蒼緋蔵邸の訪問者(6)

 顔を伏せて、兄から隠した表情に疑問を浮かべた。彼がコンタクト嫌いだというのは聞いた事がないし、そもそも付けるのも付けないのも、これといって自分自身には強い理由もないから、うまい返し言葉が見つからず首を捻る。



「堂々としていればいい。何故隠すのか、私には皆目見当もつかん」



 そんな声が聞こえて、雪弥は「ん?」と直前まで考えていた事が、頭の中から飛んだ。訝しんで顔を上げると、感情の読めない蒼慶と目が合った。


「ウチの人間に、何かしら言われて予防を張った。もしくは、誰かにおかしいと指摘されたわけではないのだな?」

「そんなこと言われていませんよ。だって、青い目なんて『普通』でしょう」

「その通りだ」


 だから、と顔面を全く変えないまま蒼慶が、高圧的にくいっと顎を少し上げてこう続ける。


「今すぐ似合わないソレを取れ。不愉快だ」

「なんでその結論に達するんですか……。横暴過ぎませんか、兄さん」


 呆気に取られて、雪弥は唖然として見つめ返してしまっていた。


 その時、騒がしい足音が聞こえてきた。「ちょっとお母様」と少し慌てたような甲高い声がしたと思うと、応接間の大扉から紗江子が現われた。


「まぁ、こちらにいらしたのね」


 こちらの姿を見つけるなり、彼女が歩み寄りながらそう言って、穏やかな微笑みを浮かべた。父方に西洋の血が流れているせいか、よくよく見れば、丸い瞳は明く薄いブラウンである。


 目の前に立った桃宮婦人が、優雅に会釈をした。穏やかな眼差しを一度雪弥に向けて、それから蒼慶へと向き直った。


「蒼慶様、本日はお世話になります、桃宮紗江子にございます。近いうちにある就任式には参加出来ませんので、少しお早い祝いの言葉を記載した手紙と、お祝いの品を先にお持ち致しました。明日の朝お渡し致しますので、どうか式の当日にお開けくださいませ」

「当主である父からも、その話は聞いている。わざわざご足労感謝する。それよりも、先程はアレが迷惑をかけたようで、済まなかった」


 アレ、と名指しされた雪弥は、つい乾いた笑みを浮かべた。半ば諦めたような心境で進み出て、けれど迷惑を掛けた事については、しっかり反省して謝った。


「本当にすみませんでした……。僕よりも、桃宮様の方がびしょ濡れになってしまって、本当に申し訳ないです」

「いいえ、そんなに謝らないで。どちらにも水槽がぶつからなくて、良かったですわ」


 桃宮婦人がそう言った時、その向こう側で動く人影があった。気付いた雪弥は、蒼慶と宵月と共に、ほぼ同時にそちらへと顔を向けていた。


 続いて応接間の方から出てきたのは、彼女の夫である旧蒼緋蔵勝昭、現桃宮勝昭と、その後ろに少し恥ずかしそうに隠れている末娘のアリス。そしてそこには、先程まで談笑を楽しんでいた亜希子と緋菜の姿もあった。


「桃宮おじ様が、是非お兄様とお話がしたいそうよ」

「アメリカへ行く前に、話を聞きたいのですって」


 緋菜に続いて、亜樹子が片手を軽く振って、明るい調子で言う。


 蒼慶は、答える代りに短い息を吐いた。ちらりと目配せされた雪弥は、お前はどうすると問われているような気がして、慣れない合図に戸惑いつつも、兄から視線をはずして少し考えた。


 彼らにとっては遠い親戚にあたるし、それと同時に、会社を経営している者同士だ。恐らくは、社交上の付き合いもかねての茶会のようになるのだろう。そんな彼らの話の輪に加わるというのも、いささか自分には難しそうな気がする。


 よし、断ろう。


 雪弥は、物の数秒でそう決めた。この場をしのげる言い訳が、ちょうどいいタイミングでピンと浮かんで口を開く。


「これからシャワーを浴びるから、僕はあとで合流するよ」

「そういえば、雪弥君はまだスーツも乾かしていないんだったわね」


 亜希子が気付いて、それから「いなくならないんだったらいいのよ」と、少し弱気な微笑みを浮かべた。逃亡するわけじゃないんだから、と思って雪弥は苦笑を返した。むしろ、兄に無断で帰ったら、絶対に報復が怖い。


「好きにするがいい」


 蒼慶が了承したように言って、踵を返しながら「こちらへどうぞ」と桃山勝昭らを招いた。その後に、亜希子と婦人が会話を始めながら続く。


 少し遅れて、その後ろをついて行こうとした緋菜が、「あら」と足を止めて自身の左腕を見やった。彼女の細い腕には、手を伸ばした桃宮アリスがくっついてしまっていた。

 緋菜の後ろに身を隠すようにして、アリスがもじもじとした様子で雪弥を見上げた。ウェーブがかった長い金髪が、ヴェールのように小さな背中をすっぽりと覆っている。


「あの、お初にお目に掛かります。桃宮アリスです」

「へ? ああ、えっと初めまして。雪弥です」


 まさか、ここにきてきちんと挨拶をされるとは思っていなかったから、雪弥は慣れないぎこちなさで言葉を返した。アリスが、嬉しそうに頬を赤らめて目を落とし、会話がプツリと途切れる。


 こういう時、何か言葉を繋いだ方がいいのだろうか。


 しばし互いの間に流れる沈黙を聞きながら、雪弥は笑顔を強張らせていた。引き続き何か言いたそうな様子で、身じろぎしてそわそわしているアリスを前に困ってしまう。

 すると緋菜が「今年で十三歳になるのよ」とフォローのように口を挟み、相手は子供なんだから、という視線を送ってきた。こういう事は正直言って苦手なんだよなぁ、と雪弥は頬をかいた。


「えぇっと、確か中学生になったばかりだと、桃宮さん達が言っていたね」


 どうやって話しを繋げればいいのか分からず、とりあえず腰を屈めて尋ねてみた。アリスがぎゅっと緋菜の腕にしがみついて、それからチラリとこちらを見つめ返して頷く。またすぐに目を伏せながら、彼女が口を開いた。


「中学校で、私だけ髪の色が違うの。みんな黒髪だけど、お爺様と同じ金髪ねって、お父様もお母様もそう言ってくれるのよ」


 幼い頃は、同級生に何かしら言われる事もあって悩んでいたという。けれど、だから今はこうして伸ばしているのだと、アリスは思い出すように微笑んだ。


 祖父と同じ髪色が、今では誇らしいのだという話を聞いて、緋菜の顔も自然とほころんでいた。雪弥だけが「そうなんだ」と、ぎこちなく相槌を打って立ち尽くしていた。

 すると、アリスが再びチラリとこちらを見上げてきた。パチリと目が合ったので「何?」と尋ねてみたら、どうしてか白い肌をほんのり赤面させて、緋菜の後ろへ隠れられてしまう。


「…………あの、僕、なんかしたっけ?」

「違うのよ。この子、入口でお兄様を見た時からそうなの。こうして出てきたのも、蒼慶お兄様じゃなくて、雪弥お兄様に会いたかったからなのですって」


 緋菜がそう続けて、確認するように目を向ける。


 腰にしがみついていたアリスが、そうだと答えるように何度も頷いた。隠れている緋菜の細い背中から、そろりと顔を覗かせて熱がこもった瞳で雪弥を見上げると、目をそらす事も忘れて、ほうっと夢心地に息をついた。


「雪弥様は、アリスの妖精さんですか……?」


 なんだか、これまでで一番よく分からない問いをされた。


 その瞬間、雪弥は一時的に表情ごと硬直した。しばし逡巡し、そのままの姿勢でゆっくりと妹の緋菜を見やる。

 一体、この子が何を言っているのか分からないんだが、説明してくれないか。そう動揺する兄の視線を受け止めて、緋菜は少し困ったような笑みを浮かべた。


「アリスちゃんって、ちょっと夢見る女の子というか……」


 少しだけ変わっているの、と緋菜が溜息交じりにぽつりと呟いた。雪弥は「うん、そうか」と答えながらも、これからどうすればいいんだ、と問うように妹を見つめ続けていた。


「……綺麗な人」


 熱がこもったアリスの囁きが、兄妹の間に落ちた静けさに広がり、余韻を残すようにして消えていった。

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