その血族×異端、食後と桃宮とそして三人(1)

 夕食は、夕刻を過ぎたばかりという早い時刻に設定されていたのだが、日が暮れて早々に、デザートを食べ終えたアリスが、椅子座ったまま寝入ってしまった。


 桃宮の家では、普段から日が暮れる頃には、食事の片付けも済んでいる状態なのだそうだ。椅子で器用に眠っている娘を見た桃宮勝昭が、一旦部屋に運ぶ事を蒼慶に伝えてから、「やれやれ」と席を立った。


 全員が食事を終えている状況の中、雪弥は一人黙々と食べ物を口に運び続けていた。後ろにいた宵月に、デザートのケーキが乗った皿を手渡されて、流れ作業のように食べ進めながら、娘に歩み寄った桃宮が、彼女を抱き上げる様子を見つめる。


「さぁ、行こうアリス」


 そう優しく声を掛ける様子が、どうしてか目を引いた。今日共に過ごした中で、はじめて素の感情が滲んだ、彼の父親らしい声を聞いたような気がする。


 それを見届けた蒼慶が、テンションが高くなったあと、結局は三十分足らずで眠ってしまった緋菜を、やってきた使用人の提案を断って寝室へと運んでいった。すぐに戻ってきた彼に、紗江子がアリスのを部屋に一人にするも可哀想なので戻ると言い、入れ違うようにして退出した。


 飲み仲間である彼女がいなくなってから、亜樹子は黙って酒を飲み続けていた。桃宮勝昭が、妻の紗江子と入れ違うようにして戻ってきた頃、お告げか何かしらの電波かでも拾ったような表情で、唐突に立ち上がって真面目にこう宣言した。


「寝てくる。じゃ、おやすみ」


 凛々しい表情で、亜希子がキッパリとそう告げて寝室へと向かい始めた。食後の珈琲をゆっくり味わっていた蒼慶が、かなり飲んでいた事を考慮して「おい」と呼び止める。


「宵月を貸そうか?」

「いらないわよ。というか、可愛くもない顔面に見送られてベッドに入るとか、イヤ」


 その会話を聞いていた桃宮が、珈琲カップを持ち上げた姿勢のまま、チラリと当執事の様子を見やる。


「さすがは奥様。蒼慶様と同じく、容赦がありませんね」


 そう口の中で呟いた宵月は、相変わらずの無表情だった。

 亜希子は、その声を完全に無視していた。くるりとこちらを振り返ると、に~っこりと笑って「雪弥君、おやすみ!」と元気たっぷりに言う。


 雪弥は、テーブルに残された大皿のホールケーキを一人で食べ進めながら、なんとも言えずに彼女を見送った。出ていくのを見届けたところで、ようやくポツリと口にする。


「なんだか、すごく清々しいというか……」


 ケーキの山を食べ進めている彼の隣で、蒼慶が呆れつつも「いつもは、もっと手間がかかる」と答えながら、ジロリと見やって愚痴る。


「貴様こそ、一体どんな胃袋をしている?」

「へ? 何が?」


 必要のなくなった食器が片付けられた食卓には、今や三人しか座っていなかった。大皿のケーキを雪弥が食べている以外は、向かいの席に桃宮勝昭を残すだけとなっている。

 桃宮は部屋に戻るわけでもなく、もう一度読み返すようにして新聞を広げていた。戻って来た際、新しく淹れ直された珈琲からは、まだ湯気が立ち昇っており、カップに口を付ける時、かけられた老眼鏡が少し曇った。


 彼は新聞を読んでいるというよりは、記事をただ眺めているようにも見えた。一人で何かをじっと考えている様子にも思えて、雪弥は兄の突っ込みに疑問を抱かないまま、ケーキをゆっくりと口に運びながらじっと窺ってしまう。


「雪弥様、胃薬をお持ちいたしました」


 どこから取ってきたのか、一旦足早にそばを離れた宵月が、手に薬瓶を持って戻り恭しく差し出してきた。


 それを見た瞬間、雪弥は丸めたフキンを彼に投げ放っていた。それが顔面に当たるのを見届けた蒼慶が、「馬鹿か、お前も何をしているんだ」と眉を顰める。この時ばかりは兄と共感出来た彼は、舌打ちを一つして「宵月さん」と低い声で言った。


「いなくなっているなと思ったら、胃薬かよ」


 力加減がされたフキンを、しばし顔面に乗せていた宵月が、薬瓶を差し出すように二人の間に突き出したまま沈黙した。フキンがずるり、とゆっくり下に落ちると、ようやく無表情な顔が現れたところで口を開く。


「これはもう、病気だと思いましたので」

「真顔でなんて事いうんだよ。僕のどこが変だと言うんですか?」

「ですから、胃袋ですよ、雪弥様」

「僕の胃袋は普通だ」


 雪弥は、すかさず二回目のフキンを放っていた。まるで女性のような反応のそれを、避けもせず近くから喰らった宵月が、薬瓶を掲げて見せたままこう続ける。


「容赦のない顔面フキン、とても良いと思います」

「やめろよ、そういう『この無礼者ッ』みたいな対応を僕に求めるなよ……。というか、あんたドMでもない癖に、なんで厳しい対応を好むんですか」

「わたくし、こう見えて組み敷く側ですが。ですので、普段味わえない対応を『忠実なる犬』として受けるのが新せ――」

「それ以上言わせるかッ、そして顔を近づけるな!」


 雪弥は続いて、兄の方にあったフキンを投げつけた。


 蒼慶がそれを見て「あ」と声を上げるそばで、宵月がひらりとかわした。その後ろを歩いていた若い男性給仕の頭に、フキンが直撃して「うわっ」と小さな悲鳴が上がる。


「ですので、雪弥様は胃薬が必要なのですよ」

「そこで話を戻さないでくださいよ、何度も言いますけど普通ですから。――というか、あの、そこの人、当ててしまってすみませんでした」


 自分と兄の席の間に立つ宵月の向こうを覗きこんで、雪弥は謝った。しかし、奴がすっと身体を移動してきて遮られてしまい、ピキリと青筋を立てて、その執事のいかつい無表情を見上げる。


「雪弥様の胃袋のあたりには、確実にブラックホールか何かが――」

「わざわざそれ言うために覗きこんでくるなッ」


 んなのねぇよ! と続けて叱り付けた。話が全く通じてくれなくて、泣きたくなった。この席にいるの、正直もう嫌過ぎる。


 雪弥は、心外だと愚痴りつつも座り直した。再びケーキを口に運ぼうとしたところで、自分に向けられている蒼慶の視線に気付いた。目を向けてみると、兄の顔に「病気ではないのか」というような表情が浮かんでいて、どいつもこいつも、とイラッとした。

 そもそも雪弥は、あまり満腹というものを感じた事がない。腹が減らなければ、食べなくてもぶっ通しで戦っていられるし、差し出されればいくらでも食べ続けられるのも生まれつきだ。だから、それを自分で異常だと思った事は一度もない。


 兄弟は黙りこんだまま、互いの顔を怪訝そうに見つめ合っていた。宵月がしばらく見守っていると、二人の向かいに座っていた桃宮が、唐突に小さな笑い声を上げた。

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