重すぎる十字架 Too Heavy Cross
そして、朝が来た。
「ライル、もう大丈夫みたいです。きれいに晴れ上がってますよ」
「……そうか」
立ち上がりかけたライルだが、ふらりとその体が傾いたかと思うと、自らの体を支えきれずに、そのまま洞穴の地面に倒れた。
「ライル!?」駆け寄ったアリアがライルを抱き起こす。
「どうしたのですか!?」
彼は何も答えられない。浅い呼吸を矢継ぎ早に繰り返している。目は虚ろだ。アリアがその手をライルの額に当てる。すごい熱だ。
「いけない!」
アリアはすぐにライルの装備を外して楽にしてやる。ライルの肩に手を回して、ライルの寝床まで、雨に湿った洞窟の地面の上をなんとか引きずって行き、寝かしつけようとした。
「冷たい! 何、これ……?」
アリアが手にしたライルの毛布は、ぐっしょりと濡れている。アリアはその時理解した。洞穴のこんな所にまで、昨晩雨が吹き込んでいたのだろう。ライルは自分の盾になって、一晩中その雨風から守ってくれていたに違いない。ライルの寝ていた所から、きれいに雨の痕が途切れている。そして、それはアリアの寝ていた所をくるむように、弧を描いてしっかりと守ってくれていた。
「(ライル、あなたという人は……)」
苦しげなライルの顔を、まじまじと見詰めるアリアであった。
自分が昨晩くるまっていたマントにライルを寝かしつけ、アリアは再びライルの額に手をかざす。やはり尋常でない熱だ。呼吸も浅く乱れている。アリアはライルの荷物の中から容器を取りだし、水を汲んでくる。布に水を浸して絞り、苦しげなライルの額に乗せてやる。火を起こして、薬湯の用意をする。彼女は癒し手として、多少薬草の知識があり、何種類かの薬草を常に身近に携帯していた。
その間、何度も額に置いた布を水に浸しては絞って、また額に乗せてやる。やがて薬湯が出来上がる。人肌くらいになるまで冷まし、ライルに飲ませようとする。ライルの頭を少し抱き起こすアリア。
「ライル……飲めますか? 薬湯です」
微かにうなずくライル。そこで、アリアは器をライルの口元に近づけてやった。傾けて、ほんの少しだけ口に流し込んでやったが、ライルは咳き込んで吐き出してしまった。するとアリアはその薬湯を自らの口に少し含み、ためらうことなくライルに口移しで飲ませてやる。柔らかなアリアの唇の感触がライルに伝わる。なんとか、その薬湯をライルは飲み下した。それを見て少し微笑むと、アリアは残りの薬湯を何度も口移しして、全てライルに飲ませてやる。後でアリアはようやく気づくのだが、その唇が男性に触れたのは、彼女にとってこれが初めての事であった。
「あ……」
ライルが口を開いた。何か言おうとしているようだ。
「どうしました? 苦しいのですか? 何かして欲しい事がありますか?」
アリアが気づいて、耳をライルの口元に寄せる。ライルがなんとか再び口を開く。
途切れ途切れに、つっかえながらも、
アリアに言わなければいけない言葉を、ライルはかろうじて口にする事ができた。
「あ……りが……とう……」
これが、高熱に魘されながら、ライルが必死で振り絞った言葉だった。
「いいえ、いいえ……」
首を左右に振りながらアリアは答える。そのアリアの目には涙が滲んでいた。それは出会ってから初めて聞いた、ライルの感謝の言葉だった。それに、大嫌いだと言っていたこの自分を守って、こんな高熱で苦しんでいるライルが、一所懸命に必死で告げたこの言葉。ライルのその言葉を聞いて、アリアは胸が一杯になってしまった。自分がこの男に直感的に抱いた印象が、決して間違ってはいなかった事をアリアは確信していた。
「さあ、お休みなさい、ライル……」
母親のように優しく、アリアはライルを介抱する。微かにうなずくと、ライルは意識を失った。アリアはそっとライルの側から離れると、また額の布を交換してやった。
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なかなかライルの熱は下がらない。アリアが癒しを試みたが、あまり効果が無いようだった。その日、アリアはライルに付きっきりで看病していた。と、ライルが突然苦しみ出す。酷く魘されているようだ。その顔が苦しげに歪み、顔にひどく汗が滲んできている。
「ライル! 大丈夫ですか!」
「違う、違う、違う!! う、うう……」
「何が違うんですか!?」
「俺じゃない! 俺が殺したんじゃない!!」
「いや、俺が殺したんだ……俺が父さんを殺したんだ……」
「(!? ライル、あなたは一体……)」
「ううっ……うっ……嫌だ、止めて! 父さん! お母さんを殺さないで! 嫌だ、父さん、父さん! 何でだよ。止めてよ! 痛い、痛いよ、父さん、もう止めてっ!!」
苦しげに魘されているライルは、その胸を掻きむしって悶えている。そのはだけた胸には、何かの刃物で刺されたような傷跡があり、ライルはその傷を掻きむしっている。激しく指を立てているので、ライルのその胸から血が滲みだしてきている。
「ライル、しっかりして! 大丈夫です。大丈夫ですから」
不安になってライルのその手を押さえて、しっかりと握りしめるアリア。
その時ライルがバッと跳ね起きた。アリアが心配そうにライルの顔を覗き込む。
「ライル……大丈夫ですか?」
上体を起こしたライルが、ぼんやりアリアの方を向く。
その目は濁り、意識が混濁しているようだ。
彼の瞳から、涙が溢れ出してきている。
「父さんが、『お前なんて、生まれてこなければよかったんだ』って……お前が俺を殺したって……首に刺さったナイフを指さしながら言うんだ。そうだ。俺は父さんを殺した……母さんもカイアも守れなかった……俺のせいだ。俺がいたから、生まれてきたから、いけなかったんだ」
肩を落とし、がっくりと首を項垂れて、力無くライルは啜り泣いている。まるで、小さな子供が痛々しく泣きじゃくっているようだ。見ていて、アリアの胸が痛む。
「そんな事ありません。生まれてこなくていい人なんていません。主のもとに、誰でも生きる事を許されているのです。あなたが生きているから、私はあなたに出会うことができました。そしてあなたに助けられました。私は感謝しています」
そっと包み込んでくれるようなアリアの言葉と眼差し。その手は優しくライルの手を握りしめてくれている。
「うっ……うううっ……」
アリアの膝に縋り付いて、ライルは啜り泣いた。
生きている事自体に対する罪悪感。結果的に父親を殺してしまい、目の前で母と妹を失った事に対する自責の念。それでもアリアは、自分が生きる事を許されていると言ってくれた。その言葉にただただ、縋るような思いのするライルであった。しかし、この時の事は後のライル自身は覚えていない。ライルが熱に魘されてから完全に意識が回復するまでのこの出来事は、アリアの胸の中にだけそっと隠されている。
泣きながら、子供のように自分の膝にすがってくるライルを、アリアはそっと抱きしめる。アリアの母性が、その胸を突き動かす。
この人は、哀しすぎる……
誰もこの人を助けてくれなかった。だから一人で必死に生き抜いてきた。
神様に背を向けながら、重すぎる十字架を背負って。
あなたは本当に、父親を殺してしまったのですか?
そのお父さんは、なぜあなたのお母さんを殺してしまったのですか?
一体どんな悲劇が、小さなあなたを襲ったのですか?
誰もそんなあなたに、手を差し出してはくれなかったのですね?
こんなに震えて泣いていた、小さなあなたを抱きしめてくれる人などいなかったのですね。
あなたは、本当は優しい人……人の痛みがわかる人。
こんなにも傷だらけの心を持つ人だから。
ライル、私があなたを抱きしめる。
いつでも。何度でも。
アリアは、そのライルの頭を優しく何度も撫でてやる。やがてライルは再び深い眠りに落ちていった。アリアは膝の上にライルの頭をのせ、そのままライルのやつれた寝顔を飽きることなく、いつまでも見詰めていた。
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