蒼緋蔵邸の三人(7)

 何が正しくて、何が間違っている『思考』なのか分からない。頭が上手く働いてくれなくて、ただ雪弥は指を開いた両手で顔を覆ったまま、ゆっくりと空を見上げていた。ひどく眩しい青に、何故かひどく殺気立った。



 眩しい光に満ちる世界が――


 嗚呼。眩しさに包まれた、この世界が憎い。



 その言葉が、自分の口から発せられたものなのか、頭の中で起こった独白なのか分からなかった。この怨み忘れるものか、と身体に流れる血が囁きかけてくる気がした時、『守り従うべき一族の直系』の声が耳に飛び込んできて我に返った。


「お兄様! お散歩中なの?」


 一気に感情が戻って、冷たい光を灯した瞳から殺気が引く。顔に触れていた手を降ろしながら、ゆっくりと声のする方へと視線を向けると、本館の見晴らし台になっている尖塔の出窓から、緋菜が大きく手を振っているのが見えた。


 雪弥は、自分が何故こんなところを歩いているのか、を思い出すのに十数秒を要した。先程まで何かを考えていた気がしたものの、よく覚えていない。


 少し思案したら、思い当たる事があった。なんだ、そんな事かと納得して安堵の笑みを浮かべると、少女だった頃と変わらず元気に手を振ってくる妹の緋菜に、小さく手を振り返しながらこう思った。


 考えるまでもない。殺してしまえばいいよ。


「もうッ、雪弥お兄様ったら、もっと大きく振り返してもいいじゃない!」

「そんなこと言われてもなぁ……」


 僕にどうしろと、と雪弥は困ってそう返事をした。すると、すぐに緋菜が「こっちまで聞こえないわよッ」と言ってくる。


 なんで、こんな離れた距離から会話したがるのだろう。そこも昔からちっとも変わってない。雪弥は仕方なく付き合う事にして、少し力を込めて口を開いた。


「緋菜、身を乗り出すと危ないから、中に戻って。というか、どうしてそこにいるの」

「アリスちゃんと探検しているのよ」

「……探検って……、兄さんに、あまりそこには行かないようにって言われていたでしょう。行くなら宵月とか、誰か他の使用人も連れるって約束だったのに」

「大丈夫よ。だって、蒼慶お兄様もすぐ後ろにいるもの」


 きょとんとして、緋菜がそう答えてくる。


 その回答を聞いた瞬間、雪弥は「マジか」呟いてしまっていた。君主みたいに偉そうな仏頂面の兄が、一時的であるにせよ、黙々と彼女達の探検に付き合っている光景を想像すると、なんだかシュールに思えた。


「おかしいな。兄さん、別件で予定があるんじゃなかったっけ……?」

「何ぶつぶつ言ってるの? あと少ししたら、遅めの昼食を食べる予定なのよ。雪弥お兄様も、一緒に食べてくれるのよね? すぐに帰ったりしないんでしょう?」

「うん、一緒に食べる事は聞いてるし、すぐに帰ったりしないよ。ちょっとその辺を歩いたら、僕も屋敷に戻るから」


 安心させるように笑いかけて見せたら、緋菜が満面の笑みを浮かべてくれた。彼女は嬉しそうに「あとでね!」と手を振ると、中へと引っ込んで見えなくなった。



 その後、雪弥は庭園を抜けて、薔薇で出来た壁の通路を進んだ。


 そこから樹園へと入って姿が隠れたところで、時間を短縮するため一気に駆けだすと、風のように木々の間を突き進んで、蒼緋蔵邸の本家敷地を取り囲む『壁』まで向かった。



 到着したのは、第二の門扉から続く高さ数メートルの塀だった。そこを中心として、左右に数キロメートル続く壁みたいな塀沿いを歩いて確認してみたものの、特にこれといった異変は見られなかった。


 地面と壁と木々を足場に、次々に跳躍して、広大な敷地の塀をぐるりと一周してみた。しかし、やはり視覚や嗅覚にピンとくるものはない。


「毒物を持っているとしたら、匂いで分かるんだけどなぁ」


 高い塀の上に着地した雪弥は、そこから屋敷の本館や別館などの屋根を眺めながら首を捻った。開発された薬物や科学兵器を利用して、あのような奇妙な殺害の方法が取られた可能性も視野に入れていたのだが、その推測は外れなのだろうか。


 思ったよりも早く回れてしまったので、先程の現場へと足を向けてみた。死骸の異臭が少し残されているだけで、仔馬は既に片づけられてしまっていた。


 結局は異変や新しい発見もないまま、どうしたものかと歩いて桜の木々を抜けた先で、雪弥は宵月と鉢合わせした。目が合ってすぐ「何かございましたか」と尋ねられたので、首を横に振って見せる。


「僕の方は、これといって何も見つけられませんでした」

「そうでしたか。わたくしの方も同じです」


 そこで宵月は、腕時計に目を留めた。


「そろそろ戻りましょうか。予定していた昼食時間に間に合わなくなります」

「得体の知れない侵入者か暗殺者がいるかもしれないのに、呑気に昼食というのも、変な感じだなぁ」


 共に本館へと向かいながら、雪弥は小さく肩をすくめた。案内するように少し先を歩く宵月が、昼食の件を聞き流して「監視カメラをくぐり抜けて、塀を超えて一時的に外で身を隠している可能性もあります」と、自身の推測を口にする。


「それこそ、考えられない可能性ではありますが。実際、道具も無しに一つ飛びで、我が蒼緋蔵邸の塀を飛び越えてしまうお方も、おられますからね」

「それ、ピンポイントで僕の事を言っていますよね、宵月さん?」


 しれっと答えてきた無表情な横顔に目を向けると、元軍人であるその執事が「目立っておりました」と、こちらを見てキッパリと言った。


「わたくしも軍人時代には、テロリストや組織の人間や暗殺者と、戦場や町中や私室などでやり合った経験は、多々ありますが」


「普通の軍人ならないです。宵月さん、元々海外籍所属だと聞いたんですけど、あんた一体どこの重要ポストの荒くれ将軍だったんですか?」

「今の暗殺では、ああいった変死体が出来るものなのでしょうか?」


 こいつ、人の質問を全く聞いてないな。


 雪弥は、眉一つ反応させず自然な様子でこちらに疑問を振ってきた宵月に対して、口許が引き攣りそうになった。


「まぁ暗殺者のタイプによっては、特殊な死体を作る場合も少なからずありますよ。そもそも、薬品や道具を作る人間と、実際に暗殺として動く人間は、別な事がほとんどですし。だからこそ科学を利用した『妙な死体』だって完成する」

「やはりお詳しいですな」

「というか、僕の勤め先のこと、もう知ってるんじゃないですか? 何せ、宵月さんのそばには兄さんがいますからね。いちおう言っておきますけど、僕の情報は国家機密ですからね」


 これまでずっと抱いていた高い可能性を考えて、ついでに本人に確認しておくかと吹っ掛けてみると、前を向いた宵月が、冷静に「左様ですな」と一言口にした。それだけで察しがついて、雪弥はつい額を押さえて空を仰いでしまっていた。


 一体、国家機密ウチの情報が、どうやって彼らに知れ渡っているのか大変気になる。ウチの技術班めちゃくちゃ頑張っているのに……というか、そもそも兄は、どういった経緯でナンバー1にまで辿りついてしまったのか。



「蒼緋蔵家を含む『大家』、そして『名家』や『旧家』の歴史は、あなたが思っている以上に長く、深い」



 ふと、唐突にそんな事を言われた雪弥は、思案を中断しつつ視線を戻した。すると、横顔に眼差しを受けてすぐ、宵月が意図の読めない視線をチラリと返してきて、こう続けた。


「もし、今回の件が『貴方達の知る』暗殺技術によるものではなく、全く別の、特殊な事情があってのモノであるとしたら、どうします?」

「まるで、事を起こした相手が、人間じゃないみたいな言い方ですね」


 そんな直感的な印象を、冗談のように口にした。けれど宵月は、まるで問いかけの答えを待つかのように何も言ってこないでいる。


 よくは分からないけれど、少し真面目に考えてみた。これまであった仕事で、異例な事情から発生した『敵』を思い返してみれば、遺伝子や細胞を人為的にいじられて、兵器と化した人間や動物もあった事が思い出された。


 そういえば、制御を誤り『被検体』を暴走させて、違法研究施設にいた者達が全員死亡した一件もあった。その国のエージェントと、各国の特殊機関が協力して対応にあたり、自分はその哀れな標的達を殺したのだ。


「相手が人間であれ、そうじゃないにしろ、生きているのなら殺します」


 雪弥は、己が感じたままの素直な結論を口にした。

 どうしてか、今日の新聞で見た夜蜘羅という男が、前回の仕事中にけしかけてきた異形の暗殺者が脳裏に浮かんだ。今更ながら、まるで人間と蜘蛛を掛け合わせたようだったなと思う。


「たとえ『肉体的に死んでいる』としても、殺しにかかってくるようなモノであれば、動かなくなるまで壊してしまえばいい。すべての四肢をもぎ取って、切り刻んで、その頭と心臓を潰して。――僕は、ずっとそうしてきました。相手が何者であるかなんて、結局は些細な事なんです」


 視線をそらして考えていた雪弥は、冷静にそう答えていた。


 その横顔を見ていた宵月が、「そうですか」と同じように落ち着いた様子で普段の相槌を打った。そして彼は歩きながら、さりげなく胸ポケットへと手を伸ばして、そこに入れてある携帯電話の、『蒼慶』と表示された通話ボタンを切った。

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