第3話「知」
「ねえ、帰ったってば」
目を覚ますと、目の前に鏡があった。どんなトリックなのかはわからないが、私の顔は逆さに映っている。目も口も、私の動きとは関係なく自律的だ。
「ああ……」
私は重たい体を起こした。体の節々が痛い。
しばらくぼーと虚空を見つめたあとに、大切なことを思い出した。
「どうだった、学校」
私の質問に、彼女はピースサインを突き出した。
「ばっちりだよ」
「授業はちゃんと受けた?」
「もちもち」
彼女は横に置いていたスクールバッグから、ノートを取り出して開いてみせた。しっかりと今日分の記録がとられている。字も間違いなく私のものだ。これなら代筆を疑われることもないだろう。
一通りの成果を見て、私はほっと息をついた。
「疲れたでしょ、学校は。人がいっぱいいてさ」
「え、楽しいよ。いろんな人がいて」
顔も身体も字の汚さまで同じなのに、どうしてここだけは相容れないのか。
「そ」
立ち上がって、窓を開けた。体育があったからか、靴下からむっとした汗臭さが漂ってくる。
「お風呂、入っちゃってよ」
「あ、それなんだけどさ、どうやって入る?」
♢
協議の結果、一緒に入ることになった。どうせ同じ身体なのだから、手で隠したりする必要もないだろうという結論だ。お互い鏡を見てると思えばいいのだ。
2人それぞれ寝巻きを持って、階段を降りた。母が廊下にいないことを確認してから、一気に脱衣所に駆け込む。スパイ映画のワンシーンのように、物音には細心の注意を払った。
「背中、流そうか」
私が体を擦っていると、先に湯船に浸かっていた分身が言った。
私は急いで人差し指を口に当てる。
「一人で喋ってるって思われるでしょ」
「ごめんごめん」
彼女は声を潜めて、湯船から出てきた。
「便利でしょ、身体がふたつあるって」
「まあ、いろいろ不安もあるけど」
「ほれっ」
「ヒィッ」
彼女は私の脇腹をくすぐってきた。思わず出た悲鳴に、私は口を抑える。
振り返ると、彼女はお腹を抱えてケタケタと笑っていた。私は潜めた声で責め立てる。
「状況わかってんの」
「ごめん。あまりに無防備でだらしない身体だったから」
「あんたも人のこと言えないでしょ」
私も躍起になって、彼女の脇腹を突いた。彼女も短く「ヒッ」と悲鳴をあげると、急いで口を抑える。
「これでおあいこね」
彼女をきっと睨みつけて、私は正面に向き直った。鏡に映った私の顔は、なぜだか少しだけ笑っていた。
入浴のあとに生じたのは、食事の問題だった。どちらかが食卓で、家族と食事をしなければならない。
「お昼食べてないの?」
「うん……」
私は自分の腹をさすった。寝ていたせいでお昼を食べ損ねたのだが、寝ていたおかげか全く空腹を感じていなかった。
「でもさすがに、ちょっとはお腹に入れた方がいいって」
彼女は言って、私の背中を押した。
「そうだよね……うん、そうする」
「宿題、やっておくから」
彼女は私を見送って、部屋に戻った。
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