「ナンバー4」の里帰り、実家まであと少し…雪弥の憂鬱(1)
特殊機関の総本部から出発して、二時間ほど経った午前十時十分。
雪弥の姿は、とある大自然に囲まれた田園風景のド真ん中にあった。信号機すらない細く続く一本道の脇の斜面に腰を降ろし、曲げた膝を軽く抱き寄せた姿勢で、ほどよく伸び上がった野菜畑と、その向こうに広がる緑の山々を眺めている。
土と水と緑の匂いに交じって、動物小屋の匂いが微かにした。そよ風が優しく吹き抜けていて、日差しは柔らかくて心地よい。かなり穏やかな環境下である。
「ここって、こんなにも時代が遅れたような土地だっけ……」
雪弥は、マンションやビルばかりの大都会から遠く離れた、この土地を思ってぼんやり口にした。今は後の事を考えたくない、と緑の風景を目に留めながら現実逃避する。
敷地の半分以上が緑に覆われたこの土地の奥地に、正確に言えば今いる一本道を進んだ先の森の中に、広大な土地を抱えるようにして蒼緋蔵邸がある。ここから見えるあの山も、畑も、田舎の外観を失わない細い道も全て彼らの所有地だ。
雪弥は、それを想像したくなかった。ここへ来てしばらく、自分は存在していません、と言わんばかりに斜面に座りこんでじっとしている。
何度目かの鳥の飛翔を見届けた後、スーツの内側のポケットに入れている携帯電話を取り出して、現在の時刻を確認した。そこに付いているストラップ人形の『白豆』が、ひょうきんな表情を浮かべて揺れた。
「…………お前は、楽しそうでいいよなぁ」
雪弥は、つい携帯電話を目の高さまで持ち上げて、前回の仕事で『飼う事になった』白豆を見つめ返した。キーホルダーにしては丸くて幅があるため、内側のポケットに入れる際には、脇の方によけてしまわないといけなかった。
とはいえ、胸元に付ける武器収納用のホルダーに比べれば、対した大きさはない。細身であるため、元々スーツの内側のスペースだって余っているのだ。
雪弥は『飼い主として』、白豆が潰れて窮屈になってしまわないよう、位置を調整しながら携帯電話を再びしまった。ふと、総本部の建物から出る際、一階で遭遇したナンバー1に問われ、白豆の清潔で元気な姿を見せてやったのを思い出した。
あの時、何故かナンバー1は、顔をそむけて声を殺して笑っていた。彼のそばには二桁エージェントがいたのだが、凝視されたうえ今にも死にそうな愛想笑いを返された。ちゃんと飼えていると思うのだが、二人の正反対の反応が謎である。
あ、鳥。
青空に一羽の鳥が見えて、なんとなく目を向けた。頭上を旋回する様子を見上げていたら、背中にしている道の方から、驚いた男の声が聞こえてきた。
「兄ちゃん、こんなところでどうした?」
ゆっくり肩越しに振り返ってみると、聞き慣れないエンジン音を上げる一台のトラクターが停まっていて、その運転席に一人の男が腰かけていた。
齢(よわい)は四十代の後半頃、小麦色に焼けた細身をしており、麦わら帽子に袖の切られた作業着シャツという姿だった。恐らくは、この畑の所有者なのだろう。そう推測しながら、雪弥は気が抜けそうな表情のまま口を開いた。
「ここに座って、新鮮な空気を十分に吸っているんです」
そう返された中年男は、上等なスーツで座り込む彼をじっと見て「そうかい……?」と、よく分からないように頭をかいた。トラクターを少しばかり進めて、畑の脇でエンジンを切ると、そこから降りてから雪弥に声を投げかける。
「兄ちゃん、この辺じゃあ見掛けない顔だね。外から来たのかい?」
「まぁ、そんなところです」
雪弥は、ぼんやりと答え返した。麦わら帽子をかぶり直した彼は、気にした様子もなく一度背伸びをすると、ふと気付いたような顔を彼へと戻した。
「俺達は蒼緋蔵家っていうところに、先祖代々からお世話になっているんだが、あんたもそこへ行くのかい? だいたい、あんたみたいに綺麗にめかしこんだ連中が、よくそこの当主様に会いに行くのを、何度か見かけた事があるよ」
「…………まぁ、そんなところです」
ピンポイントで当てられた雪弥は、視線をそらしてぎこちなく頬をかいた。正直、行きたくないなぁ、とまたしても思った。
男がトラクターの後ろから、これから始める仕事の道具を取り出し始めた。そこで、ふと別の疑問を感じたような表情を浮かべて、自分の畑を眺めるようにして斜面に腰かけている雪弥を振り返る。
「そういえば、車も連れてないお客さんなんて初めてだな。一体どうやってここまで来たんだい?」
これは予想外の質問だ。
バスも通ってないのに、と不思議そうに続ける彼を前に、雪弥はまたしてもゆっくりと視線をそらしていた。自分がこうして座るまでの事を思い返して、どうにか言い訳を考えつつ口にする。
「えぇっと、僕も車だったんですよ。途中で、その、新鮮な空気が無性に恋しくなって、飛び出してしまったというか……」
総本部の建物を出た後、言われていた新幹線に乗った。けれど、到着した駅に黒塗りのベンツが待ち構えていて、運転席から出てきた『迎え人』を見た瞬間、雪弥は反射的に逃げ出して、その脇を一目散に駆け抜けてしまったのである。
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