが照らし出していない奥の方まで、見えていらっしゃる?」

「まぁ、暗視スコープには、あまり頼らないですね」


 問われた雪弥は、そちらの方を覗きこみながら答えた。尋ねた宵月が「かなりの性能のようで」と、自身より低い位置にある彼の頭を見下ろすと、蒼慶が呆れたようにして片手を振り、合図を出してからその階段へと足を踏み入れた。


「行くぞ。ついて来い」


 雪弥は辺りを窺いながら、蒼慶に続いて歩き出した。宵月が最後に足を踏み入れたところで、震えるような振動がして振り返ってみると、岩の扉が閉まるのが見えた。


「兄さん、僕ら閉じ込められちゃいましたね。でも大丈夫ですよ、多分一トンくらいでしょうし、あれくらいの岩なら壊せますから」

「馬鹿か、あっさりウチの歴史的な遺産の一つを破壊しようとするな。冗談を言っている暇があれば、足を動かせ」


 緊張もなく述べた雪弥に、蒼慶が肩越しに言って階段を降り始めた。


 しばらく螺旋状に下ると、階段は途中から真っ直ぐになった。足場の段差は高低差が大きく石も不揃いで、技術的な観点から、途中までの階段の建築年月とは隔たりもあるようだと考えていたら、最後尾から宵月が「滑りますのでご注意を」と言った。

 その数秒後、最後尾から革靴の底を滑らせたような音が上がって、階段内で光が大きくぶれて先頭の蒼慶が足を止めた。まさかと思いつつも、雪弥も心底呆れてそちらを振り返ってみると、蒼緋蔵家一の優秀な執事が、涼しい顔で服の埃を払っている。


「…………あの、兄さん。僕は何かしら、奴にツッコミを入れた方がいいのでしょうか」

「放っておけ。奴の場合、本気か冗談なのか分からんところがある」


 この中では一番体重が重いしな、と蒼慶が興味もなさそうに、もっとも推測される可能性を口にして、再び足を動かしながらこう続けた。


「ここから先は、蒼緋蔵家でも僅かな人間しか知らない場所だ。父上には、中に入ったら決して明かりの灯らない場所へは進むな、と忠告されている。『道導のように並ぶ明かりの先に本が置かれているが、その目的を終わらせたら、真っ直ぐ戻るように』と強く言われた」

「本当に閉じ込められちゃうとか?」


 背後で、宵月が「わたくしは筋肉が重いのです」と、淡々とした調子で弁明する声を聞き流して、雪弥はぱっと浮かんだ可能性を尋ねてみた。


 すると、蒼慶がこちらを振り返らずに「いいや」と言って、首を僅かに横に振った。


「地下は、巨大遺跡のようなものだ。蒼緋蔵家に残されている文献にも、記録が残されていない『先』が、いくつも存在するくらいの規模を持った迷路みたいなものであるらしい。古い時代の仕掛けについては、こちらで完全に把握出来てもいないようでな」

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