第4話

 そこからカラオケは何事もなく終わった。お互いに離れた位置で交互に歌いたい曲を歌った。延長もせずにカラオケ店を出た。胸元はベージュのコートの下に隠れてしまった。それでも確かな膨らみは確認できる。それを見ていると、また左腕や体のあちこちが熱くなった。呼吸が荒くなるのを必死に抑えていた。


 時間は昼の一時を過ぎていた。お腹が空いたから、どこかでご飯を食べることになった。すぐ近くに奈良ファミリーという伝統ある巨大商業施設があった。そこのレストランフロアに立ち寄ることにした。

「ここにしない?」と僕は通い慣れた店を見つけた。そこは「鶴橋風月」という大阪お好み焼きのお店だった。関西で有名なお好み焼きチェーン店だった。サキは「美味しそうだね」と言って店の中に入った。


 席に着くと、またベージュのコートが取り払われた。カラオケ店と違って、今度はサキと対面している。小さな黒い鉄板が間にあるだけだ。サキの胸元が否応なく眼前に迫ってきた。刺繍された銀のラメたちがキラキラと僕に主張してくる。ちょうど起伏の山腹にラメはついていて、斜め上を向いている。そのせいで僕はラメたちと目が合いやすい。ラメを見ると、そこにはサキの胸の膨らみがある。ゴクリと僕は唾を呑んだ。


 お好み焼きが二枚鉄板で焼かれると、黙々と口に頬張る。サキがお好み焼きを切り取り、口に運んで咀嚼するたびに、胸元のラメたちは光輝いた。そのたびに僕はそちらに目をやる。いつもはあんなに美味しい風月の味が全くしない。ただ、目の前にある茶色い物体を口に運んでいるだけだった。運送業のプロフェッショナルのように、決められた場所に決められた荷物を、遅れずに運ぶだけだった。そこには雨や風は関係ないのだ。眼前にサキの胸がユサユサと揺れていようとも。


「大学?大学にカッコいい人いないね。コンパには参加するけど、楽しく飲んで終わりだね。そっちは?学校に可愛い子いる?」と食べ終わるとサキは言った。

「中学は男しかいなかったから。高校から共学になるけど、勉強が大変になるだろうから、それどころじゃない」と僕は言った。高校生になれば大学受験に向けて一直線なのだ。それでも、きっと好きな女の子はできるだろう。そんな未来のことより、いま目の前に座っているサキに最大限の好意を僕は示した。

「今日の服とてもよく似合ってる。キラキラしてとても眩しい」女性と初めて遊んだ男の精一杯の好意の言葉だった。それを聞いてサキは「これ、可愛いよね」と微笑みながら、胸元のラメに手をやった。僕の左腕がまた疼き始めた。もちろんそれ以外の体のパーツたちも。


 そこから本屋さんで時間を潰した。お互いに読んでいる本を紹介した。サキが一押しの本を持っていないと僕が言うと、「じゃあ買ってあげるよ」とサキは僕にプレゼントしてくれた。「今日楽しかったから、お礼させて」と彼女は言った。

 夕方になると、そのまま大和西大寺駅で僕たちは別れた。それから少しだけ掲示板を通じて言葉を交わしたけど、お互いに連絡を取らなくなった。それ以来サキとは会っていないし、音信不通だ。彼女は地元の企業で就職し、誰かと幸せになっているだろう。


 僕は大和西大寺駅のホームで、サキに買ってもらった本を開く。ただ、その本のタイトルがどうしても思い出せない。とても面白かった記憶だけは微かにあるのだけれど。僕は左腕を右手で触る。記憶よりも確かな感触と温もりが左腕には刻まれている。サキが刻んでくれたこの感触と温もりを、僕は生涯忘れることはないのだ。


 もうすぐ僕は高校生になる。大和西大寺駅のホームに橿原神宮前行き各駅停車が入ってきた。「次に参ります急行が先に到着いたします」とアナウンスが流れていた。僕の家にも急行を待った方がいい。でも、今日だけは各駅停車にゆっくり帰りたかった。

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