嵐の夜 Stormy Night
「凄い嵐だ。当分止みそうにない。しばらく足止めだ」
近くに狭い洞穴を見つけたライルとアリアは、嵐をそこでやり過ごすことにした。入り口は狭く、奥は適度に広くなっている。奥までは嵐の風も雨も今のところ差し込んでこない。火を焚いて、二人が寝るには十分な広さがある。
「すみません。私のせいで……」
アリアは申し訳なさそうに顔を伏せる。感情の激するまま、飛び出してしまった事を後悔しているようだ。結果、仲間達とはぐれてしまい、捜しに来たライルと出会った直後のこの嵐である。
「まあ、仕方ねえ。明日になれば止むだろう。これから、一人でこんな無茶はするんじゃねえ。お前さんみたいに、すぐ神様に頼ろうとする修道女なんぞが、一人でこんな危険な森で過ごせる訳がないんだ。神様だって忙しいに決まってる。俺達一人一人にいちいち構ってられるとは思えねえな。……少なくとも、俺には構ってくれなかったぜ」
まだその目に暗い光を灯して、ライルはどさりと腰を落とし火を起こす。
「そんなことありません。主は、私達一人一人の全てを見守っていてくださいます。あなたの側にも、主は必ずいてくださっているのです」
それでもアリアはくじける事なく、静かにライルに告げる。
彼の瞳に宿る暗い光が、一層その深みを増してくる。
こんな世間知らずな少女に対して大人気ない事だと、彼は頭では思っている。しかし、なぜかこの自分よりもずっと年下の修道女の問いに、その言葉に、彼の心の奥深くにある闇がざわめき、それが彼を苛立だせ、落ち着かなくさせているのだった。神を信じ疑う事の無い、この少女の純粋な眼差しが、彼には眩し過ぎるのだろう。
「そうかい。あの時も俺の側にいて、せせら笑っていたって訳か。……いいか、俺に向かって二度とそんな事を言うな。俺はお前みたいに優しい人間じゃない。両手を血に染めた人間だ。俺には神様なんて必要ねえ。頼れる剣さえあればいい」
座りながら、アリアに背を向けてライルはそう言う。なんとか火が起こる。忌々しげにライルは溜息をつく。
「ちっ、湿ってて火がつけにくいったらねえぜ」
そんなライルを、アリアは立ったままじっと見詰めている。先程のライルの言葉に、何か引っかかるものを感じたアリアであった。おずおずとアリアが口を開く。
「あの、『あの時』って?」
「うるさい。その事は二度と聞くな。わかったか?」
ライルは顔だけちらりとアリアに向けると、にべもなくそう言い放った。その時ライルの瞳に宿っていた怒りの炎に、アリアは息を飲んだ。しかし彼女は同時に、そのライルの憤りの裏に垣間見えた、例えようもない悲哀をも感じ取っていた。
「は、はい……」
「そんなとこに突っ立ってないで、火に当たったらどうだ? 凍えるぜ。そこまで俺も面倒見きれねえぞ」
おずおずと火に近づき、火にあたるアリア。寒さでその身体が小刻みに震えている。ライルは無言で立ち上がると、自分のマントを脱いで、そんな様子のアリアの肩にかけてやる。少し驚いて、アリアはまじまじとライルを見上げる。ライルは黙然とまた元の所に座り込む。
「あ、ありがとうございます」
「俺より、お前さんに必要なだけだ。それだけの事だ。礼など言われる程のもんじゃねえ」
黙然と、また火に枝を放り込む。アリアは、自分の身体を覆うマントに、ライルの身体のぬくもりを感じる。それは冷えたアリアの身体を、心地良く包み込んでくれている。
「ライル……あなたは、優しい方です。なのに、どうして主に背を向けているのか、私にはわかりません」
「俺は優しい人間なんかじゃねえ。自分が生き延びるためだったら、平気で人を殺せる。お前だって、見ているだろうが? 俺は自分の力とこの剣しか信じねえ。これしか、俺を助けてはくれなかった。……だからだ。ちっ、この枝もしけってやがる」
ライルはその枝を忌々しく後ろへ放り投げた。
「あなたは、優しい人です。私には、わかります……」
肩にかかったマントをそっと握りしめながら、アリアはライルを見詰める。こうして憎まれ口を叩いていながら、真っ先にアリアを捜し出したのがライルなのだ。修道女の自分など一番大嫌いなはずなのに、ライルは結局、自分を守ってくれている。
「ふん、俺はお前の身体目当てで、こうやってつき合ってるだけなのかもしれないんだぜ」
ぎろりとライルがアリアを睨む。
しかし、そのライルの目にアリアは臆する事無く、真っ直ぐ彼の瞳を見詰め返してきっぱりと答える。
「あなたは、そのような方ではありません」
「へえ……こんな事してもか?」
ライルは、いきなりアリアを組み倒す! その両腕を押さえつけて、覆い被さる。暗く、少し怒りに燃える男の瞳が、押さえつけられたアリアを見下ろしている。
「こんな人間でも、優しいってか?」
「……そうです。あなたは優しい人です」
震える息を飲み込みながら、それでもアリアは真っ直ぐに、ライルの目を見詰め返してそう告げる。
「その強がり、どこまで続くのかね?」
ゆっくりと、アリアの修道服に手をかけてゆく。その胸元に指がかかると、アリアの身体にピクリと震えが走った。ライルはその手を止めて、アリアを睨む。
「俺は優しい人間なんかじゃない……俺の両手は血に染まってるんだ。お前も、もうわかってるだろう?」
アリアは静かにライルの瞳を見詰め返す。彼女の瞳には、怯えも恐怖も不安の色も見られない。ライルの瞳の更に奥深く、その心の奥にある彼の魂の本当の姿を、静かに見通しているかのようだ。
「いいえ、あなたは優しい人……凍てつくような世界で、魂が引き裂かれるような孤独に耐えながら、たった一人で歩いてきた人……でも、あったかい人……」
震えながらも、真っ直ぐに自分の目を射抜くアリアの瞳に、ライルは耐えきれなくなった。顔を背け、アリアから身を離す。
「ふん、勝手にそう思ってろ。いいか、俺は仕方なくお前につき合ってるだけだからな! お前みたいに、すぐ神様に頼ろうとする奴は、俺は一番嫌いなんだ。憶えとけ!」
憎まれ口を叩くと、アリアに背を向けてライルは自分の毛布にくるまる。
「(主よ、この方に心の平安を……。あの、できれば私にも……)」
ライルのマントにくるまり、まだドキドキする胸を押さえながら、アリアはライルのために祈った。
嵐は一晩中吹き荒れた。
しかし、アリアはライルが側にいてくれていると思うだけで、嵐に怯える事なく安心して眠る事ができた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます