蒼緋蔵邸の訪問者(1)
大きなテラステーブルにて、ケーキを食べながら華やかに談笑しているのは、女性陣の亜希子と緋菜だ。そのテーブルの上には、色取り取りのケーキと、良い香りがする紅茶が並べられていた。
彼女達は、会話が途切れる事なく、こちらがよく知らない世間話を続けている。見張るようにすぐそばに立つ宵月の隣で、雪弥は複雑な表情で、ちまちまとケーキをつついていた。
「……この状況ってさ、なんか間違ってない?」
「え? お兄様、何か言った?」
「ううん、ちっとも、全然……」
振り返った緋菜に、雪弥は言葉を濁した。亜希子と彼女が、普段と変わらずといった様子で紅茶タイムを楽しんでいる様子を見て、こうして変だと感じている自分こそが間違っているのだろうか、と悩んだりする。
数十分前、兄に書斎室を追い出された雪弥は、階段下で亜希子を見つけた。どうだったのと尋ねられたので、提案を見事に断られた、とだけ簡単に話した。そうしたら、気付くと彼女達の紅茶タイムに付き合わされていたのである。
おかしいな。僕は、どこで何を間違えたんだろうか。
雪弥は、遠い目で思い返した。はじめに美味しい紅茶を仕入れてあると言ったのは、優秀で憎たらしい執事の宵月だった。続いて、先に食べていたケーキが美味しいと緋菜が言い、「じゃあ一緒にお茶にしましょうよ」と締めくくったのが亜希子だ。
ああ、なんだ亜希子さんか、と雪弥は薄ら笑みで視線をそらした。口に広がる甘さは、確かに一流パティシエの味だが、雪弥は先に食べた二つのケーチの味すら覚えていなかった。それほど、受け流されるようにして、ぼんやりと食べ進めている。
緋菜が弾けるような可愛らしい笑みを浮かべ、亜希子が品良く笑い、そうやって女性同士の会話が続いていく。
雪弥は紅茶を半分ほど飲んだ後、向かい側で続くそんな光景をしばらく観察した。一つ一つ、改めて慎重に考え直してみると、次第に自分の肩が落ちていくのが分かった。カップに残っていた紅茶を飲み干すと、今度は確信してぎこちないながら頷き、結論を口にする。
「やっぱり、この状況ってすごく間違っているよ」
ようやく驚愕の事実に気付いた、と言わんばかりに雪弥は発言した。しかし、話を続ける亜希子達には、聞こえていないようだった。
彼のすぐ隣に立っていた宵月だけが、「ちっとも間違っておりませんよ」とフォローしつつ、新しい紅茶を注ぎながら「ですが」と言って続ける。
「男性がこの茶会に入るのは、ここでは初めての事です」
「ほらなッ、だからやっぱり間違ってるって!」
そのちょっとした悲鳴みたいな主張に驚いて、女性陣が「どうしたの、お兄様」「どうしたのよ、雪弥君?」と、二人同時にこちらを振り返ってきた。
雪弥は心の叫びをぐっと堪え、どうにか冷静に伝えるべくして口を開く。
「だから、僕は兄さんと話をしに来ただけであって――」
「蒼慶お兄様には付き合って、私は駄目だなんて、そんなこと言わないわよね?」
「そうよ。兄弟同士で難しい話し合いしかしないなんて、寂しいじゃない」
緋菜が雪弥の言葉を遮り、亜希子が少し悲しそうに笑った。諦めたように口を閉じかけたものの、雪弥はやはり納得いかず、眉根を寄せて慎重に確認した。
「だってさ、ケーキと紅茶が都合良く用意されているなんて、変だよ」
「ううん、こっちはついでに用意したものなの。本当よ?」
代わりに緋菜が答えて、肩にかかった髪を払い、真っ直ぐ雪弥を見つめて笑みを浮かべた。
「今日、宿泊のお客様がいらっしゃるの」
その言葉に興味を覚え、雪弥は「へぇ」と呟きを上げた。亜希子が「あ、なんだか興味を示し始めたわね」と面白そうに言う。
彼は亜希子の言葉を聞き流すと、緋菜に尋ねてみた。
「部屋が沢山あるのは知っていたけど、実際にそうやって泊まる人もいるんだね」
「蒼緋蔵は分家も多いから、遠いところからいらっしゃる方も、だいたい一泊していくわよ。お兄様だって、昔は二階の部屋を何度か、紗奈恵さんと使っていたじゃない」
そう言って、緋菜は少し寂しそうに目を細めた。
雪弥は興味が別のところへと向いていたので、妹のそんな表情に気付かなかった。「そうだったね」と相槌を打つ彼の手元で、フォークでつつかれたケーキの上の苺が、バランスを崩して皿の上を転がり落ちた。
幼い頃、母の紗奈恵とこちらを訪れた際、建物の左側にある部屋の一つを使った事はあった。トイレも風呂もついていたので、まるでホテルみたいだと思った事を覚えている。
そこまで思い返したところで、雪弥はようやく妹に目を戻した。
「うん、そうだった。あの頃は、場違いな場所に来てしまったと思ったよ。トイレも馬鹿みたいにデカくて、何度使っても落ちつかなかったっけ」
「ふふふ、衣装棚いっぱいに服を揃えた時の紗奈恵の顔、可愛かったわぁ」
同じように当時を思い返した亜希子が、むふふふふ、とだらしなく表情を緩めて笑った。彼女は元々名家のご令嬢だったので、当時から、雪弥達が信じられないような金の使い方をした。そうやって紗奈恵を喜ばせたり驚かせたりするのが好きで、父はそんな二人の様子を、いつも微笑ましく見ていたものだ。
幼い頃、雪弥はふとした時に暖かい視線を感じた。その先には、いつも父の姿があって、普段はあまり動かない表情を優しげにほころばせて、いつも紗奈恵と亜希子を優しく見守っていた。そして、分け隔てなく三人の子供に愛情を注いだ。
「私たち、家族『六人で』、幸せな生活を送りたいだけだったのにね」
ふと、続けられた亜希子の言葉を聞いて、雪弥は持ち上げかけたティーカップを途中で止めた。一度ぐらつくようにして止まった手の中で、カップの中の液体が波打った。
亜希子は、遠い昔を眺めているような瞳を外に向けていた。風に揺れる薄地のカーテンが、太陽の光に照らされて、緋菜がその眩しさに目を細めている。
雪弥は、波が収まったティーカップを覗きこんだ。ゆっくりと、過去と現在を照らし合わせて、それからふっと、その口許に微笑みを浮かべた。
「今だって、十分に幸せですよ。ごたごたもなくすっかり落ちついて、兄さんなんて、もうじき蒼緋蔵家の当主だ。兄さんが父さんの仕事を本格的にサポートするようになってから、大分順調だと聞いているよ。父さんも、もうしばらくすればゆっくり出来るだろうし、緋菜もしばらくはこちらにいるだろうし――兄さんの事だから、ちょっとした仕事なら自分が出向くよりも、きっと相手を呼ぶと思うし、家族水入らずだ」
雪弥は、質の良い紅茶の香りを吸い込んだ。穏やかな眼でティーカップを見つめ、静かにそれを口に運ぶ。
蒼緋蔵家の家族と自分の生活が、たとえ交わる事ないとしても、こうして彼らの暮らしが穏やかに続けばいい。会えなくとも、時々連絡を受けて彼らが幸せなのが分かれば、それでいいのだ。
問題が起これば、ナンバー4として蒼緋蔵家に加担するだけである。雪弥はそう考えて、それいいかも、と悠長にそんな事を思った。
たとえ名字を返したとしても、大切な家族である事に変わりはない。蒼慶も以前からずっと、こちらの仕事については察しているようだし、ナンバー1とやりとりをするくらいの仲であるのなら、当主となる彼にその事を伝えればいい。
そうすれば、彼もわざわざ、近くに自分を置こうとは思わないだろう。すぐにでも飛んで来て協力するからと言えば、きっと今回の件に関しても納得してくれる。
すっきりしたような顔でケーキを食べ始めた雪弥は、先程の事へ興味が戻り、何か言いたそうな表情を浮かべた二人に気付かず「そういえば」と言って、宵月を振り返った。
「ケーキと紅茶まで用意したお客さんって、誰なの?」
「桃宮財閥のご長女である奥様の名を与えられ、今年まで桃宮当主として立派に努められた、蒼緋蔵分家の者です。海外で新しい事業を始めるため、近い将来にある蒼慶様の当主就任祝いの席に参加出来ないとの事で、渡米なさる前にお会いしたい、と。午後には到着予定です」
「ふぅん、なるほどねぇ」
雪弥は呟きながら、空になった皿に新しいケーキを移し入れた。
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