「ナンバー4」の里帰り、乗り気のしない出発(2)

 色素がちょっと抜けたというか、なんだかやや明るくなっている気がする。けれど、しばし眺めていると昔からこうであったような気もしてきて、「まぁいいか」と考えるのをやめて手を離した。


「まぁ、歳を取ると白髪にもなるし」


 休みだという気の緩みもあって、つい腕を組んで思案を口にする。その前を通り過ぎていったスーツの中年男性二人組が、「……こいつ、若いのになんでジジ臭いこと言ってんだろうな」と口の中に呟きを落としていた。


 雪弥は、グレーのスーツに身を包んでいた。すらっとした細い身体に、白い肌に浮くカラーコンタクトで色を変えられた黒い瞳。端整な顔立ちながら目元は優しげで、高級スーツや高価な腕時計をしていても、重々しい威圧感は感じられない。


「しっかし、なんでこの職場は毎度、仕事が終わるたびに健康チェックをするんだろうなぁ。昔っからそれが不思議というか、せっかくもらった休日でも実行されるのが、ちょっと面倒……」


 そう独り言を続ける雪弥の後ろの門扉には、屈強な大男の警備員が立っていた。彫りの深い顔の眉が隠れるほど、深く制服帽をかぶっている。


 彼が軍の中でも、上位クラスの人間である事を知っているのは、特殊機関に務めるエージェントとごく一部の人間だけである。雪弥は背伸びを一つすると、付き合いの長い彼を振り返り、冗談交じりで気分良く声を掛けた。


「これから、大自然の新鮮な空気を吸って来るよ」

「いってらっしゃいませ」


 表向き警備員の彼は、軍人立ちをしたまま、気真面目な様子で言って一礼した。


             ※


 エージェントの中で雪弥は、少し特殊な家庭事情を持っていた。彼は、蒼緋蔵グループを率いる大富豪当主の愛人の子である。父である現蒼緋蔵家当主には、きちんとした正妻がいて、彼女には息子が一人、娘が一人いた。


 雪弥より四つ年上の長男の名を蒼慶(そうけい)、一つ年下である長女の名を緋菜(ひな)といった。父や腹違いの兄弟達だけでなく、蒼緋蔵家当主の正妻である亜希子も、愛人である紗奈恵(さなえ)とその息子の雪弥をすんなりと受け入れて、今の家族構成となっている。


 大富豪の家とあって、親族関係者からは良く思われていなかった。当主は『蒼緋蔵本家としての権限には影響力を持たせない』とわざわざ書面を作り、雪弥に蒼緋蔵の名字を与えたのだが、親族たちはしつこいほど強く反対し続けていた。


 だから雪弥は、外では名字をあまり口にしなかった。


 幼い頃から、自分の存在が、愛する父を悩ませるくらい蒼緋蔵家の人間達から疎まれている事を感じていた。父や義母や兄弟たちが好きだったからこそ、家族に迷惑をかけたくなくて、母が亡くなってから本格的に蒼緋蔵家から距離を置き、表立った関わりを出来るだけ断つように心掛けた。


 現在、家族とのやりとりは、主に電話で取っている。嬉しい事に先日、親族達に慕われている長男の蒼慶が、次期当主となる事が正式に決まったとの知らせを受けた。後は、就任式の日取りが確定し、その日を迎えれば彼が当主となる。


 これでようやく蒼緋蔵家も落ち着き、父もゆっくり出来るだろうと安心した矢先、雪弥はすぐ新しい問題に直面してしまった。


 どうやら兄である蒼慶が、自分の右腕の地位に弟を置く、と言い出したらしいのだ。それは当主にもっとも近い副当主という地位であり、蒼緋蔵グループの中で二番目に権力を持つ立場だった。


 愛人の子が当主の傍にいたら、またしても分家の人間達が勝手に騒ぎ立てるだろう。考えればすぐ想像がつく事なのに、あの冷静沈着でしっかり者の兄が、このタイミングで爆弾を落とすような発言をした事が信じられないでいる。



 なんの気の迷いかは知らないが、それについてはしっかり軌道修正してやるつもりでいた。だから雪弥は、この休日を使って、数年ぶりに蒼緋蔵家へ向かう予定を立ててあった。面と向かって『提案は却下です』と言い、説得するためである。



 前回の仕事の最中も、蒼慶には言われっぱなしで終わってしまったのだが、数年振りに面と顔を合わせて話せば、分かってくれるような気もする。


 きっと兄は、嫌がらせを含んだ気の迷いでも起こしたのだろう。幼い頃は、険悪な仲であったわけでもないのだが、大きくなるにつれて蒼慶に嫌われているような気がしてならない部分もあったからだ。


 時々電話が来るかと思えば、一方的に嫌味を言われて切られる事が続いている。先日、高等学校に潜入した任務でも、たびたび兄からの一方的な電話が入って困らされた。プライベートの携帯電話なら分かるが、現場支給の使い捨ての連絡番号に関しては、どうやって調べているのか大変謎である。


「さて。とりあえず数日はたっぷり眠ったし、頑張るしかないかな」


 本当は、蒼緋蔵邸を訪れる事だけは、避けたかったけれど――


 雪弥は口の中で呟いて、思わず苦笑をこぼした。たった数時間であっても、自分はあそこにいてはいけないのだ。家族以外の者に姿を見られたら、またしても騒ぎ立てられるだろう。


 幼い頃、屋敷にいた使用人に初めて陰口を聞かされた時、わけが分からなくて、胸が痛くなったままに逃げ出した事がある。迷路みたいな蒼緋蔵本館の中を走っていたら、兄の執事が迎えにきて「少し休んでから、ご家族様のもとへ戻りましょうか」としばらく一緒にいた。


 なんだかまともだ、と思っていたのだけれど、その後の会話で全て台無しになった。でも、不思議と胸の痛みはなくなっていた。


「うん、さくっと終わらせて帰ろう」


 次期当主である長男の蒼慶は、一筋縄ではいかない相手だ。苦手意識もある中、雪弥はそんな彼と、実にニ年ぶりの顔合わせとなる。


 会うのは、妹である緋菜の成人式以来だった。十分に心構えはしていたつもりだったが、いざ向かおうと特殊機関の総本部から出発して早々に、歩みは重くなった。面倒事が好きではない性格だったからだ。


 駅に向かう為の大通りに出たところで、思わず足を止めて、朝の光りに目を細めてしまった。少ない通行人達が交差点を行き来する中で、つい溜息が口からこぼれ落ちた。


「う~ん、やっぱり嫌だなぁ……」


 ここで行かなかったら、もっとごたごたが増す可能性もある。更に厄介な問題が発生して巻き込まれる未来を考えると、雪弥は渋々歩き出した。


 思い返せば、仕事の途中で駆け付けた緋菜の成人式も、彼女に花束だけあげて帰ろうと思っていたのに、遅れて到着した袴姿の蒼慶が走って来て、襟首を取っ捕まえられたあげく、久しぶりだとかいう挨拶もなしに説教をされたのだ。


 ますます嫌だなぁ、と思う。けれど、既にこの訪問については知らせてあったので、行かないと、兄からもっと酷い目に遭う予感もひしひしとしている。


 雪弥は、半ば諦めるようにして、とぼとぼと足を進めた。

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