第2話

 俺は首を押さえながら目覚めた。


「あれ?」


 目に入ってくるのは、年期の入った木製の天井。背中に感じるのは藁敷きの固いベッドだし、薄っぺらい掛布団は少しかび臭い。


 首が飛んでないことを確認したら、なぜだかホッと一安心してしまう。


「なんだ、夢か……」


 そう、夢だ。

 夢の中で首を刎ね飛ばされたような気がする。


「ルリアってなんだよ? 俺はアインだろ……」


 夢の中ではルリアと呼ばれる少女だったことに思わず苦笑を浮かべる。ましてやイケメン貴族の知り合いなどいないし、住んでる世界が違う。夢にしたってもう少しリアリティというものが欲しい。


 俺のリアルは場末の冒険者用の宿屋で暮らす、うだつの上がらない下級冒険者だ。その証拠に五日前から俺の部屋も変わっていない。見慣れた仮初の宿。ベッド以外は、ロープに吊るされた部屋干し中の着替えに、乱雑に転がったリュック型の鞄。


 額に手を添え、熱が下がっていることを確認する。そのまま自分の頬を触り、髭が伸びていることに気づいた。ベッドの上で体を起こしたが、まだ体は重かった。無理もない。ここ五日ほど、まともに食事を摂っていなかったのだから。


 さすがに今回はマジで死んだと思った……。


 五日前に俺はダンジョンで倒れ、それ以降、ずっと宿で寝ていた。解毒薬も治癒魔術ヒール系の魔術も効かず、自然治癒力に頼るしかなかった。高熱と吐き気は、まだ我慢できたが、全身の筋肉を襲う痛みがひどかった。


 眠りに意識が落ちかけても、痛みで揺り起こされる。

 そんな地獄の日々を越えた昨夜、胸を激しい痛みが襲った。

 とうとう死ぬんだと覚悟を決めた。


 そして、あの悪夢とともに目覚めたってわけだ。


 まあ、よくわからんが、助かったということなんだろう。


 ふつふつと胸のあたりがこそばゆくなってくる。

 生き残れたという喜びが生じてきたのかもしれない。ベッドから降りて、革靴を履いていたら、グーと腹の虫が鳴った。昨日までは何も食べたくなかったのが嘘かのような体の反応に、思わず苦笑がこぼれる。


 不意に部屋の扉が開いた。


 入ってきたのは、太陽のように明るい髪色をした妹のソフィーだ。耳を覆うような帽子から伸びるロングヘアーは女性祭司に見えなくもない。だが、服装は寝間着の上にスカートをはいた程度で、最低限、外に出れる格好である。普段から垂れ目な目が、なお一層垂れているのは、疲れているからだろうか。かなり目を引く美少女だと兄なりに思うのだが、本人は自分の顔を隠すように前髪を伸ばしている。


 俺はソフィーに向かって「よっ!」と手をあげた。瞬間、ソフィーは手に持っていた洗面器を落とし、入っていた水が床に勢いよくぶちまけられた。


「お兄ぃぃぃあぁぁぁぁん!」


 顔を涙でくしゃくしゃにして駆け寄り、そのまま抱き着かれる。


「よがっだよぉぉぉぉいおいおい!!」

「心配かけて悪かったな」


 ポンポンと背中を優しくたたいていたら、ソフィーは人の服で「チーン」と鼻をかんでやがった。きったね、こいつ……。


「心配してたんだよ! 生きててよかったぁぁぁ!」


 ソフィーは俺とは違って人間とエルフの間に生まれた半妖人ハーフエルフであり、その証拠に耳がほんの少しだけ尖っている。エルフほど尖ってはいないので、ぱっと見、人間にしか見えない。歳は十七歳で俺より一つ下。いい子なのだが、じゃっかんオツムが弱かった。


「わかったから、もう泣くな。てか、どいてくれ」

「もう体の具合は大丈夫なのぉぉぉいおいおい……」

「いい加減泣くのをやめろって。俺も腹減ってるんだからさ」


 抱き着いたままのソフィーを横に押しのけ、寝ぐせも直さず、着替えもせずに部屋を出た。二階から一階の酒場に降りたら、掃除をしていた店主が驚いたように目を見開く。


「アイン! お前、大丈夫なのか!?」


 店主のフレッドは目を見開いて驚きながらも、安堵の吐息を漏らしながら微笑みかけてきた。俺は照れ臭さを隠せずに笑ってしまう。


「ああ、大丈夫だ。屍術師ネクロマンサーが死体になるなんて笑えないしな」


 フレッドは「良かったよ」とねぎらうように肩をポンポンと叩いてきた。


「面倒ついでに調理場貸してくれないか? 腹が減ってさ」

「病み上がりなんだ。俺が作ってやるから座って待ってろ。ソフィーと二人分でいいか?」

「いいのか? 助けるけど」

「任せとけって」


 言いつつフレッドは厨房へと入っていく。まだ開店前のため、酒場は閉められていた。ホールにあるテーブルでソフィーと向かい合って座って待っていたら、フレッドが食事を運んできた。


 ワギフ麦を麺にし、野菜と卵を混ぜた料理だ。


「おいしそうだね、お兄ちゃん……一緒にごはん食べられでよがっだよぉぉぉ!」

「うん、わかったから、泣くな。ほら、鼻水を拭け」

「卵とじウドンおいじいよぉぉ……」


 ソフィ―は涙を流しながらウドンをすすっていた。

 ウドンという料理は、その昔、悪食の魔王と呼ばれる魔王が作り出した料理らしい。


ウドンのスープは出汁が命だ。きちんとカティオと呼ばれる魚の出汁を使っているため、香ばしい匂いが鼻孔に触れた。俺はフォークでウドンを食べる。本来は『ハシ』なる二本の棒で食べるのが正しいらしいが、未だに使いこなせていない。難しいんだよな、ハシの使い方ってさ……。


 俺とは悪食の魔王流に「いただきます」と言いながら両手を叩いて鳴らした。

 鼻に出汁の臭いが抜けていき、出汁の旨味が半熟卵と絡み合う。麺にはコシがあり、食い応えがあった。このウドン料理のおかげで、フレッドの店は繁盛しているのだ。


 ソフィーはモキュモキュと垂れ目を更に垂らしながら、幸せそうにウドンを食べている。ソフィーは、いろいろやらかす奴だが、こいつがメシを食う時の顔は見ていて飽きない。


「うん、うまい。さすがだよ」

「師匠の腕がいいからな」


 フレッドは照れたように笑っていた。フレッドは二十八歳。去年、この店を開いたが、あまり料理の腕が良くなく、流行っていなかった。そこに訪れた俺が、厨房を借りて料理を作ったところ、それを見て「師匠」と呼ぶようになったのだ。

 俺が集めてきたレシピを教えて以降、フレッドの店も繁盛するようになった。


 俺は料理が好きだ。作るのも食べるのも。


 うまい料理はいい。

 それだけで幸福を得られる。ましてや、五日ぶりのまともな食事ともなれば、空腹が最高のスパイスだ。

 卵とじウドンをペロリと平らげた後、俺は再び両手を合わせて「ごちそうさまでした」と口にする。異世界からやってきた魔王と、その異世界の料理への感謝を込めて。


「しっかし、それ、変な儀式だな」

「だから、悪食の魔王流の儀式なんだよ」

「昔だかなんだか知らんが、ここで魔王の真似をするのは、良くないぞ」

「魔王と呼ばれてても、俺は尊敬してるんだよ。伝説によると、別の世界からやってきた転生者だって話だしさ」

「転生者だかなんだか知らないが、うさんくさい話だなぁ」


 ボヤきながらフレッドは掃除を再開していた。椅子から立ち上がった俺にフレッドが「あ、そうだ」と声をあげる。


「本調子に戻ったら、また仕入れを手伝ってくれよ。お前の買ってくる肉は品質がいいからさ」

「料理人には目利きも重要だぞ?」

屍術師ネクロマンサーみたいに肉に詳しくないんだよ」

「だったら、あんたも屍術師ネクロマンサーになればいいだろ?」

「さすがにそれはなぁ……」


 たしかに死体を扱う屍骸操作ネクロマンシーは、かなり特殊な魔術の系統であり、その有様から忌み嫌われることも多い。俺がそんな魔術を学んだのも、料理人として高みを目指すためだった。


 料理の素材は野菜や肉、全て含めて生き物の死骸だ。ならば、死骸に一番詳しい存在になるため、屍術師ネクロマンサーとなる必要があった。その魔術のおかげで、他の連中よりも死体を新鮮なまま保存できるし、逆に熟成を進めることもできる。


 デメリットといえば、死骸を使うという魔術の特性上、冒険者のパーティーを組みにくいということだろう。だが、それでも仲間になってくれる奴らはいる。


「まあ、ついでで良ければ見とくよ」

「ありがとよ、師匠」


 フレッドの言葉に肩をすくめて返した。泣き止んだソフィーも俺についてくる。そのまま髭を剃って寝ぐせを直したところで「お兄ちゃん、出かけるの?」とソフィーが尋ねてきた。


「ああ、少しな。オウルたちにも報告しなきゃならないし」


 オウルの名前が出たところで、ソフィーの表情が露骨に曇った。まあ、ソフィーはオウルたちのこと苦手だからなぁ……。


「お前はいつもどおり、フレッドの店を手伝っててくれ」

「うん、わかった。お兄ちゃんも病み上がりなんだから、無理しちゃダメだよ」

「わかってるって。あと、調理場じゃなくてホールに出るなら、耳を隠すのは忘れるなよ」


 俺は自室に戻り、最低限の準備をして宿から出た。


 五日ぶりに見る城塞都市グリムワの往来は、それまでと変わることなく騒然と人々でにぎわっている。通りの向かいでは、薄汚れた皮鎧を着ている者たちに酒場の女将が呼びこみをしていた。そんな中、肩が当たった当たってないでにらみ合ってる者もいれば、昼から呑んだくれて壁を枕に眠っている者もいる。そんな連中の中を俺も歩いていく。


 フレッドの酒場がある通りには、似たような宿屋や飲食店が居並んでいた。主に根無し草である冒険者たちが使っているのだ。中級以上の冒険者になると、宿ではなく借家住まいをできるようになるが、下級冒険者の俺は酒場の宿暮らしだった。


 とりあえず、市場にでも行くか。


『――そのまま進むと死にますわよ、アイン』


 不意にそんな声が聞こえ、振り返る。


 思わず目を見開いた。


 人々が往来する通りの真ん中に月色髪ルナブライトの女性が立っている。


ウェーブのかかった長い髪の毛に、紅石のような赤い瞳。歳は十代中盤から後半くらいだろう。十八歳の俺と同じくらいか少し年下に見えた。そんな美少女は自信の表れなのか、たわわな胸の前で腕を組みながら勝気で切れ長な双眸で俺を見据えていた――


 ――素っ裸で。


「はあ?」


 意味がわからない。


 裸の美女がいる。

 往来に立っている。

 裸で。


 ……痴女?


 痴女なら痴女でおかしい。あれだけの美人で素っ裸ならば、男の視線を集めるはずだ。なのに、誰も彼女を見ないし、その存在に気づいた素振りもない。


 不意に背後で「暴れ馬だぁぁっ!」という叫び声が聞こえた。


 振り返れば、巨大な馬が人を蹴飛ばしながら暴れまわっていた。蹴られた者の中には首が変な方向に曲がっている者もいる。


 もし、誰かに……おそらく裸の痴女に呼び止められなかったら、あの馬に俺が蹴飛ばされていたかもしれない……あれ? 寒気?


「いやいや……」


 なにかのまちがいだ。幻覚だ。

そう思っても、裸の痴女は偉そうに腕を組みながら立っていた。


 ありえない、と思って目をこすってみれば、痴女が目の前に近づいてくる。


『幻覚でも目の誤作動でもありませんわよ』

「痴女……?」

『チジョ? なにをおっしゃって――』


 次の瞬間、痴女は自分の体を見る。

 一瞬で顔が真っ赤に染まり、プルプルと震えだした。


『不埒ですわぁぁぁぁっ!』


 痴女が勢いよく手を振り上げる。

 あ、殴られると思い、突発的にその手を取ろうとした瞬間、痴女の手が俺の体を通り過ぎた。


『ふ、不埒者! 早くわたくしに服を着せるのですわ! ぶっ殺ですわよ!!』


 顔を真っ赤にしながら俺を殴ってくる痴女は、どうやら肉体を持っていないらしい。


 意味がわからない。


 わからないが、おそらく悪霊だとか幽霊だとか、その手の存在だろう。

俺は調理用の鞄から塩の包みを取り出した。


「悪霊退散っ!!」


 叫びながら塩を投げつけた。


「ぎゃっ! てめ! なにしやがる!!」


 塩は痴女に当たらず、通行人にかかったようだが関係無い。今は目の前の悪霊を消すことが急務だ。


『早く服を着せるのですわ! きゃあああああ!! 見ないでぇぇっ!!』


「悪霊退散!! 消えろ、痴女がぁっ!!」


「だから、てめっ! なんだ、この白いの! 目がぁぁっ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る