第6話「恐」
昼休み。私は他人と下手な接触をせぬよう、自席に座って本を開いていた。私の分身が一週間でどのような関係を周囲と築いたのか、注意深く観察する必要があると判断したからだ。
本を読むふりをして視線をあちこちさせていると、また思わぬ人物から声をかけられた。
「今日は行かないの?」
身体が硬直して、声すら出なかった。
――
この運動よし勉強よし容姿よしの美少女が、私にいったい何の用があるというのだ。
唖然とするあまり、私は魚のように口をわなわなと動かすより他なかった。すると明美は怪訝そうな表情を浮かべて、
「……もしかして、きの――」
「行く、行きます!」
あの天下の明美様の表情を曇らせるわけにはいかない。私はどこに何をしに行くのかもわからぬまま、ガタッと席を立った。
「よかったぁ。じゃ行こ」
明美は私の腕を引いた。
明美に連れて行かれたのは、私が学校の中で最も忌み嫌う場所だった。女子生徒たちが、バンバンとボールをつきながら走り回って入り乱れている。ときどきキュッと靴の音が響き、ボールが高く上がる。
「あ、明美理緒!」
コート内にいた一人が、私たちに気がついて手を上げた。
「理緒はこっちで、明美は相手に入って!」
「はいよー!」
明美は大きく返事をして、コートに走っていく。取り残された私を振り返ると、不思議そうに首を傾げた。
「大丈夫?」
「え、だって……」
私は言葉を探した。何か言い訳になるものはないかと足元を見ると、ふわりと広がるスカートが目に入った。
「ほら、制服だし……」
「体育じゃないし大丈夫だよ」
「でも……」
私は明美に促される形で、コートに踏み込んだ。
目の前でボールが目まぐるしくやり取りされ、目で追うだけで精一杯だった。
「理緒!」
「へ!?」
名前を呼ばれたかと思うと、ボールがこちらめがけて飛んできた。あまりの大きさに目を閉じると、ボールは腕に跳ね返って床を転がった。
「え、ごめ――」
「ラッキー!」
明美が走り込んできて、弾むボールを掠め取った。そのままドリブルで突き進み、見事なレイアップシュートを決める。
「理緒ドンマイ!」
チームの中の誰かが言った。全員が踵を返して一斉に走り出し、今度はこちらのチームメイトがドリブルで攻め上がる。
私の脳内では直前のシーンが何度もフラッシュバックした。私の元から離れて行くボール、明美の「ラッキー!」のひとこと、パスが通らなかったことに失望するチームメイトのため息――。
「――理緒!」
名前を呼ばれてはっとすると、すでに視界いっぱいにボールがあった。静止画のようなその瞬間の直後、がつんという衝撃が顔面を打った。
「ごめん、大丈夫?」
ボールを出した本人が、私のもとに駆け寄ってくる。
「目に当たった? 血は? どこに……」
私は顔を両手で覆って、心配してくる彼女を避けるように動いた。
――せっかく、上手くやってきたのに。
「ごめんね、本当に。保健室行く?」
――邪魔しないように、嫌われないように。気を遣って平穏に過ごしてきたのに。
「本当に大丈夫?」
――肩身狭い思いまでして、気をつけてきたのに。
「顔、見せてくれる?」
――あいつのせいだ。あいつの――。
「大丈夫だから」
私の声は震えていた。顔を覗いてこようとする女子の手を振り払い、体育館を後にした。
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