いきなり始まる賃走 2
「むしろ、そんなことが問題になるとは、思ってなかったです」
「考えが足りなさすぎでしょ。ちょっと、あの神様大丈夫なの!?」
「いや、ダメでしょうネェ~。神って言っても代行ですから」
「そんなにザックリ言われた、僕の立場は!?」
「運転手さん?」
「そんな小刻みに、スイッチいじってないで。
ほら、翻訳機のスイッチいれて、答えてあげてくださいよ」
「400キロってどれぐらいだよ!? 想像がつかないんだよ!」
「えと、街道を走るわけですから、100ぐらいは「おまけ」がつくとして。
埼玉県さいたま市の大宮から、大阪に行けちゃいますねぇ~」
「実質500キロって、ソレ、新幹線レベルじゃん!
車で行く距離じゃないって!」
「お仕事、受けましたよね?」
「はい」
「タクシーの法律上というか、ルール上、途中退場は、できません」
「なんで、ここまで来て、そういうところはシビアなの?
異世界だよ? 法律すら、あるかどうか、危ういよね?」
「信用は、そうやって勝ち取るものですから。
まだ、異世界交通、一回目の仕事ですよ。
しかも奇跡的に成立した、です」
「ほとんど成立しない仕事だって、分かっていながら、押し付けておいてさぁ~。
どれぐらいで、到着するかも、予想がつかないのに。
説明しろってほうが、無理があるでしょ!」
「えぇ? 小学生の時にやりませんでしたか?
算数の問題ですよ?
時間を割り出すには、小学生でも知ってる、公式を使えば良いんですよ」
青年のとぼけた顔に、ナビィは、ため息を吐き出し。
ヒントと言わんばかりに、公式の冒頭を口にした。
「道のりは?」
「速さ×時間」
「道のりは、500キロ。
速さは平均すると、40キロでしょうか…。
じゃあ、到着するまでどれくらい?」
青年の頭脳が、考える必要もなく、自身に現実を突きつけた。
500を40で割った答えが、そのまま、到着するのに必要な時間だと。
青年は、体中から、嫌な汗が吹き出るのを感じ。
それでも時間を伝えなければいけない恐怖に、心が全力で助けを求めていた。
車内フロント、ドライバー席左側に広がる。
エアコンスイッチと並列した、タクシーメーターの下。
昔ながらの無線機の形をした機械のスイッチを、震える指がカチリと押し込み。
これからの修羅場を演出する。
左膝の上で、ブラブラと垂れ下がる、無線機型翻訳機のマイクを、左手でとり。
マイク真横の大きなボタンを、親指を押し込んだ。
すると、メーター下で、青いLEDランプが点灯し。
青年に、翻訳機が作動したことを知らせる。
入力だけ、二段階スイッチなのは、きっと優しさだ。
だが、優しさもむなしく。
完全密室、一対一の接客において。
もっとも、むかえてはならない状況が、できあがる。
接客業の大前提。
そのリスクは、必ず、乗車前に確認すべきだ。
乗車してから、それじゃあダメだと言われても、もう遅い。
運転手が思い込んでいる場合も、またしかり。
もう、それ以外の選択肢を。
お客から、取り上げてしまっているのだから。
走り始め、もう、数十分。
今から戻りますは、通用しない。
「休憩しながら向かうと、十四、五時間でしょうか」
言いきるのと同時に。
青年の耳に分かりやすく「え!」という声が届く。
「そ、それぐらい、かかってしまいます…」
身を乗り出す女性は。
後部座席と運転席を隔てる、透明なガードの向こうから。
大きな声を上げる。
「早いじゃない! この乗り物、どんな魔術で動いているの!?」
「…え、えと」
予想外の言葉に、テンパった頭は、素直な言葉を選ばせた。
「LPガスと、機械技術です」
馬鹿なことを、言ってしまった。
ハッとしてからでは、もう遅い。
青年の視界の左端で。
ナビィが、優しい笑顔で頷いていた。
「うん、間違いないです。間違いないけど、間違っていますね」
なぜ、後ろのお客から予想外の答えが返ってきたのか、と。
冷静になった頭で考えてみれば。
理由なんて、最初から、眼前にぶら下がっていた。
「うん、異世界だった。
タクシーなんかやってるけど、どこまでも、異世界だった」
立ち寄った町中に、というより。
滞在せざるえなかった、小さな町中。
見えていた移動手段は。
馬ではないが、騎乗する動物たち。
ボロボロになってまで、徒歩でたどり着いたのであろう、放浪者。
ほぼ木製の荷車を引く、馬力重視にしか見えない荷馬車。
ファンタジーなんだから、飛行する乗り物もあるだろうと、空を見上げれば。
まれに、体の細い竜が、騎手風の人を乗せ、飛んでいただけだ。
短い滞在期間で分かったことは、多い。
何より、陸路を行く乗り物に、自動車ほどの速度は、ない。
荷馬車のようなものが。
現代社会におけるバスのような役割を、はたしているのだろう。
そして、陸路を行く者たちはコノ、最悪と思える陸路を行くのだ。
「普通なら、早くても半月かかる道のりを。
一日で行くなんて、どうなっているの!?」
女性が言う日数をかけ、ゆっくりと、この道を旅するのだ。
多少は踏み鳴らされている、とはいえ。
インフラ整備をしまくっている、日本の風景からすれば。
かけ離れた大自然の道が。
車に暴力的なまでに襲いかかってくる。
今、青年と同じ、日本生まれの者が後ろに乗れば。
乗り心地は、不安だけを、与えるだろう。
車のせいではないと言っても、聞いてくれないレベルで。
それでも、青年は、白々しく。
「そ、そうですか?」
なんて言葉を吐き出しながら。
締め付けられた、心のヒモをほどいていく。
内心、冷や汗ものなのは伏せて。
青年の、ユルみ始めた顔を見上げる、かわいい顔は、静かに頷き。
まだ、言っていなかった事があると、手招きをして見せた。
「なに? ナビィ?」
「柊 琴誇(ひいらぎ ことこ)君」
「なんだよ、急に、あらたまって」
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