その血族×異端、食後と桃宮とそして三人(3)

 空になった蒼慶の珈琲カップを、宵月がさげて、代わりに冷水の入ったグラスを一つ置いた。長い間秒針の音に耳を澄ましていた雪弥は、自分達の間の後ろに彼が待機し直す気配を見届けたところで、楽に腰かけたまま兄へと声を投げた。


「兄さん、書斎室に戻ったりしないんですか?」

「書斎室には用がない」


 腕を組んで思案顔をテーブルへと向けていた蒼慶が、顰め面でそう答える。戻れとも動けとも許可されていない雪弥は、これからどう出るつもりなのだろうかと思いつつも、きっとそれを考えているんだろうなぁと推測して「なるほど」とだけ相槌を返した。

 窓がガラスの向こうには、夜空が広がっていた。広大な屋敷の周囲には街灯かりがないせいか、ここからだと星がとても綺麗に見える事が思い出された。


「……そういえば、泊まった時、よく三人で寝転がって眺めていたっけ」


 幼い頃の風景が脳裏に浮かんで、つい、ぽつりと口の中で呟いた。発案者は緋菜で、消灯後に彼女に引っ張られて、兄と共にこっそり屋敷を抜け出した。そして、彼女を間に挟んで星空観賞をしたのだ。

 幼かった緋菜の計画は、いつも大人達にバレていた。星空を眺めている間も当然のように宵月がいたし、リビングでは温かいココアが用意されていて、子供達の星空観賞会が終わるのを両親が待っていたのである。


 彼女が、そこに疑問を覚えないのが不思議だった。『わぁ、ココア大好き!』と笑う隣で、雪弥と蒼慶は知らぬ振りをしてココアタイムも付き合ったのだが、全部口に出てるんだよなぁ……と二人は思っていた。妹の将来が少し心配だった。


 そんな頃を思い返していたら、蒼慶が「ようやく来たか」とスーツの胸ポケットから携帯電話を取り出した。どうやらメッセージでも入ったようで、それを確認するなり、嫌悪感を露わにして眉を顰めた。


「――やはり、そうか」


 蒼慶が、そう呟いて立ち上がった。宵月が静かに主人の動向を見守る中、雪弥は腰かけたまま、こちらを見下ろした彼を見つめ返した。気のせいか、兄の顔には、珍しくどこか悲しみが帯びているようにも思えた。


「どうやら推測道り、今夜の『開封の儀』はただで済みそうにもない。これまでは動物だったが、とうとう人間の被害者が出た」


 そう告げられた言葉と共に、携帯電話の画面を見せられた。

 雪弥は、そこに表示されている写真を見て、小さく目を見開いた。それは、薄暗い室内に黒ずんだ赤が広がった殺人現場だった。


 四肢をねじ切られた複数分の死体が、画面に収まらない悲惨な『現場の一部』を写し出している。半分はほとんどの水分を抜き取られたような肉片であるようだが、床には多くの血溜りがあった。


「これは、もはや惨殺だ」


 こちらが黙って見つめていると、蒼慶が確認するようにそう言った。続いて写真を見せられた宵月が、「恐れていた事態になりましたね」と緊張を含んだ声で意見する。


「まるで遊んでいるみたいだ」


 雪弥は、感じた第一印象を呟いて、静かな怒りを帯び始めた目を落とした。先に喰い散らかされた、という訳の分からない強い嫌悪感を覚えていた。


 ざわりと殺気立った気配を察知した宵月が、一つ頷いて「確かに『遊んでいるよう』でもありますな」と相槌を打った。立ち上がる彼に、無表情のまま冷静な眼差しを向けて、こう続ける。


「雪弥様、落ち着いてくださいませ」

「僕は落ち着いているよ、宵月。――だから『それ』は、お前の勝手な憶測だ」


 同じく冷静な表情ながらも、当然のような口調でそう語りながら、雪弥の高圧的な眼差しが宵月へと向いた。軽く手ぶりを交えて話す様子は、次期当主の弟として、蒼緋蔵本家ナンバー2の立場にいるに相応しい物言いと雰囲気だった。


「僕が勝手に『処分』にかかるわけがないだろう。兄の命令に従う」


 雪弥は、誰もいない方へチラリと流し目を向けた。スーツの袖口を整えながら、興味もなさそうに「そもそも」と独り言のように続ける。


「お前に僕への命令権はないはずだが、立場を忘れたのか、宵月。実際の戦闘になったら、こちらの指示に従ってもらう」

「承知しております。気分を害されたのでしたら、申し訳ございません」


 宵月がそう答えた時、携帯電話をしまった蒼慶が雪弥へと向き直った。


「隠し扉は、蒼緋蔵邸の東側にある。緋菜達がいるのは西側だ。恐らく『例の本』や、次期当主である私をさし置いて、先に彼女達を手にかける事はないだろう、とは推測している」

「そうでしょうね。これだけ殺しに自信があるのなら、わざわざ人質を取ったりといった面倒な事もしないでしょうし。そもそも、僕が相手の立場だったとしたら、そうする」


 雪弥は、つらつらと考えながらキッパリと答えた。その『開封の儀』とやらで、兄に危険が迫るとしたのなら、本家の敷地内(テリトリー)に侵入した敵にヤられる前に、こちらが先に殺すだけだ。


 すると、蒼慶が少し強い声で「雪弥」と呼んできた。


 久しぶりに、アレだとかコレだとか以外、はじめて名を呼ばれたような気がして、雪弥は緊張感も抜けてしまい「へ?」と振り返った。


「相手に話す余地があった場合については、覚えているな?」

「出来るだけ物騒を避ける形で話し合う、とかいうやつでしょう? あの写真がどこの組織か機関経由かは知りませんけど、現場の感じを見る限り、そうは思えないんですけど……だって、兄さんの推測だと、その犯人が侵入者と同一人物って事なんでしょ?」


 そもそも話し合う余地はないんじゃ、と雪弥は困ったように口にした。しかし、蒼慶が「どうなんだ」と腕を組んで見下ろしてきたので、降参するように両手を軽く上げて見せた。


「勿論分かってますよ。僕だって『殺生はできるだけ避けたいと思っていますから』ね」


 そう答えたら、蒼慶が眉間の皺を浅くして、視線をやや落とした。


「…………お前は、いつも阿呆なくらいに呑気だ」

「まぁ、のんびりとは言われますけど、ここにきてなんで阿呆なんですか?」

「私だったら、避けられない殺生に関しては覚悟を決める」

「突然なんですか。物騒だなぁ兄さんは」


 雪弥は、ちょっと笑って見せた。どうしてか、視線を返してこちらを見つめてきた蒼慶が、ふっと苦笑を浮かべた。相変わらずの仏頂面ではあったものの、眼差しはどこか想い遣りが滲んで悲しげにも見えた。


 けれど兄は、すぐに表情を戻して踵を返して歩き出してしまう。多分気のせいなのかなと思って、雪弥は宵月と共にその後に続いた。

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