その血族×異端、二家と早い夕食会(2)

「紗江子さん、日本酒はどうかしら?」

「あら、いいですわねぇ。私も、こう見えてとても好きなんですのよ」

「よっしゃ、なら決まりね!」


 そう答えるなり、亜樹子がすぐ給仕に声を掛けて、次は日本酒を持ってくるように頼んだ。日本酒のセットが届くと紗江子に勧めつつも、「やっぱりコレよねぇ!」と軽快に飲んで、あっという間にボトルの半分を胃に収めてしまう。


 蒼慶が「またか」と心底呆れた眼差しを向ける隣で、雪弥は初めて見る光景を前に、思わず食事の手が止まってしまっていた。驚きと呆れと感心が入り混じった表情を浮かべたまま、箸で持っていた肉切れが皿に落ちるのも気付かず、続けてロックで日本酒を仰ぐ亜希子を見つめる。


「雪弥様、箸にいた食べ物が逃げましたよ」


 後ろに立っていた宵月に、そう言われて我に返った。更にテンションが上がって、女同士のお喋りに没頭する陽気な亜希子に目を向けつつ、ついこっそり尋ねる。


「あのさ、いつもこうなの……? そもそも、お酒飲むイメージがなかったんだけど」

「子供が小さいうちは、見える範囲で飲酒はしない、とおっしゃっておりました」

「とはいえ、パーティーに行くと、いつもあんな感じだったぞ」


 それぞれ、宵月と蒼慶がそう述べる。


 雪弥は思わず、父がパーティー会場で、彼女を心配して面倒を見ている姿を思い浮かべた。蒼慶が皿に乗った料理へと目を戻して、油が照ったハーブたっぷりのチキンにナイフを入れる。


「当主は、やはり遅いお帰りになりますか?」


 しばらく経った頃、紗江子がそう言った。

 ゆっくり黙々と食べ進めていた雪弥は、ふと、小さな違和感が込み上げて顔を上げた。蒼慶がちらりと彼女を見つめ返す中、桃宮が妻と違ってどこかほっとしたような表情を浮かべて、口を開く。


「お話をしたかったのですが、残念です。当主と顔を合わせて話す機会は、最近ほとんどありませんでしたから。妻も、大変会いたがっていたのですよ」

「紗江子さんからも、そう伺いましたわ。実は先程、電話があったので確認してみたのですけれど、夜の帰宅も難しくなったみたいでして……朝まで帰れないようですわ」


 そう答えた亜希子が、上品に笑って「おほほほほ」と声を上げた。しかし、その豪快な飲みっぷりのせいで、すっかり婦人仕草も効果を発揮しなくなっている。


 実年齢の十三歳にしては、どこか幼い仕草でチマチマと食べるアリスの相手をしつつ、緋菜もチラチラと気になるようにして様子を窺っていた。彼女の席に置かれたワイングラスには、嗜む程度にしか飲まれていないので半分以上残っている。


「雪弥君、お酒は?」

「亜希子さん、酔ってますよね?」


 何度目か分からない質問を受けた雪弥は、そうぎこちなく指摘した。飲む前となんら顔色も変わらないものの、彼女のテンションはやけに高い。「おほほほほ」と笑い声を前置きしたかと思うと、「酔ってないわよ~」と続けてくる。


「ほら、このお酒、とても美味しいわよ? 雪弥君も飲んじゃいなさいよ」

「何度か言いましたけど、僕は遠慮しておきます」

「緋菜はどう?」


 亜樹子はあっさり話を振る相手変えると、続いて緋菜にも日本酒を勧めた。彼女は母親譲りの美麗な顔を顰めると「私も、もう三回は言ったけど」と強く返した。


「日本酒は飲めないから、いらない」

「うふふふ~、むすっとした顔も可愛いわねぇ。さすが私の娘! 蒼慶は、うーん、まぁいっか」


 亜希子が勧めもせず、続いて桃宮前当主へと目を向ける。


 雪弥は、隣にいる兄の横顔にピキリと青筋が立つのが見えて、相変わらず扱いがすごい雑……さすが亜希子さん、と思った。


「桃宮前当主も、日本酒はいかがかしら?」

「ははは……、あの、実はお酒は控えているんですよ」


 問われた桃宮が、困ったように言って、ぎこちなく笑った。すると紗江子が、夫をフォローするように切り出す。


「お医者様に、お酒の飲み過だと言われたらしいのよ。もともと、かなり飲む方でしたから。ほら、蒼緋蔵家の殿方って、皆様結構お飲みになられるでしょう?」

「あ~、確かにそうねぇ。親族が集まると、持ち込みで色々とお酒も集まりますわ」


 亜希子が言いながら、思い出すように宙を見やる。それから、普段は夫が座っているであろう席の方へ目を向けると、視線を戻しながら「禁酒なんて辛いわねぇ」と、しみじみと口にする。その間、グラスを持った片手を少し上げて、給仕に酒を継いでもらっていた。

 雪弥は、間が抜けそうな表情で食事を口に運んだ。桃宮がアリスの相手を変わり、ワインをちびりちびり飲み出した緋菜のテンションが次第に上がって、母の亜希子とはしゃぎ始める様子をぼんやりと眺める。


 やっぱり母娘なんだなぁと、そんな事を思った。


 そんな馴染みのない風景が、心にポツリと影を落とす。そこに漂っている空気に、馴染めないという違和感を覚えて、雪弥はしばらく食事の席を傍観していた。


「雪弥様は、ワイン、あまりお好きではありませんの?」


 唐突に話題を振られ、箸に乗せていたジャガイモが滑って皿の上に落ちた。

 雪弥は、呆れつつも睨みつけてくる蒼慶の視線を感じて、紗江子にぎこちなく笑い返して「その、ちょっと苦手ですね」と社交辞令を口にした。そもそも、薬もアルコールもなかなか効かない体質なのだ。


「果実酒なんてどうかしら? わたくし、果実酒なども自分で作りますのよ」

「美味しいんなら、私も作ってみようかなぁ」

「甘いんなら、私も飲みたいなぁ」


 返答に困っていた雪弥の斜め向かいで、亜希子がのんびりと相槌を打って、同意した緋菜と揃って、ふわふわとした様子で笑う。


 それを見た紗江子が「まぁ、母子ですわねぇ」と言って、口元を手で少し隠すようにして笑った。彼女は、緋菜の隣で楽しげにデザートを食べ始めていたアリスに顔を向け、柔らかく微笑みかけて「美味しい?」と穏やかな口調で尋ねる。


 あ、まただ。


 雪弥は、そう思ってぼんやりと紗江子を見つめた。記憶の中の母と彼女が、どうしてか重なってしまうのだ。そこに座っているのは、紗江子ではなく、まるで幼い頃の自分の母であるという懐かしい光景が思い出された。


「そんなに似ているか」


 不意に、蒼慶が小さな声でそう尋ねてきた。

 雪弥は、こちらに目も向けないまま、さりげなく確認してきた彼をチラリと見やってから、すぐに紗江子へと目を戻して「うん」と答えた。


「母さんに似てる」


 雪弥は、声を潜めてそう答えた。どこか違和感は残るが、顔立ちはまるで他人であるというのに、ひどく懐かしいような気がするのは、どうしてだろう?


 思案顔で、蒼慶がワイングラスを手に取って「そうか」と言い、グラスの中の赤い液体に目を落とした。

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