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やがて、宴もたけなわ、と言うにはいささか早い頃合いで「よっしゃあそろそろやるか!」と勢いよく立ち上がったのは、道央文化大生たちの中で一番おばか……いや、お調子者っぽい男子だった。やたら綺麗に造形されたマッシュルームヘアが、いかにも量産型の大学生って感じがする。あとから知ったけど本当に成績はやばい人らしい。あー、ね。そんな気したわ。
マッシュと仲よさげな女子のひとりが「やるか、って何すんの」と笑っている。そう、笑ってるんだよ。何すんのってあんた知ってんでしょ絶対。こっちのメンバーの顔見てみろって。主催者以外みんな、結婚式で突如始まったフラッシュモブにドン引きしてる時みたいな顔してるから。
そしてマッシュは新しい元号を発表するかの如く、高らかに宣言した。
「今からパーティーゲームやって、ビリ二人には罰ゲームだ」
「また!?」
ゲラゲラと笑っているのはマッシュと、おとぼけ女の二人だけだった。さっき私に耳打ちしてくれた子が、隣にいるマッシュと同じ大学の男子に訊いた。
「ねえ。また、ってことは前にもやったの? その罰ゲームって」
「あー、こないだもやったね。その時は、青年漫画のエロいシーンのセリフを情感たっぷりに音読するってやつだった」
ごめん、ちょっと吐き気がしてきた。
そう言って席を立っても自然に見えるほど、私は酔っていなかった。やがて無情にも、闇より出でた光を爆発させるテレビ画面。少し遅れて大写しになるゲームタイトル。そして私にゲーム機のコントローラーを手渡してきたのは、家主もとい主催者、私の友達。いや違う、おまえはユダだ。ニヤニヤしやがって。その顔に、いま渡されたコントローラーをはたきつけてやろうか。たぶん塗りたくられたファンデーションが十字キーの形にくっきり凹むでしょうね。いつか絶対にあんたの顔面、敷きたてのところに長靴で踏み込まれたアスファルトみたくしてやるからな。
こうなったら、もう絶対に勝つしかない。せめて下位二名には入らないように。私はもともとゲームが苦手だし、全員蹴落とすくらいの覚悟でいなきゃ成功しない。そう言い聞かせながら、他の参加者をちらりと一瞥する。
一番端に、困ったように苦笑いを浮かべた篠津くんの姿があった。
*
ところで、ポッキーゲームというものをご存知だろうか。別にポッキーじゃなくてもいいよ。細長くて両側からくわえられるものならいい。だからトッポでもいい。最後までチョコたっぷりな方が好きならそれでも構わない。要するにそれを両側から食べ進めて、先に口を離したり、途中で折ったりすると負けという単純なルールだ。
ではそれを、お互いに口を離さず食べ続けるとどうなるか。これ以上は自分でやってみろ、野暮なこと言わせんな。
仮に私が「ポッキーゲームの説明をしてみ
いま、私の唇の位置をゼロとすると、およそ十数センチ先には、他人の唇がある。もっと詳細に言えば、そこでは篠津くんが困惑した表情をしながら、私が唇に挟んでいるポッキーの反対側を、同じようにくわえている。また、私の口の中では、体温で早くも溶け始めているチョコの甘さが舌先にまで伝わってきていた。
数々のミニゲームを経てゲーム終了を迎えたとき、私はビリの一歩手前、そして最下位は篠津くんがぶっちぎりの低成績で射止めた。考えてみれば、私以外のみんなは飲み会のたびにこういうゲームをしているのだろうし、どいつもこいつも百戦錬磨と言ってもいい。そこに私みたいなド素人がノコノコ入り込むなんて、F1レースに一輪車で挑まされるようなものなのだ。もちろん頑張りはしたけど、正直なところハナから負け戦だったと思う。ちなみに篠津くんは最下位が決定したとき「創ってほんと弱いよな」って言われていたから、きっとこういうゲームではいつも負けているのだろう。
やがて、腸が煮えくり返るほどむかつく笑顔を浮かべたマッシュの号令を受け、私と篠津くんの罰ゲームが執行された。
とりあえずチョコで唇がベトベトして気持ち悪いので、先に私のほうからわずかに前進する。おいちょっと待てよなにが「きゃー結ちゃん積極的ぃ」だよ家主。あんた、いずれ絶対に鍋で煮えたぎる溶けたチョコに頭から沈めてやる。ポッキーみたいにしてやる。膝から上洗って待ってろよ。
そしてそれを受けてか、篠津くんがビスケットの部分をわずかにサクサクと食べ進める気配を感じた。口にくわえた細く脆いお菓子から伝わる振動。自分ではない命の息吹と鼓動。たぶんまだ彼の口の中では、なんの味もしていないだろう。ビスケットのとこしか食べてないし。そもそもポッキーの味わいはともかくとして篠津くん、私みたいな取り立てて可愛いわけでもない女とポッキーゲームなんかやらされて、甘ったるい気持ちになるのかな。いつもゲームに弱いなら、わざと負けたわけでもないだろうから、今頃きっと甲子園の砂を袋に詰める高校球児みたいな気分でビスケットを食べてるんだろうな。
やがてお互いに四分の一くらいずつ食べ進めたところで、静止した。このまま食べ進めるといずれやってくるのは回避行動からくるポッキーの折損、もしくはどちらかが耐えきれずに口を離すか……だ。唇どうしの正面衝突? あり得ない。事故るってわかっているのにアクセルをベタ踏みするやつなんかいないでしょ。まだそこまで年老いたつもりはない。
「ほらほら! 食べてかないと距離縮まんないじゃん!」
「どっちから食べ進めてもいいからさぁ」
ほんと苦労人だね。私も、あなたも。
そんな気持ちを込めて、数センチ先の彼にこっそりと目配せをする。爆弾処理中みたく張り詰めた顔をしていた彼は私の視線に気づいて、さっきみたいに力の抜けた笑顔を浮かべた。きっとその表情は、真正面から眺めている私にしか見えていないはずだ。観客の目線の先にあるのは、じわじわと短くなっていくポッキーの長さだけだから。彼や彼女たちは、とりあえずどのペアでもいいから目の前でポッキーを食べ尽くして、ぶちゅーっとやってくれることだけを求めているわけだし。
すると、篠津くんは突然スッと笑顔を引っ込める。
そしてワンテンポ置いたかと思うと、さっきの数倍の速度で、ポッキーを食べ進めはじめた。
サクサクサクサクと小気味良い音を立てながら、どんどん私の方に近づいてくる。「おおおお、いいぞ創!」という歓声が耳を通り抜けていく。結局自分がするわけじゃないなら、どいつもこいつも他人事だ。私はただ呆然と、唇にはさんだポッキーのチョコが再びぬるりと溶けるのを感じることしかできない。口の中にもう一度広がり出した甘さを味わうのみだ。謎の緊張で身体が動かなかった。
篠津くんの顔が、残り僅かなところまで迫る。それでもスピードは緩むことがない。周囲の盛り上がりは最高潮。もはや私と篠津くんの唇が衝突することは既定路線だ。人の不幸は蜜の味。私の唇が篠津くんのそれとぶつかった時はどんな味がするのだろう。こんなシチュエーションじゃ、ちっともわくわくしないけど。
ああ、終わった。
きっと車にはねられる直前も、こんな気持ちになるのだろう。
さようなら、私の初めての――。
唯一自分の意志で自由にできた両目を、ぎゅっと瞑った。
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