その血族×異端、食後と桃宮とそして三人(2)
「本当に、ご兄弟なんですね。そっくりです」
その言葉を聞いた雪弥は、蒼慶とほぼ同時に振り返った。兄は思い切り顔を顰め、弟の雪弥も不服だと言わんばかりの視線を送る。
「ふん、私がコレと同じ阿保面なわけがないだろう」
「言ってくれますね、兄さん。――桃宮さん、僕はこんなにひどい仏頂面ではないです」
雪弥は、隣から軽く睨みつけられたものの、蒼慶の眼差しは普段の数分の一くらいの威力だったので、平気な顔で残りのケーキへとフォークを向けた。呆気に取られていた桃宮が「本当によく食べますねぇ」と不思議そうに呟いてから、再び新聞紙を広げた。
大皿のケーキが全てなくなると、給仕が空いた皿を下げに来た。三十代半ばくらいの彼が、珈琲を飲む横顔から覗く『見慣れない黒い瞳』をチラリと見やる。
その視線に遅れて気付いた雪弥は、何も考えないまま見つめ返していた。給仕の男の方が「あ」と口の形を作るのが見えて、幼少期に嫌がられていた思い出があるから視線を合わせないようにしていたのに、と遅れて思い出した。
「えぇと、その……なんか、すみません」
どう対応すれいいのか分からなくなって、困ったすえ、口から出たのは謝罪だった。自分は客人ではなく、かといって家族以外からは、本家の一員として歓迎されていない身であるとは知っていたからだ。
すると、声を掛けられた給仕の男が、慌てたように「いいえ、坊ちゃま」と言った。
「どうか謝らないでくださいませ。あなた様は、謝罪されるような事は何もしておりません」
「うーん、食器を下げさせるのも、そういえば悪いなぁと……」
「そんな事はございませんよ。これが、わたくしの仕事であります」
仕事を増やしてしまっている、という申し訳なさから、雪弥は答えながら目をそらしてしまっていた。少し遅れて、ふと、坊ちゃまという慣れない呼ばれ方をされたんだが、と思考がそちらへと傾いて、呑気に首を傾げる。
呆れたように秀麗な眉を寄せた蒼慶が、給仕の男の向こうにいる彼へ視線を投げた。
「おい、何をぶつぶつ言っている? そもそも彼らの仕事だ、邪魔をしてやるな」
「あれ? 僕が邪魔した感じになっているんですか?」
「目が合っただけで勝手に緊張して、謝罪するとは情けない。――わざわざ配慮して、人数を減らして人選もしているというのに、コレときたら」
「兄さんこそ、何をぶつぶつ言ってるんですか。珈琲に何か怨みがあるのか、っていう感じの怖い表情になってますけど、カップを睨んでどうしたの」
「私はお前に対して、この表情をしているんだ」
敬語を外している時は、大抵本心からストレートに尋ねる場合である。
そう知っている蒼慶は、言いながら形のいい額の隅にピキリと青筋を立てていた。再び雪弥へと視線を向けつつ、こう続ける。
「そもそも、何故カップを睨みつけていると解釈するんだ?」
「だって、あれやこれやと全部に機嫌を損ねる、難しい性格をしているじゃないですか」
「言っておくが、そんな性格をした覚えはない。それに昔から貴様が指摘している『怖い顔』とやらは、私の地顔だ」
高圧的に睨み下ろす蒼慶に対して、緊張を忘れて雪弥がずけずけと物を言う。
自分を挟んで唐突に始まった兄弟同士の言い合いを前に、給仕の男が仕事をしていいのか、待った方がいいのかと視線を往復させた。それを見た宵月が、そっと退出を許可して促すと、彼はその様子にチラチラと目を向けながらも、大皿を下げていった。
しばし兄とやりとりしていた雪弥は、新聞をめくる音に気付いて、そちらへ目を向けた。そこには座っている桃宮がいて、ぼんやりとした様子で新聞を眺め続けている。
先程と同じく、やはり文字を読み込んでいる気配はなく、どこか物想いに耽るようにして周りの声も聞こえていないみたいだった。疲れきったような目元の皺は、今日で一気に増えたような気がする。
「桃宮様。こちらまでは長旅だったようですから、お疲れではございませんか?」
兄弟らしい言い合いが終了したのを確認したところで、宵月が不自然ではない切り出しで声を掛けた。問われた桃宮が、我に返ったように顔を上げて、取り繕うようなぎこちない笑みを浮かべた。
「そうですね。少しばかり、疲れてしまったかもしれません」
「紗江子婦人から、スケジュールはハードだったと伺っている。他の用事を済ませたあと、町の旅館で家族と合流したものの、数時間も休めなかったとか」
珈琲カップを手に取りながら、蒼慶が美麗な薄笑いを浮かべて言う。
まるでさりげなく探るみたいだなぁ、と雪弥は『兄がようやく妥協して出来るみたいな社交上の愛想笑い』を見ていた。桃宮が考える時間を稼ぐように、視線を手元へと落として、新聞紙をゆっくりと畳む。
「…………彼女は、そんな事を言っていましたか」
そう確認するように呟くと、彼は畳んだ新聞紙をテーブルへと置いた。どこか疲れ切った無表情だったものの、再び蒼慶へと目を戻した時には、取り繕うように小さく微笑えんでいた。
「旅館に到着したあと、少し温泉で身を休めたのですが、スケジュールの都合上で二時間も眠れなかったものですから」
「つまり旅館に着いたのは、日付けも変わっていた時刻だったのか。それは大変だったな」
「え。――あ、その、はい。すっかり夜も深い時刻でした。妻が遅くまで起きていて、申し訳なかったのを覚えています」
自分に言い聞かせるように言いながら、桃宮が視線をそらして立ち上がった。まるでこれ以上詳細を問われるのを恐れるように、別れの言葉を述べて足早に出ていった。
夕食を終えた広々とした部屋には、雪弥と蒼慶、宵月の三人だけが残された。離れていく足音が遠くなって聞こえなくなると、辺りは途端に静かになった。
「静かですね」
やけに静かすぎるようにも感じて、雪弥は宵月を振り返った。耳を澄ませても使用人の動く気配がしなくて、これが普通なのだろうかと目で問う。
蒼慶が読めない表情で、組み合わせた手に顎を当てる。その様子をチラリと見やってから、宵月が胸ポケットから懐中時計を取り出して、時刻を確認した。
「従業員の方々は皆、宿舎に戻っている時間ですね。朝が早いもので」
その懐中時計は、蒼慶の左胸につけられている銀の装飾品と同じ柄が入っていた。彼は既に屋敷内の全てを任されているので、もしかしたら、蒼緋蔵家の中で与えられた地位を示すものなのかもしれない、とそんな推測が脳裏を過ぎった。
それからしばらく、誰も何も言わない時間が続いた。雪弥は、壁に掛かっている大時計を眺めながら、時間が経つのが遅い事をぼんやりと考えていた。
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