1-12 滑り落ちマインド

 そして作戦開始の翌日。晴れやかな青空のもと、登校してきた生徒の注目の的になっていたのは、生物部が飼っているウサギ小屋のウサギたち——ではなくその横の、昨日まで無かったペットサークルの中にいる柴犬です。

「えーカワイイー! めっちゃ尻尾ふってるー!」

「触ってもいいかな!?」

「キャンキャン!」

 広めのサークルの中で元気に動き回る柴犬に生徒たちはメロメロです。




「お前、ウサギ小屋のそばに犬が現れたの見たか?」

「うん。俺が連れてきた。」

「は?」

「正確には俺が三石先生に頼んで学校に愛犬ドグマを連れてきてもらうように頼んだんだよ。んで犬はあそこに配置した。ちなみに囲ってあった柵は俺が家から持ってきたやつで、昔飼ってたラブラドールレトリバーの遺産。」

 太介が飄々とした顔で説明します。

「色々となんでだよ!?」

「まあ落ち着け。これは例の勝負に必要な段取りなんだよ。」

「だからって学校に犬連れてくるか普通? というか三石先生もよく協力してくれたな。」

「それについては交渉が上手くいった。」

「交渉?」


 ——それは昨日の放課後、太介が三石先生を見つけた廊下でのやりとり。

「さよせん先生。突然で申し訳ないんですが、みんなに愛犬を見てもらいたくはないですか?」

「んー? そうですねぇ、機会があれば見てもらいたいですね〜。」

「ならその機会、俺に作らせてもらってもいいですか? 俺も犬大好きなんでめっちゃ見たいですし。」

「機会って……何をするんです?」

「俺がウサギ小屋のそばに柵を設置するので、先生は愛犬を連れてきてください。明日一日だけでいいので。」

「ええ……でもそれって許可とか要るんじゃないですか?」

「大丈夫です。教頭先生にはすでに『生物部の研究のため』という風に伝えてあります。生物部のメンバーと顧問にも話を通してあります。あ、説得力を持たせるために俺は生物部に仮入部しました。」

「て、手が早いわね!?」

「それに先生、溺愛する愛犬の姿を見せびらかしたくないですか?」

「で、でも……」

「俺も昔犬飼ってましたから世話とかできますし、後始末も俺がちゃんとやっておくように言ってありますから。なんなら生物部の有志も手伝ってくれるそうですし。ほら、自分の愛犬がチヤホヤされて優越感に浸れるんですよ? 悪くないでしょう? アメも差し上げますし。」

 見せびらかし、チヤホヤ、優越感。うーん甘美な響きです。甘い言葉(と飴?)に誘われそうになる三石先生ですが、

 (うーん、でも犬を連れてくるのは大変だし、やっぱり……)

心の中でなんとか踏み止まりました。

 と思っていたら、

 (あ、でももう教頭先生や生物部には話が行ってるのよね……私がここで断ったら林堂くんはキャンセルの連絡をしに行かなきゃいけなくなる。それは可哀想よね。そうよ! 生徒のためならしょうがないわよね!)

優しい彼女は、踏みとどまっていたはずの土手の縁を自らの優しさでぬかるませ、

「わ、分かりました……!」

愛犬を溺愛する思いが流れる川へと続く斜面を滑り落ちていきました。


「————というわけさ。」

「……お前それ断られてたらどうするつもりだったんだ?」

「その場合はプランBを実行予定だった。でもこちらもハードルは低くない。」

「プランBまであんのかよ。ていうかのあさんの尊厳のためとはいえよくそこまでやるよなぁ〜。もしかして人助けの精神ってやつか?」

 そう聞かれた太介は、

「……人助けをするのは父さんの言いつけの一つなんだ。」

少しだけ改まった様子で答えました。

「へぇ〜、普段は自由人やってるお前も、親父さんの言う事は聞くのな。」

「まあ父さんは俺を跡継ぎにする気マンマンだからな。俺はそこまで乗り気でもないけど、就活しなくていいコースは確保しときたい。だから一応三つ……いや実質二つの言いつけだけは守ることにしてる。」

「いやそこは『親父の背中を追いかけて』とかじゃないんかい! もしかしてその“実質二つ”のうちの1つって、最初の自己紹介で言ってた『飴を売り込む』ってやつか?」

「そうとも言えるけど、正確には少し違う。その『飴を売り込む』ってやつの他にもう1つあって、だけどその2つは実質1つだから、人助けと合わせて全部で実質2つというわけ。」

「なんかややこしいな……じゃあその“実質1つ”の中にある『飴を売り込む』以外の“もう1つ”って何なんだよ?」

「それは……まあ、エクストラステージみたいなもんだからそんな気にしなくていい。」

 いつも泰然自若というか、感情の起伏が小さい太介にしては珍しく、わかりやすく表に感情を滑らせながら、すなわち照れを滲ませながら答えました。

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