第三話【魔術師ノエル】 Wizard Noel

古代遺跡 Ancient Ruins

 一ヶ月後。その間に、ライルとギリアムはそれぞれ新品の武器を手にする事ができた。約束通り、ライル、ティナ、ギリアム、ホークスは例の酒場で再会する。


 ホークスに導かれるまま、その遺跡へと向かう。さすがに半年以上も前から探りを入れていただけあって、魔獣が控える部屋の手前までは、全く危なげなく一行は到達する事ができた。天井裏の抜け道から、その部屋の様子を伺ったホークスが、さっと他の者達を制した。



「しっ……誰か、あのマンティコアと闘ってる奴がいる」



 四人がそっとその部屋を上から覗き込むと、使い込まれた松葉色のローブに身を包んだ細身の若い男が、まさに噂の魔獣と対峙している所だった。マンティコアの翼は既にボロボロに傷ついている。とても飛び立てるような状態ではない。あのローブ姿の男が何らかの手段を用いて、この魔獣の翼を破壊したのだろうか? その部屋から、なぜかヒヤリとした冷気が四人の顔に流れ込んでくるのを頬に感じる。


 状況を確認する四人が上方からしばし見守る中、その細身の男が間合いを取り、右手の人差し指を複雑に宙に動かしながら、何やら聞き慣れない言葉を口にしている。



《大気に満ちるマナよ。封じの壁となりて静寂をもたらせ……バスク・ノモリス・フュートリース、ス・エラトニク……》



 その時、猛り狂った魔獣が男に向かって突進してきた。それを見たホークスが、迷わず部屋に飛び降りてマンティコアに向かって短剣を投げ放つ。狙いはたがわず、この合成魔獣の左目に短剣が突き刺さった。獣は意外な方向からの攻撃とその痛みに恐ろしい咆吼をあげ足を止める。素早くもう一本の短剣を逆手に構えるホークス。ライル、ティナ、ギリアムも続いて飛び降りる。重装備のせいで、ギリアムは着地の衝撃に転びそうになったが、自ら転がりその衝撃を全身で和らげ臨戦態勢を整えている。



 マンティコアはホークスに向き直り、その醜い老人の顔を怒りに歪めながら、奇妙な言葉を喋り出す。


《大気に満ちる火花達よ、我が願いに応え、その力束ねよ……アスト・ゲラ・サラモニーク……》



「魔法の呪文!! みんな、散らばって逃げて!」

ティナが気づいて警告を発する。三人がパッと離散して構える。


《……デュ・ケセ・モイラス!》


 その時、ローブを着た男が呪文を唱え終わった。淡い光がマンティコアの体を包み込む。魔獣が唱えていた呪文の言葉がぷっつりと途絶えた。それに気づいたマンティコアは更に猛り狂って咆哮しているが、なぜかその叫びはこちらに聞こえてこない。


それを把握した細身の男が、身を翻してライル達のもとへ合流してくる。



「あいつの呪文は封じました。先程はありがとうございます。どなたか存じませんが、手伝って頂けますか? 少し甘く見ていました」



 その細身の男は生真面目そうに問いかけてくる。その口振りも、深い蒼色をした瞳も冷静そのものだ。何が起こっても、その冷静な顔が崩れる事はないだろうという気がしてしまう。魔術師なのだろうが、修行を続ける苦行僧といった雰囲気が漂う男だ。



四人とも素早くうなずく。戦士二人が前面に進み出て魔獣に対峙する。その後ろにティナとローブの男が控え、盗賊ホークスは側面から援護の用意を整える。



 飛ぶことも、呪文も封じられたマンティコアが、そのサソリのような先を持つ尾を高く掲げてライルとギリアムに襲いかかってきた。



「尾の毒に気をつけて! 我が僕達よ、封じの壁を今解かん……炎の契約に従いて、主たる我に仕え、その力貸せ……出でよ、フレキ、キリー!!」



 ティナは二人に警告すると、左右のピアスからサラマンダー達を解放した。猛る炎を身に纏ったサラマンダー達が、ティナの左右のピアスから躍り上がり、その頭上で主人であるティナの命令を待つ。


「フレキ、前面に! キリーは尾を狙って!」



 ティナの命令に従い、右のサラマンダー、フレキがまずマンティコアの前から攻める。マンティコアはフレキに爪を立てようと躍起になるが、その前足を焼かれて痛みに咆吼をあげる。しかし、先程ローブの男が唱えた『静寂』の呪文の効果で、その叫びは全く聞こえない。キリーはその隙に後ろから回り込み、マンティコアの尾に巻き付いた。サソリのような先端を持つその尾が、炎に包まれブスブスと焦げ臭い匂いが立ち上ってくる。痛みに怒り狂ったマンティコアが振り向いてキリーを叩き払おうとする。



「キリー、戻れっ!」

すかさずティナがキリーを傍らに呼び戻す。


 パッと身を翻したキリーは、マンティコアの鋭い爪から逃れた。ライルとギリアムが左右から、隙を見せたマンティコアに刃を突き立てる。ライル達に炎が移らないよう、ティナはフレキも傍らに呼び戻した。 



 紅蓮の炎に囲まれ、闘いに没頭しているティナの姿は凛々しく美しい。いつでも戦士二人の援護ができるよう、油断無くティナは闘いの行方を見守っている。





 マンティコアは右前足を横殴りにライルに叩きつける。しかしライルは、構えた長剣の刃を攻撃の軌道に沿わせ、力を受け流して腰を沈めて回転し、下からすくい上げるようにして刃を右腹部に叩き込む。魔獣の攻撃の力も回転の力に抜け目無く利用しており、長剣の先が深くその身体を切り裂いた。肋骨が断ち切れる確かな手応えがライルの手に伝わってくる。



 その痛みに醜い顔を歪め、マンティコアは鋭い牙を剥いてギリアムの首筋を狙って飛びかかる。その動きを全て見切ったギリアムは、突進してくる魔物へ向かって、自ら素早く低く一気に踏み込んで間合いを外す。そのまま懐に飛び込んだギリアムは、剛爆斧を床に擦りつけるようにして、踏み込んだ足を軸に、後ろを振り返るように回転をつけながら、剛爆斧を下から頭上へ一気に振り抜いた。剛爆斧が唸りをあげて、頭上でがら空きとなったマンティコアの胸部を切り裂く。血飛沫がギリアムの兜を濡らす。その衝撃でできた一瞬の隙間を縫って、ギリアムは横飛びになって身を離し、間合いを回復して身構える。



 さすがに二人とも、戦士としての技量は目を見張るものがある。並の男達が束になってかかってきも、二人は楽々と叩き伏せる事だろう。



 重傷を負って怒ったマンティコアが二人から間合いを取り、焼け焦げてボロボロになった尾の針を高く掲げる。


「尾の攻撃がくる! 必ず避けてっ!!」


ティナの叫びに、ライルとギリアムはお互いバッと後方に飛びすさって、さらに大きく間合いをとって身構える。



「もらったっ!」



 まさにライル達目がけて魔獣が必殺の毒尾を振り回そうとした瞬間、音も無くいつの間にか背後に回り込んだホークスが、愛用の短剣を逆手に構えて突進すると、跳躍してマンティコアの尾を一刀のもとに斬り飛ばした。キリーの炎によって、最もボロボロになった尾の部分を、盗賊ホークスは正確に断ち切っている。猛毒を持つその尾が床に転がり、血を噴き出しながら気味悪くのたうち回る。


 猛り狂ったマンティコアが、着地直後で、まだ体勢の整っていないホークス目がけて飛びかかろうとした。


その時、ローブの男が呪文を唱え終わった。



《大気に満ちる火花達よ、我が願いに応え、その力束ねよ……アスト・ゲラ・サラモニーク、ス・ラニリス・パララーン!》



男の指先から凄まじい電光が放たれて、マンティコアに炸裂した!


強力な電撃の直撃をもろに受けてしまったマンティコアは、体からブスブスと煙を上げながら横倒しになる。すかさずライルとギリアムが駆け寄って刃を突き立て、とどめを刺した。



「ふうっ、命拾いしたぜ。ありがとよ、魔術師さん」


ホークスが肩をすくめながら、細身のローブの男に向かって笑いかける。


「いいえ。こちらこそ危ない所を助けて頂きました。ありがとうございます。それにしても、皆さん、見事な腕前ですね」



そう告げる細身のローブ姿の男の声も表情も、最初から変わらず淡々と冷静そのもので、こうした戦闘の余韻に興奮している訳でも、恐怖から解放されて胸を撫でおろしている訳でもない様子だ。四人の闘い振りに、しきりに感心している。



「あなたこそ、すごいじゃない。確か、『ライトニング・ボルト』でしょ、あれって? あれを唱えられる魔術師って、なかなかいないわ」


 忠実に闘ってくれた炎の精霊達を再びそのピアスに封じ、ティナはそう言って男に笑いかける。


『ライトニング・ボルト』と呼ばれる雷撃の呪文は、魔術としては熟練を要する呪文で、駆け出しの未熟な魔術師では扱えないレベルなのだ。それをこの男は闘いの流れを読んで、ここぞという時に確実に決めてきた。かなりの実戦をこなしていないと、ここまで使えるものではない。



「あなたの精霊達も素晴らしいです。それに、二体ものサラマンダーをあれだけ自在に操る事ができるとは。芸術的です」

「ふふっ、ありがと」


ティナは軽く髪を掻き上げて、にっこりと微笑む。もしも年下の女の子達が、先程のティナの凛々しい闘い振りと、そのあでやかな姿を目にしたのならば、『お姉様~!』と慕って、山のように集まってきそうだ。



そしてローブの男がライルとギリアムの方を見て、彼女に驚きの声をあげる。


「それに、あの二人の戦士も凄い。歴戦の強者です。あれだけ戦える人達を、私は初めて見ましたよ」



ライルとギリアムがそんな三人に加わってくる。


「まあ、おぬしが翼と呪文を封じてくれておったから、やりやすかったわい。あの試合の結果を吹き飛ばすような戦闘にはならんかったがな。まだまだ足りんわい」



頑固オヤジは、あれくらいの戦いではまだ暴れ足りないようだ。剛爆円舞を放つ必要も無かった程度だった。これまでにも各地の遊歴先で人々に頼まれて、こうした魔獣退治も場数を踏んでいるギリアムだ。息すら乱れていない。


「おう、お褒めに預かり、光栄だぜ。ライルという。元傭兵だ」


愛用の長剣から魔獣の血を丁寧に拭き取り終わったライルが、剣を背中の鞘に納め上機嫌で陽気にローブ姿の若い男に告げる。この男にとって魔獣相手の戦いは初めての経験だったが、どうという事も無い様子だ。むしろ、怪物相手の初戦闘に胸躍らせていたくらいだ。



「申し遅れました。魔術師ノエルです。魔術の修行のため、ここにやってきました。でも、危うく命を落とす所でした。助けて下さり、ありがとうございます」



 礼儀正しく、相変わらずの生真面目なすました顔をしたまま、ノエルは深々と頭を一度下げる。知的な感じが溢れているが、嫌味っぽくはない。表情が変わりにくいので、他人からは何を考えているのか判断しかねるような男だ。しかし今、その深い蒼色の瞳からは、誠実な感謝の気持ちが四人に向けられている。



「ティナよ。炎の精霊使い。ライルと一緒に、傭兵をやってたの」


「ミッドランド遊歴騎士、ギリアムだ」


「俺はホークス。盗賊だ。よかったら、お前さんも一緒に来るか? 腕が立つ事はあれで十分わかった。魔術師もいてくれたら、心強い。お前さん、修行のためってさっき言ってたが、一人より仲間がいたほうが効率がいいんじゃねえのかい?」



 ホークスの言葉に、ノエルは腕組みをして少し考えている。やがて、軽くうなずいた。これほど腕の立つ者達と共に行動できるのであれば、今までよりもさらに効果的な修行ができると判断したのだ。己の力を極める事に心を砕いてきた魔術師ノエルである。まだ二十代という若さで、魔術アカデミーの重鎮達をうならせる実力の持ち主であった。



「そうですね……先程のような事もありますし。よろしければ、お邪魔しても構いませんか?」


「はははっ、邪魔になんてならねえよ、きっと。よろしくな、ノエル」



 屈託無くライルが笑い声をあげる。ライルの笑い声は、聞いている者にも本当に気持ちよく響く。この様なライルだけを見ていると、その胸の奥に暗い憤りと復讐を誓う心を秘めているような男にはとても思えない。ライルの差し出したごつい手を、繊細なノエルの手がしっかりと握り返す。他の者とも握手を交わしてゆく魔術師だ。



何やら、ホークスがうれしそうだ。


「俺って、最近ツイてるぜ。ライルの旦那達を誘ったら、精霊使いで美人のティナもついてきてくれるし、こうして出かけてみれば、腕の立つ魔術師にも出会えたし。こりゃ、ここのお宝も期待しちまうってもんだねえ」


半年以上もかかって、いよいよ念願の財宝とのご対面が待ちきれない、そんな盗賊を、いたずらっぽい瞳でティナが見詰めている。


「そういう時に限って、案外貧相だったりするんだから。でも、それでも宝石はちゃんともらうからね、ホークス」


ホークスは肩をすくめる。

「へいへい。ティナの姉御には、適わねえな」


ライルが、ここぞとばかりに口をはさむ。


「そうそう、俺も日頃痛感してる。……怒ったティナには、逆らわねえほうがいいぞ、みんな」


「うむ、気をつけよう」

相変わらずの厳つい渋面を浮かべて、ギリアムがライルの言葉にうなずく。


「そうなんですか、肝に銘じておきましょう」

すました顔で、生真面目にノエルは答える。


「命は惜しいからなあ」

頭の上で手を組んで、ホークスはニヤニヤしている。




口を揃えてそう言う男どもに、ティナの顔がみるみる険しくなってきた。


「何言ってんのっ! ライルっ、変な事みんなに吹き込むんじゃない!!」


顔を紅潮させて怒ったティナが、ライルの耳を思いっきりひねり上げた。ついでにその後頭部を殴る。


「い、いててててててっ……。わ、悪かった。俺が悪かった……いてっ」



その様子を、他の男達が恐る恐る見守っている。



「(うむ、やはり気をつけるようにすべきだな)」

「(……本当に、そうみたいですねえ)」

「(旦那も、苦労してるみてえだなあ……ま、無理もねえか。あれだけ気の強い女だからなあ)」




それぞれ胸に堅く誓う男達であった。

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