その血族×異端、大いなる一族(4)

「よく分からないなぁ。つまりお爺様は、今日何か起こるかもしれないと予見していたのかな、でもそれってどんな事なんだろう……約束の年というのも謎ですよね」

「私にも分からん。ただ、これまで賊の一人も許さなかった蒼緋蔵邸に、すでに侵入されて隠し扉の場所まで知られた。今夜の開封の儀が狙われているのは確かで、たとえ何者であろうと、それを奪われてはいけないという事でもあるんだろう」


 蒼慶はそう言って、視線をそらした。


「お爺様は、忌まわしい歴史の『終わり』が始まるのなら、と一族に言葉を残して息を引き取ったが、そもそも私は、その『始まり』も知らない。それでいて、これからその終わりが始まるというのも、おかしなものだ」


 蒼慶は、悲しい何を振り返るかのように、思い耽る目をそっと細めて黙りこんだ。

 場の沈黙を見守っていた宵月が、つい集中力が切れたようにして、窓へぼんやりと視線を向けた雪弥を見やった。それから、既に誰も注目していないテーブルの本を閉じると、主人の蒼慶へと目を向けて確認する。


「お時間がかかりそうであれば、珈琲でもお持ちしましょうか?」

「必要ない」


 蒼慶が眉間に皺を刻んだまま、視線を返さずに答えた。その長い足を組み替え、背を預けるようにしてソファに身を預ける。


 その音を聞きながら、雪弥は「よく分からないなぁ」と、もう一度口にしていた。聞いた話について考えてみるものの、思い返そうとすると頭が痛くなり、彼は難しい問題への深い思考を放り投げる事にした。


「僕には、難しい事はよく分からない」


 改めて、考えたすえの結論を呟いた。すると、蒼慶が「私も分からん」と先程と同じ台詞を繰り返して、力のない顰め面を同じように窓の方へ向けた。


 窓から覗く空には、相変わらずのんびりとした青が広がっていた。小さな浮雲がゆったりと流れていて、どこまでも穏やかで鳥のさえずりまで聞こえてきそうな長閑さだ。まるで、蒼緋蔵邸の日常は、何も変わらずに続いていくような気もしてくる。

 雪弥は、これまであった仕事の記憶を手繰り寄せて、雪国であった一件を思い出した。遺伝子を弄られて狼人間にされた者を、そこで何十体も殺したのだ。


 犬のように尖った顔をした、大きく強靭な顎を持った男達だった。硬い獣の毛に覆われた皮膚を裂くと、赤い血が勢いよく拭き出したのを覚えている。それ以外の『標的』も、血は赤色だった事だけが、やけに鮮明に記憶の底に残っていた。


 でも、それだけである。

 だから、雪弥は考えながらも思ったままに、こう答えた。


「…………僕は蒼緋蔵や、他の名家の事もよくは知らない。ただ兄さんのために、僕が出来る事をするだけだから」


 名家だとか歴史だとか、先代の蒼緋蔵家当主の言い残した言葉にも、強く惹かれるような興味は湧いてこなかった。ただ、蒼慶達が無事でいてくれればいいと思う。

 蒼緋蔵家に害をなそうとしている者が、彼が語ったような特殊な性質を持って生まれた暗殺者であったとしても。たとえ、それが先日出会った『腕が六本の異形のモノ』みたいな生物であっても。


 どちらだって構わないのだ。どうであるにせよ、家族を傷つける『敵』であるのなら、『消してしまえば』いい。難しく考える事はない。殺してしまえば終わる。


 その結論に達した雪弥は、なんだ簡単な事じゃないかと思って安堵し、穏やかな表情を浮かべて蒼慶を見つめ返していた。髪や肌にアンバランスな深く濃い黒の双眼が、優しげな微笑みに対して冷気をまとい、青い光りを灯す。


「大丈夫。何者だろうと、兄さんの邪魔はさせない。どんな者であっても、生きていれば殺すだけだよ」


 こんな事を言ったら、また兄さんに怒られるかもしれないけれど。でも深く考えるのは苦手なんだ。やはり自分は、指示を受けて現場に立つのが性に合うらしい……そう続けて、雪弥はつい苦笑を浮かべた。


 殺気が一転して、柔和な雰囲気に戻る。本能的に僅かに身構えてしまった宵月が、悟られないうちに身体の強張りを解いて、指示を仰ぐように主人へと目を向けた。


 蒼慶は、しばらく黙っていた。弟の下手くそで、ぎこちない愛想笑いを見つめてから「――そうか」と、眉間の皺も刻まずに独り言のように呟いた。その結論に達するのが『自然な事ではない』とは、指摘しなかった。



「争点になっている『開封の儀』だが――」



 膝の上で手を組み合わせた蒼慶が、そう冷静な様子で淡々と切り出した時、コンコンと強めに扉が叩かれる音がした。


 一同は、揃って口をつぐんだ。宵月が横目をチラリと向けながら「予定よりもお早いですな」と呟くと、誰が来たのか察した蒼慶が、深い溜息を吐いて前髪を後ろへと撫でつける。


「ったく、おちおち話し合いの時間も取れんとは」


 彼がそう口の中で愚痴ってすぐ、扉の向こうから、自分達を呼ぶ亜希子の声が聞こえてきた。彼女はドアに鍵がかかっている事に少し腹が立ったのか、「ちょっと蒼慶、雪弥君を独り占めしないでくれる?」と強めに言ってきた。


「久々に雪弥君に会えて嬉しいのは分かるけど、あんたより断可愛いんだから、息子として私にも愛でさせなさいよねッ。すぐに一階に下りてらっしゃい、一緒にお喋りしましょうよ。アリスちゃんに合わせて、早い夕食にするつもりだから、そこも把握しておくように」


 そう言い残した亜希子が、パタパタと足音を遠ざからせていく。


 黙ったままでいる蒼慶の額に、ピキリと青筋が立った。宵月が真顔で「美しい兄弟愛ですな」と棒読みで言うと、その殺気が視線ごと向けられていた。


 雪弥は、その眼差しを受け止めた執事が、真顔のまま悦び震えるのを見て、とにかくもうコイツ嫌だな、と思った。


 というか亜希子さん、大いなる勘違いだよ……何せ兄さんは、僕に厳しい。


 心の中で、雪弥はそう呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る