フラグはチョコ味
西野 夏葉
1
自分よりも酔っ払っているやつを見ると、酔いが醒める。そう思うと、飲み会って金をドブに捨てること以外の何物でもないよなーと思いながらも、ある程度の交友関係を維持しておくためには足を運ばないわけにもいかない。世知辛い。こんなの社会人になってからいくらでも経験できるだろうに、なぜ私はそれをまだ大学生のうちから経験しているのか……ということが問題だ。
「ほらほら! 食べてかないと距離縮まんないじゃん!」
「どっちから食べ進めてもいいからさぁ」
外野から飛んでくる、なんの励ましにもならない歓声。毒にも薬にもならない……というより、こいつらが全員シャレにならない毒に冒されているとでも思わないとやっていられない。いくらお酒が入っているとはいえ、私は貴重な学生生活の数時間を遣って、いったい何をやっているのだろう。
あなたもそう思わない?
ちらりと相手の表情をうかがいつつ、胸の中で呟いた。
*
今日もいつもどおりの宅飲みだと高を括って、会場となった女友達の家にやってきた。するとそこにはいつも馴染みの顔ぶれの他に、知らない男女が数人。聞けば、家主兼飲み会主催者の女友達が最近知り合った、他大学の同級生らしい。道央文化大学という、お金さえ払えば誰でも入れてくれるような、いわゆるFランク大学の学生たちだった。
なんでそんな余計なことをしてくれるかな。っていうかそういう新キャラがいるのなら先に言えよ。あいつの場合「知り合った」って絶対合コンじゃん……と思っていたら、仲良しの子がすたすたとこっちに来て、静かに耳打ちしてきた。
「違う大学の人いるって知ったら、きっと
それって喜んでいいのかなあ。家主が、私が来ないとつまらない……と思っているのか、はたまた(あいつは自分の引き立て役として居なければ困る)と思っているのか。今すぐ、キッチンでつまみを作りながら鼻歌うたってる家主の胸ぐらを掴んで一緒にシェイクしてやろうか。せいぜい芳醇な後味でも残してみろってんだ。そうは思えども、上着を脱いでしまった手前いまさら回れ右をして帰るわけにもいかず、部屋の隅の方にそっと陣取った。
しかし、いざ乾杯を済ませると周囲のメンバーはそんなのお構いなしで、次から次へと席が入れ替わっていく。というか私もそれほど人付き合いが得意じゃないからあまり偉そうなことは言えないけど、まだ左の人間が喋ってんのに右から話しかけてくるなって。聞き取れないから普通に。
少ししてプチ聖徳太子状態を抜けた私は、だらりと背後の壁にもたれた。頭の中に広がるのはワクワク感や楽しさでなく、つい一時間ほど前に通過してきた、この家の最寄り駅の改札口。あの発車案内の電光掲示板が真っ暗に沈黙する前に帰ればいいやー、なんて思っていたけれど今は違う。一本でも早い電車に乗って、この魔窟を抜け出さなくてはならない。音より速く、光より遠くへ。これからも私が私でいるためには、絶対にそれが必要だ。
そんな使命感だけが胸の中を満たしていた。焦燥感と言ってもいい。ともすればそれは嫌悪感に変わり、私を世間から遠ざけることになるのは想像に難くない。でも、好きでもない飲み会に来るのもぶっちゃけ面倒だし、いっそのことそれはそれで――。
「だいぶ飲みましたか?」
は、と顔を上げてみる。
さっきからギャースカ騒ぎ立てている一団の中で、ひとりだけ物静かな男子がいるなーとは思っていたが、まさしくその男子が私に話しかけてきていた。他の連中は全員そろって足が当たりそうなくらいの距離まで近づいてきたけれど、彼はタブレット一枚分くらいの距離を空けて、私の隣に腰を下ろす。独り言をしゃべっているみたいに、力の抜けた声がすぐ聞こえてきた。
「やっぱこういう雰囲気、慣れないな。ウチの学生だけじゃないっていうから、もう少し落ち着いた飲み会になると思ってたんだけど」
「そっちはいつもこんな感じな……んですか」
「今日はまだマシな方ですよ。イッキ飲みとか、コールとかしてないし」
これでもマシな方だとは。私はさっきから同じ国にいながら、山奥に住む原住民族の奇祭でも見せられている気分なんだけど。
でも、私もあまり人のことをどうのこうの言える人間ではないかもしれない。いま普通に敬語が抜けそうになったし。向こうがタメ口ならいちいち気を遣わないけど、まだ相手がこちらに敬意を表してくれているのなら、話は別だ。
「あ……すみません。急に話しかけられたらびびっちゃいますよね」
彼がそう言って腰を浮かせようとしたので、私はとっさに「いやいや、大丈夫なので」と制した。なんとなく、彼は「大丈夫なほう」の人間だと思った。むしろ誰にも話しかけられていない様子を、いま遠くで死に損なったバッタみたいに転げながら笑っている連中に目撃されたくなかったのだ。
「むしろ、私は……えーと」
あなたに助けられて、なんて言うのも気取った感じがして嫌だなあと一瞬躊躇したら、すぐ「
目で訴えられた気がして、
「とにかく篠津くんみたいに落ち着いた人もいるみたいでよかった。あんなの眺めてたら、飲んでも酔えないなって思ってたんです」
「確かにそうかもなあ。高砂さんも北都学園大学の人ですよね? そっちからしたらウチの大学の飲み会なんて、流し台の生ゴミ入れの中でも眺めてるような気分でしょうね」
「それは私、本当にそうだね、って言ってあげたらいいんですか?」
「おまえらほんと馬鹿だなーって笑ってくれたほうが、まだ諦めがつきます」
私と篠津くんは、騒ぎ続ける一団に気づかれないよう、くすくすと肩を震わせた。
ある程度酒が回ってしまえば、みな一箇所に固まったきり動かなくなっていくらしい。これ幸いと、私たちはあれこれ話し込んだ。さっきまで敬意がどうのこうのと言っていたが、最終的に「ねえ、もう面倒だからタメ語でよくない?」と言い出したのは私だった。篠津くんはそれでも嫌な顔ひとつせずに私の話を聞いてくれたし、聞かせてくれた。なお、篠津くんの役回りは基本的に、ぶっつぶれた同級生たちを送り届けるなり、介抱するなりを行う「後処理班」のようだ。
「だからこそ高砂さん。僕から、ウチの飲み会を抜け出す方法をひとつ伝授するよ」
「今度からは何があっても事前に回避しようと思うけど、一応聞かせてもらおうかな」
手厳しい、と言いながらも篠津くんは愉快そうに笑った。
「嘘でもいいから、誰かといい感じの雰囲気になって、二人で抜け出すこと」
「なにそれ。どういうこと」
「要するに『あいつらはもうあんな感じだし、邪魔しないでおこうぜ』って思われたらいいんだよ。もっと言えば、周囲からそう思われることができれば、別に相手が異性じゃなくてもいいけど」
「へー。ぜんぜん参考になんない」
自分で言ったことのくせに、あはは、と笑ってしまった。ここの家主から「結は仲良くなった人との距離の詰め方が急だよね」と言われたことを思い出す。確かにそうかも。目の前の篠津くんは笑ってくれているけど、内心はどう思われているかわからないから。ただし、合コンのたびに新しい彼氏作ってるあいつには言われたくない。
篠津くんはまったく気にしない様子で、部屋の中を一瞥しながら言った。
「でも、わかったろ。だからこそ飲み会中のポジション取りが重要になるわけだよ」
「それで篠津くんは、私に目をつけたってこと?」
「まあね。高砂さんは、水だって言いながら梅酒の原液を注ぐことはしなさそうだから」
「なんだか頭痛くなってきたんだけど、私」
それが酒のせいでないことくらいは、私にも理解できた。文化が違いすぎる。ものすごく速いエレベーターにでも乗っているかのようだ。
もっとも、私も篠津くんに同じような心地よさを感じているからこそ、普通に受け答えができているのだと思う。すっかり安心している。砂漠のオアシス。動物園の檻の外。ゾンビがウロウロする街の中、家へ逃げ込みドアに鍵をかけて籠城。
待ってよ。それってだいたい最終的に死ぬじゃん。
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