黄昏の湖畔の妖精
第十五話 黄昏の湖畔の妖精
◇◇◇ 帝国歴 二百九十一年 三月
貴族院の講堂
ヨーナスからの妨害もラルスの警告以降は無くなり、一ヶ月の選挙運動は無事に終わった。残るは講堂で最終演説と投票が一気に行われるだけ。
伝統らしいけど……確か生徒会選挙も同じ感じだったわよね。学生の選挙なんて同じか。
という訳で、既に他の生徒は講堂の椅子に座っており、いつものメンバー共々、今は舞台袖で準備しながらシャーリーの演説を聞いてるの。
緊張してカチカチのシャーリーを眺めながら最後のお茶会よ。ロッテが紅茶を携帯用ポットに入れてきてくれたの!
「シャーリー、ズルい。抱負述べたら当選ってズルいわ」
「ふふ、じゃあリアも『カーディン家の女児』くらい凄い肩書きが無いと」
「そうね。『特待生の女の子』だけじゃダメね」
そうか。『ナイアルスの魔導の天才』の異名じゃあ弱いのかな? カッコいいからちょっと気に入ってるんだけど……。
ワイワイしてるとシャーリーの演説が終わった。満足そうなシャーリーが舞台袖に戻ってきた。冷や汗を流しながら「バッチリできたわ」と満足そう。
カミカミだったじゃない、とは誰も言わない。
「リア、次よ」
「うん!」
執政官は立候補が二人居たので投票が行われる。事前の協議の結果、リアが最初、ラルスが二番目となった。ノーラの助言でヨーナスが何か仕掛けてきたらやり返す事が出来る一番目を選んでいた。
ふふふ、ノーラは流石よねー。おっと、そろそろ主役の準備はどうかな?
「メラニー、どう?」
そう。わたしの執政官の選挙だけど、今日の主役はメラニーよ! 椅子に座ってガタガタ震えるメラニーに声をかけてみる。すると、油が切れた歯車のようにぎこちなく首だけこちらに向けてくれた。
「だ、ダメかも……き、き、緊張して……」
「ふふ、大丈夫。ほら鏡を見て?」
「か、鏡? み、見ても、な、何も……」
ギギギっと音がするように首を動かして反対側の鏡を覗き込む。
すると、いつもの両目が隠れるぼさぼさの赤い髪は艶々のストレートに整えられ、大人っぽいアップスタイルになっていた。トレードマークのそばかすも丁寧にメイクで消されており、アイラインが引かれた目元はシャドウとつけまつげで飾られている。
「誰これーっ!」
わーい! わたしが初めてリアちゃんの姿を見た時と同じみたい。
メラニーの反応を確認してからノーラとハイタッチを決める。
「メラニー、貴女の赤毛はとても華やかでボリュームがあるのよ。そばかすの多い顔も透き通る様な白い肌のおかげ。髪を整えてメイクすれば、メラニー、貴女はとても美人」
「こ、これが私……」
ふふふ、メラニーは小さな頃から満員のホールで自信満々に歌う夢を見ていたんだって。鏡の中にはただの
「本当に……私?」
「そうよ! 誰もメラニーって気付かないわ!」
「誰も……気付かない……」
「そうよ。リアの言う通り。だから、思いっきり歌ってみなさい」
「思いっきり……歌う!」
メラニーはテンション爆上がりで、もはや冷静な判断などできなくなっていた。でも、まだまだ。煽るだけ煽るわよ!
「そうよ! 綺麗よ! 貴女を見ても誰もメラニーだとは気付かないわ!」
「さぁ、ここは憧れの舞台。歌って! メラニー!」
「皆は私と気づかない……気づかない! 歌っても気づかない!」
メラニーの頬は徐々に赤みを帯び、目は怪しい薬でも飲んだようにキマっている。息も少し荒い。明らかに興奮している。
うーん、そのままテンション高いまま舞台に上がった方が良いわよねー。あっ、サール暇そうよ。
じっとメラニーを見ていたサールに「時々小声でメラニーを褒めてあげて」と耳打ちしておいた。こくん、と頷くサール。ぼそぼそっとサールが耳打ちすると、メラニーはぴくっと震えて吐息を漏らす。
うんうん、メラニー……これはゾーンに入ったわね。よし。わたしも張り切るわよー。
「ノーラ、タイミング任せたわ! カーナ、ロッテ、サールもありがとう」
メラニー達に手を振り舞台の袖から演壇に向かう。
ひー、緊張するー。
舞台から観客が見え始めると、一箇所からヤジが上がり始めた。取り敢えず睨みつけてみるがヤジは止まらない。すると、舞台袖からノーラが反対側のヨーナスに向けて声を掛けた。
「ヨーナス君、黙らせて下さる?」
二人が見つめ合う。もちろんラブラブな雰囲気は皆無だ。どちらかというと『脅迫の事実は黙ってやるからさっさと黙らせなさい」って感じ。
あっ、ヨーナスの首が下がった。はい、ノーラの勝ち〜。
「……ラルスより正々堂々と選挙戦をしろとの意思があった。尊重するように」
わーお、めっちゃ睨んでくるじゃん。まぁ、良いけどー!
演台の下の木箱にそっと乗ってから、まず一礼する。
今度はそれなりに拍手が聞こえるけど、盛り上がりに欠ける感じは否めない。仕方ないか。
「今回、執政官に立候補したナイアルス公国のリア・パーティスです」
和かに微笑みながら座席の生徒達を見回す。今日のわたしはメラニーの
「わたしは十歳の時に一人で自国から出る機会を得ました。旅立ちの前は不安も多かったことを覚えていますが、皆さんのお陰で楽しく学びの生活を送ることができています」
観客の皆さんを眺めると、皆さん、なんか目が優しい。これって、絶対に
「そんな楽しい生活の中でも自国を思い出し、寂しくなることは少なくありません」
うんうん頷いて『がんばれー』って顔をしてる。わたしはホームシックになんかならないわよ! 大体からしてもっと深刻よ。本当のホームに帰る術なんか無いんだから。ぐすん。
「そんな寂しさを癒してくれるのは、やはり自国の学友達だと思います。しかし、特に帝国本土出身の皆さんにお伺いします。今、あなた達は、自由に誰とでもランチすることができますか?」
おっ、少しだけ『そういえば』って顔した生徒が居たわ。それ、追加攻撃〜。
「そう。下級貴族や新興貴族の皆様と、上級貴族の皆様では、何か見えない隔たりはありませんか? 他の国も同じです。地方や家柄、そういった事で行動に区分けをしていることはありませんか?」
思わずライバルの舞台袖が目に入る。なんかヨーナスとイーリアスが言い合っている。ラルスはじっとこちらを見て話を聞いてくれてる……のかな?
◆◆ ラルス陣営のいる舞台袖
「んー? 俺、強いヤツは誰でも茶に誘うぜ?」
ヨーナスが呆れながら返す。
「それは貴方が特別な上級貴族だからです。わざわざ貴方に言いに来る輩は居ません。全てのクレームは貴方では無く
少しの沈黙の後、イーリアスの声が少し大きくなる。
「マジかよ! 俺と同じテーブルに居たことで文句言うヤツがいるのか? 見つけたらぶっ飛ばす!」
ヨーナスは片手を顔に当てて呆れた口調でイーリアスに呟いた。
「では、リアさんに投票すべきでは?」
「ん…………? げっ! そういう事か……どうするラルス? ヤバくねーか」
ラルスはじっと話を聞いていた。
「貴族院では正々堂々としたい……などと言っておきながら、行動が伴っていないことを今リアに教えられているのか」
リアを見詰めながらボソリと呟いた。
二人が見ていることに気付くと少し恥ずかしそうに後ろを向いてしまった。
「選挙戦には正々堂々、全力で戦う。それだけだ」
「少し席を外します」
ラルスの言葉を聞くと、ヨーナスは出口の方に向かって歩いていってしまった。
◇◇
「自国の学友と自由にテーブルに付き、出自など関係なく過ごせたら皆さんも楽しいのではないでしょうか」
ここで木箱から飛び降り演壇の前に出ると拍手が少し鳴った。やめい! 幼稚園のお遊戯じゃないぞ!
不本意ながら盛り上がるのは結構なこと。さっと手を仲間達に向ける。
「あと、差別を無くすことでこんな良いことがある、という一例を示しましょう。ノーラ、よろしくっ!」
少し照明が暗くなり、スポットライトが舞台の一段下を照らす。隠れていた楽団がノーラの指揮で流行りの歌謡曲を演奏し始める。
「今日歌ってくれるのはぁ……赤い髪のメラニー!」
しまった、ノリノリで名前紹介しちゃった。あっ、既に何も気にしてないのね。
スポットライトに照らされるメラニーの顔は満面の笑みだった。ちなみにライトの操作はサールだ。
「えっ! 誰? メラニーって?」
「わー、歌上手い……」
自信に満ち溢れる『赤い髪のメラニー』からは自信に満ち溢れた歌声が響く。
皆が唖然としているうちに次の曲に変わった。入学式でも歌われた定番の帝国を称える曲。歌い出しのメラニーの声量に生徒達が驚いているのが見える。ザワザワとメラニーの正体を確認し合っている。
しかし、この透き通るような声。それでいて突き抜けるような声量。ここでも学生の歌を聴く機会は少なくなかったけど、そんなレベルはあっさり上回ってるわよね! どちらかと言うと、プロのオペラ歌手の奏でるような鮮烈な歌声ですものね!
そんな中、一部の生徒から一つの名前が聞こえ始めた。
「私……この歌声聞いたことあるかも。『
「あっ、ホントだ! 私も聞いたことある。えーっ? すごーい、ここの生徒だったの?」
うははは! やっと気付いたか。
メラニーは帰宅時に湖畔で歌の練習をしていたのよね。わたしも偶然通りかかって聴くことができたの。でも気になって追いかけたら姿を消しちゃうのよ。最初は本当に妖精かと思ったわ。それを、たまたま教室で二人っきりになったノーラに相談したら、ニヤニヤしながら全て教えてくれたわ。
『あれはメラニーなのよ。あの子、恥ずかしいから人の少ない黄昏時に湖畔の隅の方でしか歌わないの。しかも人が近づくと歌うのを止めて逃げてしまうの』
初めて聞いた時はビックリしたわ。メラニーは控えめでどちらかと言うと静かな方だったから。でも、この一年ほどで既に都市伝説になってたのよ。
『湖畔近くの住民は
そう言えば、何でそんなに詳しいの、と聞いてみたけど……その答えは少し怖かったわ。
『私はね、卒業したら司法局に勤めることになるの。家系だから避けられないのよ。あなたの騎士団行きみたいなもの。でも司法局って字面からして色気がないじゃない。だから、密かに楽団を結成して大々的に活動するつもりなの』
その時のノーラの顔は本当に綺麗だった。キラキラした夢一杯の少女。でもね、続く台詞はちょっと……ね。
『だから、私、絶対に黄昏の湖畔の妖精を捕まえるの。三年間に渡る捕獲計画も実行中なのよ。んふふ、何が合っても逃さないわよ!』
ですって! あの子、絶対ストーカー規制法に引っ掛かるわ。だから、ここでオープンになったのはノーラの為でもあるわね。
◆◆
舞台の一段低いところでノーラは指揮棒を振っていた。
「うふふふ、仕方ないわね。貴族院を卒業したら『黄昏の湖畔の妖精』は司法局音楽隊(仮)が逃がさないわ! 私の野望には欠かせないから!」
新たな決意の中で、指揮棒を振りながらタイミングを計っている。舞台袖のカーナに目で合図すると少しだけ指揮棒の動きを小さくした。
「さぁ、デビュー記念のプレゼントは憧れの歌姫との邂逅よ!」
ロッテが操作する二つ目のスポットライトが舞台袖を照らす。すると、カーナのエスコートでジュリアがメラニーに負けない美声で歌いながら現れた。
◇◇
「ジュリア様!」
驚きで舞台上のメラニーが思わず歌を止めて叫んだ。ノーラの指揮で楽団が奏でる音量が更に小さくなる。そのタイミングでジュリアも歌を止めてメラニーに呼び掛けた。
何この演出、ノーラ凄いわ! 神演出よ! 神回よ!
「メラニー、貴女も貴族院合唱隊へ参加して欲しいの。卒業までの少しの間だけでも……貴女と一緒に歌わせて!」
びっくり顔のメラニーは数秒固まると、瞳から涙が溢れてきた。両手で顔を抑えながら涙声で叫ぶ。
「ジュリア様! 嬉しい。信じられない! ありがとうございます!」
ジュリアが手を伸ばす。
「さぁ、メラニー、一緒に歌って!」
「はいっ!」
二人が手を握り合うと、ノーラは大きく指揮棒を振る。音量の上がる楽器に負けない二人のハーモニーが会場に響き渡る。これはノーラのアイデア。テーマが身分差だから身分の異なる二人が一緒に歌うことが重要だって。
うんうんと頷くことしかできない。
控えめに言ってサイコーよ!
「身分差に負けない二人の勇気に拍手を! 本日歌ってくれたのは……『貴族院の歌姫』ジュリア! そして……メラニー・ベルク! 『黄昏の湖畔の妖精』その人でしたー!」
「きゃーー!」
ふふふ、黄色い悲鳴が鳴りやまないわ。
この勝負、貰った〜!
舞台袖に引っ込まず、一段下のノーラのところにサッと降りた。二人の舞台は極力邪魔をしない作戦だ。まだ指揮棒を振るノーラの所に行くとカーナも居てノーラを揶揄っていた。
「メラニー取られちゃうわよ?」
観客に手を振るジュリアとメラニーを眺める三人。
「うふふ、そう簡単に奪われてたまるものですか」
ノーラの目が怖い。カーナも同じみたい。二人で両手を取り合って少し震えていたわ。
こうして、拍手喝采で演説……というかミニコンサートは終わったわ。
◇◇
まだ興奮は冷めないが、ラルスが壇上に上がったので舞台袖からじっと見詰める。緊張している様は全く無く、淡々と自分の主張を語っていた。
「自由で強い貴族院を作りたい。具体的な事はまだ決めれていない。だから、皆で協力して作っていきたい」
あれだけ盛り上がった後なので、場内はザワザワと落ち着きが無かった。
こちらの招いたこととはいえ少し可哀想よ。
「あと……俺が当選しても差別は撤廃する」
ここでざわつきが止まった。この一言に一番反応したのはノーラだった。
「やられた」
小声で舌打ちと共に呟くノーラ。
すぐに観客席から大声が響いてきた。
「流石ラルス様!」
「自分の既得権益を手放して迄、貴族院を変えようという、その気概。惚れました!」
そうか。ラルスが一言追加するだけでわたし達の手柄を横取り出来るんだ。わたし達が一生懸命に考えた公約を自分達のものに出来てしまう。
そんな…………。
「私の作戦ミスだ……すまん、リア。演説順を後にすべきだった」
扇子を懐から出して口元を隠すノーラ。悔しそうな顔を見せたくは無いのだろう。
「ううん。良いよ。これで負けてもしょうがないよ。
少しだけ悔し涙が出る。
ここでラルスからビックリする演説が聞こえてきた。
「ただ、差別の撤廃を投票の理由とするならリアに投票してほしい」
ラルスの言葉を信じられないノーラ。扇子が傾き驚いた口元が露わになる。
「な、何故? そんな事、メリットは何も無い……」
わたしもそう思う。何で……?
「俺はこの選挙戦を正々堂々と戦うと誓った。他人の手柄を横取りするのは、卒業してから存分にやらせて貰う。では、以上だ」
こちらに向けて一瞬ニヤリと微笑んだラルス。『借りは作らん』と聞こえてくるようだった。
まだ帝国出身の男子生徒から歓声が上がっている。
そして、まだ驚いている少し面白い顔のノーラ。
わーお、ラルスかっけー!
ライバル展開で最高なヤツじゃない。ふふふ、後で褒めてあげよっと!
反対側の舞台袖に向かうラルスの後ろ姿が大きく見えた。興奮で両手を固く握り締める。じっと、ただ、じっと、わたしは歩くラルスを見つめていた。
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