蒼緋蔵邸の三人(6)
「なんだか、やけに最後を強く言ってきましたね」
「桃宮家を追ったか、付いてきた可能性も想定される。つい先程、あの一家が泊まっていた旅館で、死体が出たらしいという知らせをもらった」
しれっと言ってきた兄に驚いて、雪弥は「それ、本当ですか?」と尋ね返してしまった。騒ぐなと言わんばかりに、蒼慶が眉をぐっと寄せてこう続ける。
「動物の変死と関連があるのかは知らん。ただ、死に方が少し似ているという事で、床下から発見されたというその遺体を、急ぎ調べてもらっているところだ。ざっと見ただけでは死亡日時、性別も年齢も分からない状態らしい」
「そんな捜査状況、警察がよく教えてくれましたね」
「協力にあたってくれている他の名家に、前もって声をかけていた。そこから寄越されている人間だからな、気付いてすぐに連絡をくれたようだ。向こうの方で情報規制もかけて、まだ他には知らされていない状況だ」
「…………隙のない情報網が怖い」
大家とか名家の繋がりって、特殊機関みたいな組織的なものだったりするのだろうか。雪弥は、顔を伏せて本気で考えかけた。そもそも、先手を打って社交上の手腕まで発揮している兄が恐ろしい。
すると、蒼慶が「おい、全部口から出ているぞ」と、苛々した低い声で言った。そばで宵月が「ほんとに、昔から変わりませんな」と相槌を打つ。
「双方の事件に繋がりがあるのか、偶然タイミングが重なっただけの別件かによっても、私の推測は大きく変わる。狙われているのは桃宮前当主か、蒼緋蔵の現当主である父上なのか、次期当主としてある私か。それとも、母上や緋菜を含む蒼緋蔵家そのものなのか」
「旅館の件がどちらであるにせよ、気が抜けない状況であるわけですね」
雪弥はそう相槌を打ちながら、天井へと目を向けた。思わず「一体、何が起こっているんだろうなぁ」と呟く。何せ最悪なパターンなど、考えたらきりがないだろう。同じように、蒼慶が気難しい表情を廊下へと向ける。
兄弟が揃って会話を途切れさせたところで、宵月が一つ頷いてこう言った。
「防犯カメラやセキュリティーは、命までは救ってくれませんからね」
それから、彼は腕時計をチラリと見やって、主人にこう提案した。
「遅めに設定している昼食時間まで、私と雪弥様は少し時間があります。蒼慶様が次のご予定にかかっている間に、敷地内に他の異変がないか見て参りましょう」
亜希子や緋菜達に悟られないように動くから、そんなに時間はかけられないだろう。けれど、現時点で他に異変がないか、他の使用人に事情を打ち明けて動いてもらうより、気配に敏感な自分達がざっと敷地内の様子を直に見てきた方が早い。
雪弥はそう考えながら、こちらは了承だけれどそれでいいか、と確認するべく兄に目を向けた。こちらを見つめ返してきた蒼慶が、ジロリと睨むようにして頷き返してきた。
それだけで終わるかと思ったら、彼がおもむろに口を開いた。
「勝手な事はするなよ。異変を見付けたとしても、すぐに動くな。塀に穴一つ開けようものなら、殺す」
「兄さん、どんだけ僕のこと信用がないんですか……」
というか、塀をむやみに壊すなんてしませんよ、と雪弥は困ったように呟いた。一体どういう状況で、こちらからだいぶ距離がある高さ数メートルの塀まで行き、打ち砕くというのだろうか。温厚な弟に対して、ひどい言いようだと思った。
考えている事が表情に出ている彼を、宵月が横目に見やった。けれど何も指摘しないまま、当主不在の間ここの全てを任されている蒼慶に、執事らしく次の予定を確認したのだった。
◆◆◆
一旦、蒼慶と廊下で別れた雪弥は、宵月と共に屋敷の外へと出た。外には平和としか思えない日差しが降り注いでおり、強い光に一瞬、目が眩んだ。
「わたくしは、裏の方を見てまいります」
玄関前で、宵月がそう告げて西側へと歩いていった。それを少し見送ったところで、雪弥は冷静を装っていた表情を解いた。
背を向けて、そのまま北側と足を進めた。ペガサスの像が建つ噴水横を通過し、正面広場から抜けられる第二庭園へと入り、ただ奥へと足を動かしながら思案に耽った。
最後に宵月が言った言葉が、耳にこびりついていた。
カメラやセキュリティーは、命まで守ってはくれない。確かにその通りだと思った。真っ先に頭に浮かんだのは、この目で見てきた暗殺された人間の殺人現場だった。
足早に進んだせいか、第二庭園の中央に設置された噴水にいきあたって、雪弥はそこで我に返って足を止めた。ここからだと、蒼緋蔵邸の本館がよく見える事を思い出して、ふっと目を向けた。
不意に、そこに見慣れた悲惨な死の現場を重ねてしまった。
血だらけの亜希子や緋菜が横たわり、使用人達の血で、美しい蒼緋蔵邸がどこもかしこも真っ赤に染め上げられる。宵月や蒼慶の死体が並び、そして、そこには父である当主の死体も――
考えて、思わずゾッとした。これまで仕事では何も感じた事はなかったのに、蒼緋蔵家のそんな現場を思うだけで、喉元まで嫌悪感がせり上がった。
嫌なイメージを振り払おうと、急くように歩き出して、俯き加減に庭園を突き進む。けれど、どこからともなく沸き上がる想像は止まってくれない。嫌だ、という気持ちは強烈な吐き気を込み上げさせて、雪弥は前触れもなく足を止めていた。
彼らが死んでしまうことになったら、と考えた瞬間に『殺してやる』という強い想いに支配された。
思考回路が、殺人衝動で真っ赤に染まる。暴れ出したい衝動が、神経回路を走り抜けて膨れ上がった。一人でも傷つけてみろ、関係者もろとも皆殺しにしてやる……。
ふと、自分の中に残っていた冷静な思考が、僅かに戻って小さな違和感を覚えた。意識があっさり『殺人』へ向いている事が、人としてどうなのかと思って、何かが変だという違和感がある顔に触れたところで、自分の表情を確認して硬直した。
僕、笑っているのか。
カラーコンタクトがされた黒い瞳の奥で、開いた瞳孔に蒼い光が灯った。どうして、という疑問は『蒼緋蔵家の人間が殺されてしまう前に、近づいてくる危険分子すべて皆殺しにしてしまえばいい』という想いに塗り潰された。
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